透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

民家、遠い昔の記録

2006-10-15 | A あれこれ


民家 昔の記録 1980.07.22

いままで、昔撮った民家の写真を何回か載せました。民家は地元産の材料を使って地元の人たちの手で造るというのが基本的な姿です。白川郷の合掌造りの民家の大屋根の葺き替えに(「結」という助け合いの組織によって)地元の人たちが大勢参加する様子がテレビ番組で紹介されたりします。

今回は新島(伊豆七島)の民家です。新島では抗火石が採れます。この石が採れるのは日本では新島だけ、世界的にもあとイタリアのシシリー島だけです。軽くて断熱性に優れていますから、この写真のように新島では建築材料として使われています。加工性に優れているので定形材に加工して屋根に用いられています。おそらくブロック状に加工して壁材としても使われているでしょう。遮音性にも優れています。このような優れた建築材料が入手できる新島の人たちはラッキーです。

この写真を撮ったのは1980年7月の合宿の時。あの時一緒に出かけた仲間もみんなオジちゃん、オバちゃんになっただろうな・・・。


 


ハンドルネーム

2006-10-15 | A あれこれ


 
なつかしいな、このゴム印

 こんなゴム印をつくって本についていたことがありました。日付によると30年も前のことです。

いつでしたか、どなたかが私のHN(ハンドルネーム)の由来をコメント欄でたずねておられたような気がします。

自分の名前そのままなのです。アメリカでは本名でブログを書いている人の方が多いと聞きました。政治的な事に関する意見を本名できちんと書く、とのことです。日本の場合、個人的なブログでは本名を明かさないことが圧倒的に多いようですね。

何故でしょうかね。プライバシーを守りたい、ま、それもあるでしょう。でもそれ以上に、もうひとり自分を創りたいという欲求もあるのかもしれませんね。もうひとりの別の自分で相手に接したい、仮想のもうひとりの自分と対峙して自分自身を客観的にみつめる。そんな効果を期待しているのかもしれません。では自分はどうなんだろう・・・、このことについて考えてみてもよく分かりません。自己分析は案外難しいものですね。

ところで皆さんは、HNをどうやって決めたんでしょうか。自分の名前をアレンジしたHNならわかりますが、まったくそれとは関係ない場合、どうやって?何によって?  決めたんでしょう。

                                      
名前は人によって呼び方が違うように、その表記が人によって違うのも楽しいものです。U1(全角、半角) U1(全角、全角) U1(半角、半角)U1(半角、全角)UⅠ・・・  どれでもいいです。 これからもよろしくおねがいします。


 


分散コアシステム

2006-10-14 | A あれこれ


「新建築」6704(1967年4月号)より

■ 先日行なわれた、塩尻市の「市民交流センター」の公開審査については既に書いた。一次審査を通過した5案の内、2案がいわゆる「分散コアシステム」を採用していた。構造システムとしてだけでなく、空間的にもコアに重要な意味を持たせていたところが、両案に共通していた。
因みに当選案は「分散壁柱システム」とでも呼称されようか。

この分散コアシステム、「せんだいメディアテーク」をすぐに想起するが、私の記憶はさらに「山梨文化会館 /丹下健三+都市建築設計研究所」に繋がっている。甲府駅に隣接するこの建築は手元の古い「新建築」によると1966年11月に竣工している。いまから40年!も前のプロジェクトだ。

雑誌からこの「山梨」の計画に関する解説文を引用する。
**ここでわれわれが採用したのは、(中略)分散コアともよばれるシステムである。全体のブロック配置、スパン割りなどから15.290m×17.375mのグリッドが設定され、各格子の接点に、直径約5mの円筒コアを配置している。このコアは3本の階段シャフト、2本のエレベーターシャフト、2本の荷物用エレベーターシャフト、3本の便所、給排水シャフト、6本の空調機械室、設備配管シャフト、計16本のシャフトよりなっている。(中略)構造的にも、各スペースのフレキシビリティの要求からきた17mのスパン架構を支える中核体としてきわめて有効に働いている。**
構造シャフトの内部をこのように使うという発想は「せんだい」でも同じだ。

以下『せんだいメディアテーク コンセプトブック』NTT出版からの引用。

**このチューブは床を支える役目、つまり柱として働いているだけではなく、さまざまな役割を果たしています。(中略)エレベーターや階段はなかに収められ、人がこのなかに入ることができます。また、空調や電気、ネットワークの配管を収め、火災時には排煙の経路にもなります。チューブは全体を支えると同時に、さまざまなエネルギーや情報を建物全体に供給する樹の幹のような役割を果たしているのです。**

実によく似ている。説明文を入れ替えても分からないくらいだ。既に40年も前のプロジェクトでコアシステムを採用した計画がなされていたのだ。雑誌には構造に関する説明も載っているが図表は全て手書きだ。

この分散コアシステムのアイディアは磯崎さんによるものだと、むかし聞いたことがあるような気がするが、磯崎さんは1961年に大学院を修了し、1963年には既にアトリエを設立しているから、このプロジェクトに関わったのかどうかは分からない。

「せんだい」のコンペの審査委員長は磯崎さんだった。自分の昔のアイディアを思い出した?
まさかね。

学生の頃、この「山梨文化会館」を見学に行った。受付で渡された黄色い腕章をつけて内部を見て回ったものだ。このプロジェクトが掲載されている「新建築」はずっと後年(雑誌の発行年、1967年には生まれてはいたがまだ小さかった!?)、南洋堂(東京神田の建築書専門店)で買い求めたもの、手元にある建築関係の一番古い雑誌だ。

「せんだい」はすごい建築だと思う。
「山梨文化会館」も当時の建築デザインの状況を考えるとすごい!と思う。そして美しいと思う。「山梨」の美しさをどう説明したらいいだろう・・・。 


 


「冬の水練」 南木佳士

2006-10-14 | A 読書日記



文春文庫の今月の新刊広告に南木佳士の名前を見つけた。
南木さんの本はとにかく読む。

うつという心の病を抱えながら静かに暮らしている著者が、休日の早朝、暗いうちから起き出して、書き溜めたというエッセイが収録されている。一冊にまとまる分量になるまでに三年かかったそうだ。

**メランコリーを好む性格だから、創りあげた秩序のなかに安住しているのがいちばん薬だとは分かっていても、出来事は上から、うしろから、そして内側からも勝手に起こってくる。** 文庫版あとがきに著者はこう書いているが、私の場合もまったくその通り。

**私はよい医者にはなれないまま終わりそうだ。**と、エッセイの一文が帯に採られているが、私には南木さんは名医、彼の「薬」は欠かせない。


繰り返しの美学

2006-10-14 | B 繰り返しの美学



以前担当した保育園の廊下

■ 繰り返しの美学
主構造は鉄骨だが、間仕切り壁を木造にした。
いろいろな平面計画を練って提案したが結局保育室が直線的に並ぶオーソドックスな片廊下型になった。等間隔に建てた柱から廊下と保育室内に方杖を出した。ちょうど、♪YMCAと踊るときのYのように。

壁には土佐漆喰を使いやすくアレンジして商品化された左官材を使った。左官材に詳しい友人に教わったものだ。自然素材をふんだんに使って、と打ち合わせの段階では考えるのだが、予算の関係で・・・などと言い訳をして相手だけでなく自分を納得させて結局ビニルクロスに落ち着いてしまうことが多い。小さな子供たちが使う空間がそれではな~と最後まで素材にこだわった。

四角い窓の下に小さなガラスタイルを2枚ずつ貼った。取り寄せたサンプル帳を処分するのが「もったいなくて」一枚一枚自分で剥がして使ってもらった。

廊下の天井がそれ程高くないので方杖の効果がいまひとつ、だったかなと今ごろ反省。

  ***************

■ 幼保一元化
今年の6月に「認定こども園設置法」という法律が成立し、10月1日に施行された。就学前の子どもに「教育と保育の一元的提供」と「子育て支援」の機能を備える新たなサービスを提供する、ということだそうだ。いままで全く知らなかった。

このことについて、こんなサイトを見つけた。
http://allabout.co.jp/finance/ikujimoney/closeup/CU20070701A/

女性の意見がいくつか紹介されている。
この中に紹介されている「ケンちゃんの卒論」(4ページ目)も一読を。「子育て優先か、自己実現優先か」特に女性たちの選択は難しい。そして小さな子供たちの育つ環境は今後よりいっそう厳しくなる、と私は思う。
このことについてここにコメントするつもりはない、サイトの紹介のみに留めておく。

 


通し番号

2006-10-13 | A 読書日記


○ 朝日新書創刊の広告 今朝の朝日新聞 (061013)

写真の通り、見開き2ページのカラー広告。自社の新書創刊の広告だから別にいいけれど・・・。

右の写真の下に「001」と番号が付いているのが分かる。これは刊行順に付けられる通し番号だ。今回12冊刊行された。従って「001」から「012」までの番号がついたことになる。

ところで、『愛国の作法』につけられた番号は「001」であって、「1」ではない。「001」としたことに意味があるのだろうか。この新書の総体というか総数を意識したナンバリングのシステムなんだろうか。そうだとすると3桁、999まではOKだが刊行点数が1000になった時にこのナンバリングシステムだと変更しなくてはならない。おそらくその先は1000、1001、1002という具合になるのであろう。ならば今回001ではなくて1から始めた方がよかったのではないか。

他の新書はどうだろう。ちょっと先輩の新潮新書も「001」から始まっている。文春文庫も然り。1年で100冊刊行されるとするとこの番号づけのシステムはたった10年しかもたない。

「0001」から始めると100年もつ。そうしている新書はないものかと探した。あった。講談社現代新書がそうだ。「0001」から始めている。ただしカバーデザインの変更後のことであって、以前は「1」から始めていた。

中公新書も同じつけかたになっている。手元の中公新書を見ると例えば『整理学』加藤秀俊には「13」という番号がついている。既述の理由で「013」とつけるよりはよいだろう。集英社新書は4桁の通し番号とA、B、Cなどのアルファベットの組み合わせのナンバリングがなされていて、分類や登録などについてシステマティックな考え方がされていることが分かる。

今回朝日新書が採用したナンバリングは、このような発想が無く、ただ前例に倣っただけなのかもしれない。別に番号のつけ方なんてどうでもいいけど。

 


大仙院の庭

2006-10-12 | A あれこれ


月刊「カーサ ブルータス」特別号 06年9月号

 記憶の片隅にあってずっと気になっていた、どこの庭だったかなと。

書店で立ち読みした雑誌に偶然この庭を見つけたときはビックリした。記憶とぴったり符合した瞬間だった。急流を下る舟を見たとき、あ、これだ!と思った。この写真には写っていないが、左側には滝に見立てた石組みもあって、その部分も記憶に合致した。そうか大仙院の庭なのか、この石は舟石というのか・・・。

龍安寺の石庭は何回か見ているが、抽象的で多様な解釈が可能なところが魅力だろう。あるいはそれは解釈不能ということかもしれないが。それに対して黒い石で構成されたこの庭は立体的な水墨画のようだ。自然をぎゅっと凝縮している。龍安寺の庭の対極にあるこの具象的な庭もまた魅力的だ。

さて、私の記憶の中に長い間留まっていた庭が、大徳寺の塔頭(たっちゅう)、大仙院の庭だということは分かったが、では一体いつ私の記憶にインプットされたのか・・・。
こちらはまだ分からない。中学の社会科の教科書? 修学旅行? その後の旅行? できたら確認したい。まずは今年の1月に一緒に京都に出かけた昔の仲間に訊いてみよう。

『空港にて』村上龍/文春文庫 カバーの空港は羽田の第二旅客ターミナルですよ、って教えてくれたSさん、ありがとう。


 


「ハヅキさんのこと」 川上弘美

2006-10-10 | A 読書日記


『ハヅキさんのこと』川上弘美/講談社

川上さんはこの本のあとがきにこう書いている。
**ちかごろ、原稿用紙にして十枚前後の、短篇、というには少々短い長さの小説をしばしば書くようになった、(後略)**

この本にはそのような小編が何編か納められている。

写真では帯の文字が読みにくい。
**
この人は、きっと少し前に
本気の恋をしたんだろうな。
なんとなく思った。
そしてそれはもう、終ったんだろうな、とも。**

この文章は、収録作品「森」の一節だが、私にはこの作品が印象的だった。
同い年の幼なじみのふたりが二十五年ぶりに偶然故郷で再会して、小さい頃遊んだ森に行く。
「わたし、○ちゃんのこと、好きだったんだよ」
よくある告白だ。
「もうちょっと若かったら、○ちゃんと深みにはまってもよかったのにね」  ふたりの年齢は五十。

「ほんとにここは、森だったんだね」
「また、来られるかな」
「きっと、いつかね」

○ちゃんは、わたしと同じ名前、漢字が違うけれど。
たった9頁の小説、なんだかくすぐったいような気分で読了。

川上弘美の作品の雰囲気が少しずつ変わってきているような気がする。
以前のような、「ふわふわ」感が薄らいで、ここに収録されている作品はどれもきちんと輪郭がある、とでも表現すればよいのかな。

村上龍の『空港にて』文春文庫も同時に読んでいたから、二つの作品の異なる印象がミックスされてしまったのかもしれない・・・。

ついでに『空港にて』はなかなかの短編が揃っていた。
特に「クリスマス」は、この作家のいつものストーリー展開とはちょっと違っていて印象的な作品だった。こちらについてはまたいつか。


 


ワールド・トレード・センター

2006-10-09 | E 週末には映画を観よう

(061008)

9.11の実話をベースにしたストーリーは単純だ。センタービル内の人たちの救出作業にあたっていた警官が崩壊したビルの瓦礫の下に生き埋めになる。その内の二人が奇跡的に救出されて家族と再会するという物語。

大災害の後、何日か経過して子供が奇跡的に救出されたりする。新潟中越地震でもそんなことがあった。映画のなかでもトルコ地震で数日後に救出された少女の話を生き埋め状態の二人が交わす。

被災者たちはそういう出来事で大いに勇気づけられ元気が出る。そして被害を見舞う人たちはそこに心の安らぎを見いだす。

そう、この映画はまさにそういう効果を期待したものではないのか。先のような出来事をビジュアルに示すことで、事件によって傷ついた人たちを勇気付けること、そのことのみを狙ったのではないか。この映画はあの事件で傷ついた人たちにとってやはり必要だったのだ。

事件に関してはひとりひとりに物語がある。オリバー・ストーン監督は多くの人たちのなかから、生還した二人とその家族にピンスポットをあてた。
絶望的な状況の中で二人はお互いに励ましあいながら生きようとする、愛する家族のために。

映画ではあの日の事件そのもののトレースをあまりしていない。ツインタワーの崩壊シーンなどは視覚的な記憶として残っているから、観客は必要ならそのシーンを自ら補えばよい。

港湾警察署のベテラン巡査部長(だったかな)のジョン(ニコラス・ケイジ)が救出されて地下から地上に運び出されるシーン。

上方へ引いていくカメラが崩壊したビルで救出作業にあたっている信じられないほど多くの人たちを次第に映しだしていく。おそらく観客はそのなかに自分の姿を置く。救出に関わることができたのだと、自身を慰めたいがために。

エンドロールの最後に流れた静かなピアノ曲を聴いて涙がこぼれた。
 


市民交流センター審査 傍聴記

2006-10-08 | A あれこれ

昨日の原稿を加筆修正しました。改めてお読み下さい。



■ 塩尻の「市民交流センター」の2次審査が昨日(10/07)の午後1時から公開で行なわれた。各案のプレゼンテーションと質疑応答がまず行なわれ、その後提案者全員と審査員全員との間で質疑応答が繰り返された。予定時間の5時頃をかなり過ぎて、審査員の計3回の投票によってこの②案に決まった。審査が公開で行なわれることは最近ではめずらしいことではないが(審査の透明性を高めるということで最近行なわれるようになった)、長野県内の大きなプロジェクトでは始めての試みだった。

前稿に一次審査を通過した5案の模型写真を載せた。⑤案以外の4つの案は印象がよく似ていることが分かる。審査員による1回目の投票で②案と④案が同数で選出された。
①案には新しい構造的なシステムの提案が無く一般的なラーメン構造で解いたところが評価されなかった。建築の中に大通りを造ってその両側が図書館になっている。通りと図書館との間に視覚的な交流を生むという提案が他の案にないオリジナルな提案だった。

②案は構造的には壁柱をランダムに建てている。壁柱のシステムそのものは別に新しい提案でもない。ただそれが鋼板とコンクリートとの組み合わせによる厚さ18cmのPC(プレキャスト)版で可能だという。審査員の山本理顕さんや高橋晶子さんはこの壁柱によって規定される空間を魅力的と考えたようだ。また4つの雰囲気の異なる空間を創出してそこに相応しいジャンルの本をセットするという提案、仕事場をこの建築内に持つインキュベーションリーダーを点在させるという、ソフトな領域にまで提案を広げていた。ただ図書館の専門家の審査員からすれば、どうやらこの建築的な提案が??ということらしい。なるべく大きな無柱空間のワンフロアでないと図書館としての機能が充分発揮されないということなのだ。そういった観点からすれば、壁柱が邪魔ということになる。

このように建築家は建築的システムの提案に注目し、図書館の専門家はその機能性を重視した結果、表が割れた。山本さんは自身のプロジェクトでも新しい構造システムの提案をしているから、その観点からも作品を評価したと思う。

④案は7つのコアに各階のスラブを受けさせて構造的に成立させたもの。③もこの構造システムを採っていた。この2つの案は比較的大きな無柱空間が可能だが、これは「せんだいメディアテーク」で既に具現化されている。6人の審査員のうち、少なくとも山本さんと高橋さんは当然そのことには気が付いている。③案や④案が採用されれば「せんだい」が既にあることから塩尻の独自性という点で希薄になるな、と私は思った。おそらく山本さんと高橋さんが③案や④案を推さなかったのもその点に尽きるのではないか。そういう意味からすると、②案で建築システムとしてのオリジナリティが確保されたといったところだろうか。

③番の模型の印象は「せんだい」のチューブと呼ばれている鋼管の籠状の「柱」が以前ここで紹介した「銀座ミキモト」のボックスに置き換えられたものという印象だった。そのように捉えるかどうかは人によって異なるだろう、私はそう読み取った。そのことがやや独創性に欠けているのではないかと感じさせたのかもしれない。ただ妹島さんばりのコンセプチュアルな空間は魅力的だった。実際に体験してみたい提案だった。

⑤番だけ他の4案と異なった提案だったが、始めに浮かんだであろう空間の抽象的なモデルにリアリティを持たせることの詰めが少し足りなかった、ということなのかもしれない。あと1階のかなりのスペースを広場として解放するために図書館が地下になっていたことも気になった。あの場所に大きな広場を造るとしたら外に閉じるという判断は妥当だと思った。木漏れ日の空間で読書する心地よさにこだわっていたがそのことはよく分かる。また構造担当の川口衛氏(法政大教授、たぶんそうだと思う)のYポストという構造システムの提案は樹を連想させ、コンセプトと合致していて興味深かった。あんなにスレンダーな構造が可能だとしたら、なんとも魅力的ではないか。

結果的には、図書館単一ではなくて、市民交流施設との機能的な関係についてどう解くかが今回のポイントになったということだろうか、当然ではあるけれど。

今回のプログラムに対して建築の有効性を信じて熱心に取り組んだ全ての提案者に拍手を送る。

これからこの提案を基に議論を繰り返しながら、市民のいろんなニーズとのすり合せに入る事になるだろう。できればその過程も今回の審査のように「透明」に情報提供して欲しいと思う。ウェブサイトという最適の手段を利用して。

審査会場で偶然東京の友人と再会した。どうやらこのブログをみて私と会場で会えると考えたらしい。Sさん、こんどは日帰りではなくゆっくり遊びに来て下さい。


 


市民交流センターの計画案を解く

2006-10-08 | A あれこれ

 昨日行なわれた「市民交流センター」について一次審査を通過した5案のうち4案の印象がよく似ていたことは既に書いた。ネットでちょっと探偵してみた。建築設計事務所を主宰している方々ならば検索すればヒットするはずだ。

敢えて名前は記さない。そうか、伊東さんの事務所に在籍していた人が2人、別の1人はあの金沢21世紀美術館の初期からの担当者だった。質疑応答で自分の言葉で説明をした時、できる人という印象を抱いたがそういう経歴の持ち主だったんだ。この美術館の設計者の妹島さんは伊東さんの事務所の出身。検索して分かった3人には伊東DNAが組み込まれていたんだ。 

なんだ、兄弟の戦いだったってわけか。「せんだい」に似ているわけだよな・・・。 審査員との質疑応答のなかでちらっと妹島さんのようなプレゼンだねって言われた人は本当に妹島さんの事務所の出身者だったってことだ。
そうか、この人の案は「金沢」の地と図の反転プランと「せんだい」の断面で出来ているんだ!



金沢(左)の四角い展示室(図)が塩尻(右)では四角いボイド(地)に反転している。この人は「金沢」を初期から担当していたということだから、両者のアイディアが似てい
ることは全く不思議ではない。     
  

当選案の壁柱の構造的なアイディアは「銀座ミキモト」と似ているかなと思ったけれど全く関係ないということではなさそうだ。ミキモトは2枚の鋼板の間にコンクリートを充填するというアイディア、こちらは鋼板型枠の打ち込みパネル、考え方も違うか・・・。


実に簡潔で明快な説明で分かりやすいプレゼンテーションだった、素直に拍手を送る。

改めて「せんだいメディアテーク」の設計者、伊東さんの凄さを認識した。現在のある意味では最先端を行く伊東さんの建築を引き継ぐ担当者達を間近で見たということなんだ。

今回のプログラムに対して建築の有効性を信じて熱心に取り組んだ全ての応募者に拍手!


 


繰り返しの美学を本に探す

2006-10-08 | B 繰り返しの美学



村上龍の小説は読むほうだが、この短篇集は以前書店で見かけたものの購入しなかった。
先日ある書店で見かけたとき気が付いた、「あ、繰り返しの美学!」

空港は機能上、長大な空間になる。繰り返しの美学の宝庫だ。最近旅行をしていないので空港へ行く機会が全く無い、残念。

ところでこの表紙の空港はいったい何処だろう・・・。人の様子などから、なんとなく国内の空港のような気がする。でも関西国際空港ではなさそうだ、いやそうかな、でもあそこにはオープンエアダクトが天井に付いているはず。
Y字型の白い鋼管柱、張弦梁のタイロッドを支える束材もよく見るとY字型をしている。天井の明るいところはトップライトだろうか。かなりハイテックで美しいデザインだ。

確か「ターミナル」というタイトルだったと思うが空港を舞台にした映画があった。空港はなかなか綺麗なデザインの構造だったが、巨大なセットだったと後で知って驚いた。

この写真は間違いなくどこかの空港、何処だろう・・・。


市民交流センター審査 傍聴記 2  

2006-10-08 | A あれこれ



○ 公開された記名投票の結果(061007)



■ 敷地に模型をセットしてプレゼンが行なわれた。

塩尻市の「市民交流センター」の2次審査は、既に書いたように5案についてプレゼンテーションのあとの質疑応答を経て審査員の投票が行なわれた。1回目は6人の審査員がそれぞれ2案に投票した。その結果、②案と④案が同数で残り、2回目にはそのどちらかの案に投票したのだが、結果は上の写真のように、同数だった。(会場ではビデオ撮影は禁止されていたが写真撮影は認められていた)

この2案について追加プレゼン、質疑応答を経て再度(3回目)投票が行なわれて②案に決まった。審査員の人数は奇数にすべき、ということなのかもしれない。

審査員のひとり、高橋晶子さんは92年、高知県立坂本龍馬記念館のコンペに当選して実質的なデビューを果たした。この年山本理顕さんの設計した熊本県営保田窪第1団地が完成して、集合住宅の新しいプログラムの提案が話題になった。他にも安藤さんのセビリア万博の日本館や隈研吾さんのM2などがこの年に完成している。

この部分の記述は『新建築 9512臨時増刊 現代建築の軌跡』に拠っているが、今回選ばれた案も、上の例のように、時代を代表する建築として位置付けられ、雑誌などに取り上げられるということになるのだろうか・・・。

親しまれ大いに利用される建築となるのかどうか、評価は完成後キッチリと下されることだろう、利用する市民達によって。


 

 


速報 塩尻のプロポ 審査結果

2006-10-07 | A あれこれ

審査風景






塩尻の「市民交流センター」のプロポの2次審査の結果、②案に決定しました。今回は結果のみ報告しておきます。
帰宅してから酒席を伴う会合に出席したためアップが遅くなりましたが、地元の新聞でも結果に関する報道は朝刊になると思います。一番早い結果報告になるかもしれません。
大手の新聞社のサイトでも個人のブログでも情報発信という意味では全く等価だということを実感します。


記憶との符合

2006-10-06 | E 週末には映画を観よう

■ あるいは既に書いたかもしれない。今年の1月、中学時代の同級生達と京都旅行をした、そう2回目の修学旅行。気心の知れたオジちゃんやオバちゃん達との旅行は楽しかった。残念ながら中学の修学旅行の記憶はほとんど無い。既に忘却の河を遠く流れ去ってしまっている。清水寺に行ったことだけは覚えているが、誰と一緒だったのか?何処に泊まったのか・・・。街中の移動はどうやって?

「記憶との符合」とタイトルに書いたがそもそも修学旅行の記憶がない。

一昨日(4日)、新聞のテレビ欄に「ドクトル・ジバゴ」と載っていた。懐かしい映画・・・。

出演していた俳優の顔もストーリーもすっかり忘れてしまったが、あの「ラーラのテーマ」、全編に流れていた名曲は覚えている。ところが流れてこない・・・。とうとう前編が終ってしまった。あの曲が流れるのはもしかして後編になってからだったのだろか。

後編も録画しておいて観たが、当然のことながら微かな記憶と符合するシーンは出てこなかった。DVDで借りることができるだろうか・・・

「太陽がいっぱい」「第三の男」「ひまわり」「ライアンの娘」・・・懐かしい映画、今度探してみよう。