透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

週末のミニミニ講座

2011-11-02 | A あれこれ



 古(いにしえ)の都で使われていた言葉が地方に「方言」として残っている・・・。

先週の土曜日(10月29日)にカフェ バロで行われた「週末のミニミニ講座」を受講しました。

信州の方言といえばやはり「ずら」です。例えば「夜ふかししたずら(夜ふかししたでしょう)」「すこしやせたずら(すこしやせたでしょう)」と言います。相手に確認したり同意を求めるときなどの表現です。久しぶりの電話で「赤ちゃん、大きくなったずら(大きくなったでしょうね)」などと訊いたり、「お昼はラーメンでいいずら(いいよね)」などと言います。

この「ずら」の原形というかルーツが「古今集」だとか「宇治拾遺物語」といった(名前だけは知っている)古典にでてくる!という、びっくり講義でした。

「とぶ」という言葉も信州では使います。空を「飛ぶ」ではなくて、走ることを「とぶ」と言うのです。かけっこのことを「とびっくら」(とびくらべという意味)といいます。運動会のかけっこで「とべ!とべ~っ!」と応援していれば「速く走れ~!」という意味です。

この「とぶ」という言葉があの「枕草子」、名前だけでなく中身も多少知っている平安時代のエッセイにでてくるという指摘。「へ~ぇ、そうなんだ」でした。

畑で余分な菜を「おろ抜く」の「おろ」って何? バロのKさんのこの疑問が今回の講座のきっかけになったそうです。「おろ」は宇治拾遺物語に**年七十餘ばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、(後略)**と出てきて、疎という漢字をあてるとのこと。いいかげんだとか、まばらという意味だとの説明でした。

古文の講義を受けるのは高校以来のことでした。高校の時とは違って1時間真面目に受講しました。(^^)v


 


「どくとるマンボウ追想記」

2011-11-01 | A 読書日記



 「山」と言えば「川」。合言葉ではこういうことになっている。では「どくとるマンボウ」と言えばどうだろう・・・。

「青春記」。10人中、5人はこう答えるのではないか。3人くらい「航海記」と答えるかもしれない。特に北杜夫ファンでなくてもこのふたつのタイトルは挙げることができるだろう、と根拠もなく思う。1人くらい「昆虫記」と答えるかもしれない。「途中下車」や「追想記」、「医局記」などはあまり挙がらないだろうと思う。

『どくとるマンボウ途中下車』中公文庫を読み終えた。

北杜夫がなぜ松本高等学校を受験しようと思ったのか、この本にその理由が書いてある(たぶん本当のことだろう)。叔父さんが戦前、松高生として信州にすごしていたそうで、その叔父さんのアルバムに惹きつけられたことがその理由だとか。

**なかでも、一枚の写真に私は惹きつけられた。地面は一面の花の海である。これが噂にきくお花畠だなと私は思った。(中略)信州というだけでひとかたならぬロマンチックなものを感じた。当然そこには、ほっそりとした、夢のような少女がいてよいと思った。その少女といっしょに、花畠に寝そべったらどのように素敵であろう。かくして、私は松本高校を受験することを心に決めた。**(110頁) **さらに私の夢想した妖精のごとき少女、これがどういうものか信州にはいないようであった。少なくとも私の前に現われてこなかった。寒気のためか、信州の女性は頬が丸く赤すぎた。**(111頁)

続けて、**何事も遠く離れて夢想してだけの方が幸福だというのは本当のことである。**(111頁)と結ぶ。落語のような、西洋のジョークのような終わらせ方をしたものもある。どの文章も結びがうまい。

さて「どくとるマンボウ」シリーズ、次は「追想記」を読もう。幼少期から松高に入学するまでの思い出を綴った「追想記」。今回「航海記」はパスしてこの「追想記」を読み終えたら「昆虫記」でこのシリーズは終わりにしよう。