透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「ソラリスの陽のもとに」

2022-06-18 | A 読書日記

480
『ソラリスの陽のもとに』スタニスワフ・レム(ハヤカワ文庫1993年23刷) 

■ このSFを初めて読んだのは今からおよそ30年前。その何年か後に再び読んだが、数日前にまた読み始めた。昨日(17日)の朝カフェでも読んだ。名作は何回でも読みたくなるものだ(過去ログ)。

この小説のすごいところは、ソラリスという惑星を覆う海が知的生命体という設定。よくこのような既知の概念を超越した生命体をイメージできたと思う。それから、この「海」がソラリスを観測するステーションの研究者の脳内を検索して、記憶を読み解き、それを目の前に出現させてしまうという設定。

この作品を基にした映画が2回制作されている。1972年にソ連のタルコフスキーによって「惑星ソラリス」が制作され、それから30年後の2002年、今後はアメリカのスティーブン・ソダーバーグによって「ソラリス」が制作された。

「惑星ソラリス」は昔々、学生の時に岩波ホールで観たが、「ソラリス」は観ていなかった。この作品はあまり高評価ではなかったと思うし、それほど話題にもならなかったと記憶している。

昨日、原作の『ソラリスの陽のもとに』を読んでいて、「ソラリス」ことを思い出し、TSUTAYAで借りてきた。昨夕、さっそく観たが「惑星ソラリス」とは全く違う作品だった。当然のことだが。

ソラリスを覆う「海」。タルコフスキーの「海」は、地球の海の実写だろう。CGなど無い時代だ。何かを生み出すという地球の海のイメージ。ソダーバーグの「海」はCGで描かれ、赤紫色。観ていて、この海からは何も生まれそうにないなぁ、と思った。これはもちろん個人的な感想に過ぎない。

主人公・クリスの過去の記憶にある妻のハリー(*1)との交歓シーンとソラリスの「海」によって記憶からつくりだされた、仮想ともいえる「客」のハリーとのステーション内での交歓が交互に描かれる。妻を自殺に追い込んでしまったという自責の念もあるからだろう、クリスは目の前に出現したハリーを愛そうとするし、ハリーもそれに応えようとする。観ていて、この映画が何を伝えたいのか分からなかった。自分なりの解釈すらできず、戸惑っているうちに終わってしまった。

タルコフスキーの「惑星ソラリス」についての感想を過去ログから引く。2016年にDVDで観た時の感想だ。**主人公クリスの脳内検索によりソラリスの海が出現させたのは彼の家族と彼が生まれ育った家とその周辺の姿だった・・・。心の深層にあって忘れ難きは家族と故郷、たとえ地球から遥か離れた宇宙にいたとしても。それが原点ということなのだろう。**

この映画のDVDをもう一度観ようと思う。今度はどんな感想を抱くだろう・・・。


*1 映画では名前をレイアと変えてある。


「野分」

2022-06-17 | G 源氏物語

「野分 息子夕霧、野分の日に父を知る」

 **春か秋かと競う時、昔から秋に心を寄せる人のほうが多かったけれど、名高い春の御殿の花園に夢中だった人々ががらりと心変わりする様は、時勢になびく世の有様と変わりがない。**(129頁)「野分」の帖を紫式部はこのような時事評論的な一文から書き出している。「源氏物語」は時に政治的な背景を説き、評論的な内容も書いている。文学論もあった。俗な週刊誌の連載小説とは違う。尤も、熱心な読者である宮中に仕える女性たちの関心を惹くような話題、恋愛物語的な要素が強いのだろうが。

秋好中宮(あの六条御息所の娘)は実家である六条院の秋の御殿に里帰りして、留まっている。八月。野分(台風)が激しい勢いで六条院を襲う。夕霧が野分の見舞いに六条院を訪れる。そこで紫の君の姿を見てしまった夕霧は、あまりの美しさにすっかり心を奪われてしまう。樺桜のようだと一目ぼれ。**春の曙の霞のあいだからみごとに咲き乱れた樺桜を見るかのような気持になる。(中略)その魅力的なうつくしさは、周囲をも照らし、類を見ないすばらしさである。**(130頁) 復習、紫の上は藤壺の姪。この女性にたちまちロックオンされた夕霧は、他の美しい女房たちに目を移すことができない。紫の上はいったいどんな女性なんだろう。再来年の大河ドラマ「光る君へ」には作中の女性たちは登場しないのかな・・・。

夕霧は父君が紫の君から自分を遠ざけてきた意図が分かる。光君は息子が紫の君に一目ぼれしたことを見抜いてしまう。夕霧は律儀な性格、野分をこわがる大宮(おばあちゃん)のことが心配で顔を出している。**「この年になるまでこんなものすごい野分に遭ったことはありませんよ」**(132頁)**「こんな中よく来てくださったこと」**(132頁)と大宮は震えながらも喜ぶ。

夕霧は思う。なぜ父君はあんな美しい紫の君がいるのに、花散里のようなお方も妻にしているのかな、と。花散里は美人ではないけれど誠実で心変わりしない女性だから、という理由(わけ)は若い夕霧には分からないのだろう。無理もないと思う。

光君も夕霧をお供に中宮、明石の御方を見舞い、玉鬘を訪ねる。そこで夕霧は・・・。**何かおかしいぞ、父娘と言いながら懐に抱かれるばかりに近づいていい年頃でもないのに・・・・・と、目を離せない。(中略)あまりの異様さに心底驚いてなおも見入ってしまう。**(139頁)

でも、夕霧は玉鬘はお姉さんだけれど、母親が違うのだからと思って**あるまじき思いを抱きかねないほど魅力的に思える。** あるまじき思いって、単なる恋心ではないのでは・・・。 

光君が玉鬘に親密に話しかける。すると急に立ち上がって**吹き乱る風のけしきに女郎花しをれしぬべきここちこそすれ**と詠む。**あなたの強引さに私は今にも死んでしまいそうな思いです**(140頁)やはり玉鬘は理性的だ。

その後、夕霧は明石の姫君(異母妹)を訪ねる。姫君が紫の上の部屋に行っていて留守だったので、待つ間に雲居雁(幼なじみのいとこ)に宛てて手紙を書く。やがて戻ってきた姫君の姿を夕霧はちらっと見た。

紫の君は桜、玉鬘は山吹の花、可憐な明石の姫君は藤の花がふさわしいなぁ。夕霧、女君の品定め。

物語には世代交代の空気が・・・。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋                     


諏訪大社 四社めぐり

2022-06-17 | A あれこれ

 昨日(16日)の朝、急に思い立って諏訪大社 四社(上社の前宮と本宮、下社の秋宮と春宮)めぐりをしてきた。

480
上社前宮 拝殿


上社前宮 御柱 

御柱は7年目毎、寅年と申年に建て替えられる。次回の御柱は2028年(令和10年)。



上社本宮 拝殿と翼廊状の片拝殿



下社秋宮 神楽殿


下社秋宮 幣拝殿(弊殿と拝殿が一体となったもの 二重楼門造り)



下社春宮 神楽殿(御神前にお神楽を奉納するための建物)


下社春宮 幣拝殿(中央)と片拝殿(両側) 


 


諏訪市四賀の火の見櫓

2022-06-16 | A 火の見櫓っておもしろい


1347 諏訪市四賀 四賀公民館 4脚44型(踊り場の扱いでずっと迷っている)撮影日2022.06.16

 櫓の逓減する様はなかなか良いが脚が短め。諏訪型とでも名付けたくなるような、諏訪方面でよく見かける姿・形の火の見櫓。


面取りした見張り台。方杖に難あり。やはり柱の同じ位置から2本の方杖を出して欲しい。その方が美しい。梯子の上端を見張り台の床面で止めているが、これだと上ってきて見張り台に移るとき、その逆のとき、非常に怖い。床面から1メートルくらい突出させるのが好ましい。


平面が4角形(四角形と表記するのが一般的だが、敢えてこのように表記している)の櫓は水平構面が面内変形しやすい。この火の見櫓は各構面の4隅に火打を設置して変形を防いでいる。


トラス構造の脚。このような脚のつくり方が構造的にも見た目にも望ましい。


脚部に取り付けられている銘板に注目。この写真では読み取れないが、建設資金を寄附した20社の社名が記されている。寄付金の合計は334万円になる。この金額で建設費を賄えたのだろう。


銘板の左端に記された竣工年を見た時、昭和二十年かと思った。だが設立年がもっと後年の会社が複数記されていることから、昭和二十年ではないことが分かった。終戦の直前でもあるし。上の写真を見ると明らかに昭和六十年だ。この頃建設された火の見櫓は少ない。この頃になると部材相互の接合にリベットは使われず、ボルトが使われていたことがわかる(銘板の右奥にボルトが写っている)。

昭和三十年に辰野町に建設された、これと同様の型の火の見櫓について、拙著『あ、火の見櫓!』に契約書を載せて**請負金額は15万円です。これは今現在どのくらいの金額になるのでしょう。国家公務員の初任給を基準に単純計算すると、この火の見櫓の建設費は320万円くらいになります。これは安いような気がします。倍くらいになるでしょうか。**(168頁)と書いた。320万円、案外実際の金額に近い数字をはじいていたのかもしれない。


 


173枚目

2022-06-16 | C 名刺 今日の1枚

173
 昨日(15日)、長野県朝日村の朝日美術館へ出かけて「カミジョウミカ展2021+1」を鑑賞した。その際、この4月に着任したという学芸員さんに声をかけられた。午前中の早い時間帯で会場にいたのが私だけだったということもあるだろう。私のブログを閲覧したことがあるとのこと。私は作品の感想などを話した。抽象画が好きだということ。カンディンスキーやミロが好き、ということも伝えた。

作品を一通り鑑賞した後、会場内の写真撮影の許可を得るために、今度は私から声をかけた。で、名刺を交換したという次第。名刺交換の必要もなかったが、先月名刺を増刷して、使いたいと思っているので・・・。これからも顔を合わせる機会があるかもしれない。


 


「カミジョウミカ展2021+1」

2022-06-15 | A あれこれ

560
「カミジョウミカ展2021+1 芋虫のような手指で描く自分」


作品展が開催されている朝日美術館

 朝日美術館に行き、開催中の「カミジョウミカ展2021+1 芋虫のような手指で描く自分」を鑑賞してきた。会場に展示された数多くの作品の楽しい形、豊かな色彩、細密描写に魅せられた。微風にも野の草花が揺れるように、心に浮かぶイメージを何かに縛られることなく自由に表現しているように思われる。うまく描こうなどという邪念を全く感じない作品に感動、作品を鑑賞し始めて間もなく涙が出た。

**描くことは生きること。生きることは描くこと。
そして、日々「おもしろオカシク楽しく描く」**
というカミジョウミカさんのことばがリーフレットに載っている。これは単なるコピーではもちろんなく、心から思い、日々実践していることだろう。


数多くの作品(*1)に彩られた展示室




ぼくは抽象画が好き。どの作品もとても魅力的だったけれど、左側の展示パネルの紫色の作品「マボロシの街に宇宙人がいた」が一番気に入った。好きな色使いだから。会期中にもう一度出かけたい、と思う。

 緑豊かな朝日村の美術館(長野県東筑摩郡朝日村古見1308 電話:0263-99-2359)で開催中の「カミジョウミカ展2021+1」をみなさんにおすすめします。


*1 作品リストには176点もの作品が載っている。


「篝火」

2022-06-15 | G 源氏物語

「篝火 世に例のない父と娘」

 この帖(巻)は短く、「角田源氏」では4ぺージ(実質3ページ)しかない。

内大臣が引き取った近江の君の評判が芳しくない。この姫君の扱いをめぐって内大臣が非難されている。世間の噂を聞くにつけ、玉鬘は自分も実の父親である内大臣のおそばに参っていたら、恥ずかしい思いをしていたかもしれないと思い、光君に引き取っていただいて良かった、としみじみ幸運を感じている。

光君は玉鬘に下心を持ってはいるものの、男女の関係を迫ろうとはしない。で、玉鬘も次第に心を開くようになる。秋のある夜、**光君は琴を枕にして姫君とともに添い寝している。**(124頁) こんなことをしているのに・・・。

その夜、光君は女房に見咎められるかもしれないと思って帰ろうとするけれど、庭先の篝火に照らされる玉鬘があまりにも美しいので、帰りがたくてぐずぐずしている。そこで、**「篝火にたちそふ恋の煙(けぶり)こそ世には絶えせぬ炎なりけれ」**(124頁)と恋心を詠む。このくだりを読んでいて、「君といつまでも」と願う気持ちは加山雄三の歌にもあるなぁ、と思う。

これに対する玉鬘の返歌が実に好い。**「行方なき空に消(け)ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば」**(125頁)篝火のついでに立ちのぼる程度の恋なんですね。そんな恋の煙なんて果てのない空に消し去ってくださいな。やはりこの姫は賢い、いや紫式部は賢い。

この後、夕霧と柏木たちが招かれて笛を吹いたりする。玉鬘を実の姉とも知らずに恋心を抱く柏木は、彼女を前に緊張しながら琴を弾くのだが、この場面はわたしにはどうでもよくて(今後の展開上意味があるのだろうけれど)、この短い帖は上に挙げた玉鬘の返歌に尽きると思う。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋


「常夏」

2022-06-14 | G 源氏物語

「常夏 あらわれたのは、とんでもない姫君」

 暑い日。光君は六条院の釣殿で涼んでいる。池の中にあるのだから、涼しいと思う。そこで中将の君(夕霧・息子)や親しい殿上人たちと鮎やいしぶし(川魚の一種)などを味わっている。「源氏物語」で食事する場面が描かれるのは、珍しいのでは。光君の目の前で料理人が調理している(*1)。再来年(2024年)の大河ドラマは紫式部が主人公とのことだが、平安貴族の食事の様子も出てくるだろう。

中将の君を訪ねて内大臣家の子息たちもやってくる。ちょうどいいところに来てくれた、と光君は歓迎して**氷水を持ってこさせて水飯(すいはん)にして、それぞれにぎやかに食べはじめる。**(101頁)水飯って、お茶漬けのようなものなのかなと思って、検索してみた。冷やし茶漬け、山形県に今でもあるとウィキペディアに出ていた。魚を肴にお酒を飲んで、冷やし茶漬けサラサラ、いいなあ。

光君は内大臣(って、かつての頭中将)の次男に近江の君の噂の真相を訪ねる。**「(前略)その娘のこともまったく無関係とは言えないのではないか?父君もずいぶんと奔放にあちらこちらと忍び歩きをしてきたようだしね。(後略)」**(102頁)などとからかう、いや皮肉を言う。本人に向かってするべきだと思うけどな。

夕方。宴たけなわといったところだろうか、**「気楽にくつろいで涼んでいったらいい。だんだん、こうした若い人たちに疎まれるような年齢になってしまったな」**(103頁)と言って光君は席を立つ。手元の源氏本によるとこのとき光君は36歳。当時人生50年、いやもっと短かったか。光君はもう中年おじさん。

さて、内大臣が引き取った近江の君。彼女はおバカキャラ、でも憎めない人。**「私は草仮名をよく読めないからかしら、歌のはじめと終わりが合っていないように見えるけれど」**(118頁)などと女御に言われ、女房たちの失笑を買う始末。詠む和歌の辻褄が合っていないのだ。彼女が早口なことも気になって仕方がないようで・・・。

一方、玉鬘は以前ほど光君を嫌がることもなくなっている。だが、光君は自制して男女の関係を迫ろうとはしない・・・。

物語は進む、人は変わる。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋


*1 『源氏物語 おんなたちの世界 信州の源氏絵をひもといて』堀井正子(信濃毎日新聞社2009年)にこの場面の屏風絵が載っている。**包丁を手に、まな板を前に、献上された魚を目の前で調理して出す。**という解説文から、刺身かもしれない。獲れたての魚が献上されたのかも。


空間を切り撮り、時間を切り撮る。

2022-06-12 | A あれこれ


 

 安曇野市豊科近代美術館で開催中(会期:05.29~07.10)の土拳 拳記念館コレクション展に行ってきた。『古寺巡礼』『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』などのテーマの作品が展示されていた。作品点数は約140点とのこと。

チケットやリーフレットに使われている若い看護師の写真は、モノクロで色の要素がなく、マスクとキャップをつけている顔のアップだからだろうか、グラフィックな印象を受ける。仏像のディテールを捉えた写真もやはり同じで、対象だけを切り取り(切り撮りという表記の方がよいのかもしれない)、それ以外のものを徹底的に排除している。そのためにすごくインパクトがある。砂取りゲーム(砂で作った山のてっぺんに棒をさして、棒を倒さないように周りの砂を両手で取り除いていく。棒を倒した者が負けというゲーム)のように取り除いて取り除いて最後に残ったものだけを撮った写真には研ぎ澄まされた感性を感じる。

その一方で、路上で無邪気に遊ぶこどもたちを撮ったモノクロ写真はスナップ的でこどもたちの一瞬の表情を捉えている。連写はしていないから、連続的な時間の流れから一瞬を切り撮っている。 片や空間を切り撮り、一方で時間を切り撮る。両方を完璧にやってのけた土門 拳という写真家はやはり凄い。

写真展のコピーの「肉眼を超えたレンズ」をどう解釈するか・・・。ただ単に肉眼よりカメラのレンズの方が能力的に優れているという意味ではないだろう。肉眼は対象を見る一般人の目、レンズは土門 拳の美的感性と知性に裏付けされた観察眼、というように解釈したい。そうではない、ということを承知の上で・・・。


山形県酒田市にある土門拳記念館に出かけていったのはいつ頃だっただろう。記念館の開館(1983年)直後だとすると、40年近く前のことになる。谷口吉生がデザインしたモダンな空間に土門 拳の作品がよくフィットしていたことを覚えている。


「収容所から来た遺書」辺見じゅん

2022-06-11 | A 読書日記



 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』辺見じゅん(文春文庫2021年23刷、単行本1989年)を昨夜(10日)読み終えた。よかった、この本と出合うことができて。これは読んでおくべき本だと思った。大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞を受賞している。

目次の次に見開きで昭和21年当時の「ソ連領内の抑留日本人収容所(ラーゲリ)分布図」が載っている。広大なソ連領内の全域に収容所がプロットされている。収容所は1,200か所もあり(こんなにあったのか、と驚く)、抑留された日本人は60万人にものぼったそうだ。恥ずかしながら僕はこの本を読むまでこんなことも知らなかった。

1945年(昭和20年)8月敗戦、極寒のシベリア。収容所の劣悪な環境で餓えに苦しむ抑留者は過酷な労働を強いられる。多くが絶望する中、決して諦めることなく周囲の人たちに希望を与え続けた山本幡男さん。彼は亡くなった仲間の通夜の席で死を悼む歌を詠み、時にロシア人将校の監視をのがれて万葉集を仲間に講じ、句会も開き、俳句を講評するような教養人。彼は仲間たちの心の支えとなっていて、仲間を励まし続けた。みんなで、かならず生きて日本に帰ろう、と。

だが・・・、病魔が山本さんを襲う。喉頭癌に侵されるも治療を受けることができない。死期を自覚した彼は仲間のすすめに応じて遺書を書く。薄れかけてきている視力、激痛。最後の力を尽くして家族に宛てて書かれた遺書は4でノート15頁、4,500字にも及ぶ。引用は控えるが遺書の内容からも山本幡男という人の凄さが分かる。1954年(昭和29年)の8月、山本さんは誰にも看取られず息を引き取る。昼間だったため、収容所の仲間たちは作業に出ていたのだ。

彼を慕う仲間たちは「遺書を必ず家族に届ける」と強く誓う。だが、文字を書き残すことはスパイ行為とみなされてしまう。遺書を書き写すこともままならない。遺書を隠し持っていて、発見されれば収容所へ逆戻りとなり帰国の道は完全に断たれてしまう・・・。彼らが採った方法は遺書の暗記。分担して一字一句漏らさず正確に暗記するという方法。

**(前略)人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。(後略)**(231頁)これは子どもたちに宛てた遺書だが、難しい言葉で綴られている。6人かな、分担したとはいえ暗記するのは大変だったのではないかと思う。

拘留者たちも徐々に帰国していくが、山本さんがいた収容所の仲間たちの帰国の願いは叶わない・・・。時は流れ、1956年(昭和31年)12月。戦争に負けてから11年も経って、遺書を暗記した仲間たちは大勢の帰還者と共に復員船の興安丸から降ろされたタラップを登る。出帆の汽笛が鳴り、興安丸はナホトカの岸壁を離れる・・・。帰国、雪降る舞鶴。

その後、山本幡男さんの奥さんのところに、記憶をもとに書き起こされた遺書が届けられる。居所を訪ねて直接手渡される遺書、郵送されてくる遺書。最後に遺書が山本家に届けられたのは1987年(昭和62年)の夏のことだった、という。

終戦後にこんなドラマがあったということは全く知らなかった。それにしても戦争という最悪の愚行によって、命を失った人たちは無念だっただろう。遺書を読んでいて、つらくて、悲しくて涙がでた。

このノンフィクションは映画化され、今年の年末に公開されるという。





「蛍」

2022-06-10 | G 源氏物語

「蛍 蛍の光が見せた横顔」

 玉鬘は光君の振る舞いにどうしたらいいのか思い悩む日々。光君の弟の兵部卿宮は玉鬘に恋文を送っている。光君はなかなか返事を書かない玉鬘に向かって書くべき言葉を口にして返事を書くように勧める。このことについて作者は**この手紙に兵部卿宮がどう対応するのか、見たいと思っているのでしょうね。**(82頁)と書く。どうも紫式部は光君のことをあまり好意的に思っていないようだ。

珍しく返事があったので、兵部卿宮が玉鬘の許を訪ねる。それは五月雨の晩のことだった。別の部屋から近くに寄ってきた光君が、薄い帷子(かたびら)に包んでおいたたくさんの蛍を放つ・・・。蛍の光に浮かび上がる玉鬘、そっとその様をのぞき見た宮はその美しさに目を奪われてしまう。光君の企み、成功。

宮はさっそく歌を詠み送るが、玉鬘の返歌はそっけない。この帖が蛍と名付けられているように、この夜の出来事は印象的。暗闇の中で蛍の光は玉鬘を妖しく浮き立たせたことだろう。その後も宮は恋文を送るけれど玉鬘の返事は相変わらずあっさりしたもの。

光君は他の女君のところにも出向いているが、その様は省略。

長雨が続く。**六条院の女君たちは絵や物語などのなぐさみごとで日々を暮らしている。**(90頁) 玉鬘も絵物語に夢中になっている。そんな中、光君は玉鬘の部屋を訪れて、物語とはどういうものなのか、その意義を説く。

少し長くなるが本文から引用する。**「だれそれの身の上だとしてありのままに書くことはないが、よいことも悪いことも、この世に生きる人の、見ているだけでは満足できず、聞くだけでもすませられないできごとの、後の世にも伝えたいあれこれを胸にしまっておけずに語りおいたのが、物語のはじまりだ。(後略)」**(92頁)これは紫式部が『源氏物語』執筆の動機を語った場面ともいえる、と思う。

引用文は次のように続く。**「(前略)内容に深い浅いの差はあれど、ただ単に作りものと言ってしまっては、物語の真実を無視したことになる。(後略)」**(92頁)。角田さんは同じ作家としてこのくだりを頷きながら訳したのではないか、と思う。

ここで話が飛ぶ。塩尻のえんぱーくで11月に作家の島田雅彦さんの講演が予定されている。手元のリーフレットによると、演題は「フィクションの方が現実的」となっている。この演題からして、上記に通じる内容ではないかと思われる。奇なる真実は小説(フィクション)の方がリアルに伝えられる、ということか。千年も前に、今にも通用する文学論を綴っていた紫式部、平安のこの才女はすごい。

源氏物語はこの先、どのように展開していくのだろう・・・。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋
                 


「山の音」川端康成

2022-06-09 | A 読書日記


朝カフェ読書2022.06.07『山の音』川端康成(新潮文庫2022年新版)

 一昨年(2020年)自室の書棚のカオスな状態を解決しようと、約1,700冊の本を古書店に引き取ってもらったが、その中では文庫の数が最も多く、約1,100冊だった。また読みたくなったらその時買えばよい、そう思っていた。

川端康成の『山の音』が読みたいと思い、改めて買い求めて読んだ。なぜ今『山の音』? 

主人公は60過ぎの尾形信吾。信吾は息子の奥さんの菊子に淡い恋情を抱いている。昔好きだった女性と似ているということで。これって源氏物語の光君が例えばとても好きだった夕顔によく似ているということで娘の玉鬘を好きになったことと同じじゃないか、と思ったことが直接的な理由(理由にもなっていないか・・・)。

川端康成は3歳のときに亡くなってしまった母への追慕の念断ちがたく、若い女性(亡くなった母親も若かったから当然)に母を求め続けていたんだなぁ・・・。このことをモチーフに文学作品に仕立て上げた。光君もやはり3歳で母親を亡くしている。で、やはり母親探しを続ける。ちなみに紫式部も幼少期に母親を亡くしているとのこと。

さて、『山の音』。カバー裏面には**家族のありようを父親の視点から描き、「戦後日本文学の最高峰」と評された傑作長編。**とある。なるほど、新潮文庫では1957年に発行され(*1)2020年に105刷となっていて、長年読み継がれていることという私が思う名作に必要な条件をクリアしている。

この小説をいつ頃読んだのか。過去ログを検索して、2010年だったことが分かった。



小説の最後の方で信吾がある朝突然ネクタイのしめ方がわからなくなってしまい、菊子に結んでもらおうとする場面だけははっきり覚えていた。この場面を前回は**信吾はまかせたつもりになっていると、幼い子がさびしい時にあまえるような気持ちがほのめいた。菊子の髪の匂いがただよった。** 例えばこの何気ない描写にもエロティックな雰囲気が漂っている。ここで信吾が菊子の肩に手をかければ・・・。菊子も義理の父親に恋慕の情を抱いているのに、理性的に振舞うふたりの間には何も「起こらない」。このように書き、下線も引いていた。これが俗な小説とは違うところだろうか・・・。

それからある夜、不気味な山の音を聞いた信吾が死期を予告されたのではないかと思って恐怖におそわれるところも覚えていた。これが題名「山の音」になっている。

同居している子どもたちのトラブルに悩まされる信吾。息子は結婚して2年も経たないうちに不倫するし、娘は結婚した相手とうまくいかずに小さな女の子ふたりを連れて戻ってくる。やがて息子の奥さんと不倫相手が同じころ妊娠し・・・。娘の夫が伊豆の温泉で心中したことが新聞で報じられる。信吾は妻の保子とは波風立てずに暮らしてはいるけれど、**夢で菊子を愛したっていいではないか。夢にまで、なにをおそれ、なにをはばかるのだろう。うつつでだって、ひそかに菊子を愛していたっていいではないか。**(292頁)などと思うこともある。

向田邦子の『あ・うん』(文春文庫2006年4刷)を読んだ時も思ったが、昭和の家族ってずいぶん密に繋がって暮らしていたんだなぁ。

なぜこの小説が高く評価されたのか、よく分からないなぁ。感性が鈍ったのかな・・・。


*1 この作品は1954年に筑摩書房より刊行された。


花は昆虫用のヘリポート

2022-06-09 | A あれこれ

 昨日(8日)の午後は雨という天気予報だったので午前中に信州スカイパークで散歩をした(まっすぐ前を向いて両腕を前後に大きく振りながらのウォーキングではなくて散歩)。1回6,000歩を目安に週2,3回の散歩を自分に課している。今、スカイパークは薔薇が見ごろだ。他にも何種類もの花が咲いている。






信州スカイパークは信州まつもと空港を取り囲むように整備された公園で1時間ほどの散歩中に旅客機やヘリコプターが離着陸する。昨日その様子を見ていて、何年か前に読んだ『ウニはすごい バッタもすごい』本川達雄(中公新書)に書かれていた「花弁滑走路説」を思い出した。本川さんは、この本になぜ花びらが5枚の花、5弁花が多いのか、その理由(仮説)を書いている。それが花弁はただ見せるだけの看板ではなくて、虫を花の中央へと導く滑走路のようなものではないか、というもの。このことについて書いた私の記事はあまり説明が上手くないが載せておく(過去ログ)。

花を観て、滑走路というよりヘリポートのようだな、と思った。でも花弁一枚一枚に注目すれば滑走路なのかな。じゃあ多弁花の場合は? やっぱりヘリポートという捉え方でいいんじゃないかな・・・。滑走路とすれは虫は飛行機、でもホバリングしながら花にアプローチする様はやはりヘリコプター。花の様子だけでなく、このことからも花はヘリポートだと捉えれることが妥当だと私は思う。虫と花の大きさからしても。

この中でヘリポートとしてのデザインはロージー・カーペット(左上)が1番かな。昆虫によって好みが違うと思うけれど、私としては。


 


「胡蝶」

2022-06-07 | G 源氏物語

「胡蝶 玉鬘の姫君に心惹かれる男たち」

 夕顔はその昔、光君がぞっこんだった女性。ある日、光君は夕顔を廃墟のような邸に連れ出した。ふたり水入らずで過ごそうという魂胆。ところがそこで夕顔は物の怪にとりつかれて急死してしまう。「胡蝶」に出てくる玉鬘は夕顔の娘で光君の養女。

非の打ちどころのない美しさの姫君・玉鬘に思いを寄せる男たちが多く、恋文がたくさん届く。で、光君はいちいち恋文をチェック、評価する。**だれかの妻となって赤の他人となってしまうのはどんなにくやしかろうと光君は思わずにいられない。**(70頁)光君は紫の上にも玉鬘のことを褒めて聞かせる。もちろん紫の上はいい気持ちはしない。

ある日、光君は玉鬘に**「はじめてお目に掛かった時は、こうまで似ているとは思わなかったが、不思議なくらい、母君かと思い違いをしてしまうことがたびたびあるよ。(後略)」**(74頁)などと告白する。 いやだなぁと思う玉鬘は光君がとても母君とは別人とは思えないと詠むと**袖の香をよそふるからに橘のみさえはかなくなりもこそすれ**(74頁)私の身(橘の実)も母と同じようにはかなく消えるのかもしれませんね、と返す。

**(前略)体つきや肌合いがきめこまやかでかわいらしく、光君はかえって恋心が募る思いで、今日は少しばかり本心を打ち明ける。**(74、5頁) 薄絹姿で肌が透けて見えている玉鬘に迫る光君。色っぽいだろうな、と鄙里のおじさんも思う。この後のやり取りは省略。玉鬘はつらくて震え、涙があふれている。嫌で嫌でたまらない様子。玉鬘がかわいそう。で、光君も反省して(あきらめてだろうか)夜の更けないうちに帰ることに。

その後、光君から送られてきた手紙に玉鬘は**「お便りいただきました。気分が悪いのでお返事は失礼いたします」と書く。**(77頁)さすがに堅物だ、恨みがいがあると思う光君に、**なんとも仕方ないご性分ですこと。**(77頁)と作者は感想を書く。

『源氏物語』を全訳した谷崎潤一郎は光源氏嫌いだったそうだが、「胡蝶」を読むと誰でも光源氏を嫌悪するのではないか。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋


『源氏物語』の訳書は読んでいないけれど、漫画『あさきゆめみし』大和和紀(講談社)を読んだという人が結構いるらしい。この漫画を高く評価する人も少なくないようだ。しばらく前、あるカフェの店長からも『あさきゆめみし』を読んだと聞いた。ぼくはこの漫画を知らない。ネットで画像検索してみた。なるほど、こういう漫画なのか・・・。

昨日(6日)朝カフェ読書をしている時、顔見知りの店員さんから声をかけられた。ぼくが角田光代訳の『源氏物語』を読んでいることをブログで知った店員さん、「私も去年角田光代訳の源氏物語を読みました」。