■ 何日か前、北 杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫1973年6版)を再読した。青春記という書名が示す通り、これは北さんの青春の記録だ。北さんは日々の生活の様子を綴った日記も残したのだろうが、記憶力も相当なものだったと思う。そうでなければ、終戦直後の松本でのバンカラな生活や仙台での生活ぶりを後年にこれほど詳細に書き記すことはできないと思う。日記についてはこの本の中に**従って日記というものは、決して詩なんぞ記さず、できるだけ早くから客観的事実を記したほうがマシである。**(119頁)という記述がある。
「青春記」は次の一文で終わっている。**私はそのとき、カバンの中に、ほとんど完成しかけた自分の最初の長篇『幽霊』のかなりぶ厚い原稿を入れていた。**(294頁)それで『幽霊』(新潮文庫1981年29刷)を読もうと思い、書棚から取り出してこの数日で再読した(以下、一部過去の記事再掲)。
『幽霊』は北 杜夫の最初の長篇小説で幼年期から旧制高校時代までを扱っている。小説らしい筋立てがあるわけではない。北 杜夫のファンならば**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。**という書き出しが浮かぶだろう。この書き出しは**その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**と続く。
この魅力的な書き出しに、この小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める「心の旅」がテーマの作品だ。繊細で詩的な文章で綴られる追憶。
最後に綴られる北アルプスは槍ヶ岳での夜の出来事。**頭上の夜空にはひとひらの雲さえ認められなかった。満天に星がばらまかれ、槍沢の斜面のなだれてゆく正面の雲海のうえに、どこか不気味な、見知らぬ遊星といった印象で、白々と輝きながらおおきな月が昇りかけていた。**(215頁)この後に続く濃霧が急に消えてからの山上の夜景の描写は圧倒的。
夜が明けて**人間のなかへおりて行こう。**(220頁)と決めて下山していく・・・。この作品は後世に残すべき名作だと私は思う。