透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「幽霊」北 杜夫

2022-06-07 | A 読書日記



 何日か前、北 杜夫の『どくとるマンボウ青春記』(中公文庫1973年6版)を再読した。青春記という書名が示す通り、これは北さんの青春の記録だ。北さんは日々の生活の様子を綴った日記も残したのだろうが、記憶力も相当なものだったと思う。そうでなければ、終戦直後の松本でのバンカラな生活や仙台での生活ぶりを後年にこれほど詳細に書き記すことはできないと思う。日記についてはこの本の中に**従って日記というものは、決して詩なんぞ記さず、できるだけ早くから客観的事実を記したほうがマシである。**(119頁)という記述がある。

「青春記」は次の一文で終わっている。**私はそのとき、カバンの中に、ほとんど完成しかけた自分の最初の長篇『幽霊』のかなりぶ厚い原稿を入れていた。**(294頁)それで『幽霊』(新潮文庫1981年29刷)を読もうと思い、書棚から取り出してこの数日で再読した(以下、一部過去の記事再掲)。

『幽霊』は北 杜夫の最初の長篇小説で幼年期から旧制高校時代までを扱っている。小説らしい筋立てがあるわけではない。北 杜夫のファンならば**人はなぜ追憶を語るのだろうか。どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。**という書き出しが浮かぶだろう。この書き出しは**その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろげな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。**と続く。

この魅力的な書き出しに、この小説のモチーフが端的に表現されている。そう、『幽霊』は心の奥底に沈澱している遠い記憶を求める「心の旅」がテーマの作品だ。繊細で詩的な文章で綴られる追憶。

最後に綴られる北アルプスは槍ヶ岳での夜の出来事。**頭上の夜空にはひとひらの雲さえ認められなかった。満天に星がばらまかれ、槍沢の斜面のなだれてゆく正面の雲海のうえに、どこか不気味な、見知らぬ遊星といった印象で、白々と輝きながらおおきな月が昇りかけていた。**(215頁)この後に続く濃霧が急に消えてからの山上の夜景の描写は圧倒的。

夜が明けて**人間のなかへおりて行こう。**(220頁)と決めて下山していく・・・。この作品は後世に残すべき名作だと私は思う。


 


「初音」

2022-06-05 | G 源氏物語

「初音 幼い姫君から、母に送る新年の声」

 「初音」では新年を迎えた六条院の様子が描かれる。「少女」で六条院が完成し、概要が説明されている。六条院は4つのブロックからなり、春夏秋冬、四季の造園がなされている。春の庭園は春に映えるように、冬の庭園は冬の光景が映えるように。**春の御殿の庭はとりわけ、梅の香りと御簾(みす)の内から流れる香が混ざり合い、この世の極楽浄土とまで思える。**(47頁)このような様子。

光君は六条院に暮らす女君たちを年賀に廻る。紫の上、明石の姫君、花散里(夏の住まいで今はその季節ではなく、静まりかえっている。だが上品に暮らしている様子)、玉鬘。

大塚ひかりさんの『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫2002年)を読んだので、光君と花散里の関係について**(前略)しっとりとした夫婦仲である。今はもう男女の関係ではないのである。**(50頁)このような件(くだり)に気が付く。

日暮れ頃、光君は明石の御方の住まいに向かう。部屋の中はぬかりなく洒落たセッティング。光君は紫の上のことを気にしながらも、泊まってしまう。で、朝帰り。**「変にうたた寝をしてしまって、大人げなく眠りこんでしまったのを、そう言って起こしてもくれないものだから・・・」**(52頁)などと新年早々の外泊の言い訳。紫の上は悲しいし、悩むよなぁ・・・。

数日後、光君今度は二条東院へ。学問に打ちこむ末摘花は、髪は白く薄くなっている。この物語、年月が経っているのだなぁ。空蝉は仏道一筋に勤めている。六条院とは違い、地味な暮らし。

その後催された男踏歌(おとことうか)という儀式については省略。

紫式部はこの帖を読者に光君と関係のある女君たちの生活の様子を知ってもらうという意図で書いたのだろう。彼女たちの人生もいろいろだ。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋


「39 男はつらいよ 寅次郎物語」他

2022-06-04 | E 週末には映画を観よう

 男はつらいよシリーズの第39作「寅次郎物語」を観た。シリーズ全50作品の中でも寅さんの優しさが特に印象に残る。

ある日、柴又駅前でリュックサックを背負い野球帽をかぶる少年に満男が声をかけるところから物語は始まる。とらやでさくらやおばちゃんが少年に事情を訊く。少年は寅さんのテキヤ仲間の子どもで、秀吉という名前は寅さんがつけていた。父親がオレが死んだら寅さんを頼れと言い遺して亡くなったために郡山から出てきたという。母親は家出をして行方不明。

「出張」からとらやに帰ってきた寅さんは秀吉少年を連れて母親さがしの旅に出る。テキヤ仲間から母親が和歌山にいるらしいという情報を得て訪ねた旅館で、母親が奈良の吉野に行ったと聞いた寅さんは秀吉と吉野へ。

だが、母親は吉野から伊勢志摩へ行ってしまっていた。その日の夜、旅館で秀吉少年が発熱して寅さん大慌て。この時、隣の部屋に泊まっていた女性・隆子(秋吉久美子)が看病を買って出る。夜中に2代目のおいちゃんが演ずる老いた医者の診察を受ける。医者はふたりを夫婦だと思い(当然のこと)、隆子をおかあさんと呼ぶ。医者から今夜が峠だといわれるほど秀吉少年は重篤な状態。看病の甲斐あって明け方には熱も下がって、ふたりは一安心。

寅さんが所帯を持ったらどんな生活を送るだろう・・・。ファンのみならず、制作スタッフもそう思っているのかもしれない。吉野の旅館での出来事でそんな思いに山田監督が応えた、僕はそう思う。マドンナが寅さんをとうさんと呼び、寅さんがマドンナにかあさんと返すなんてこの作品しかない。この作品のマドンナ、かあさんは浅丘ルリ子でも竹下景子でもだめ。やはり秋吉久美子だった。

翌日、隆子と別れてふたりは伊勢志摩に向かう。島で病後療養している母親(五月みどり)とついに再会。母親が我が子を抱きしめる。このシーンに涙、涙。柴又に帰る寅さんについて行こうとする秀吉を寅さんがやさしく諭す。このシーンも泣ける。船(船長  すま けい)で島を離れる寅さん、岸で泣き叫ぶ少年・・・。だめだ、涙が止まらない。

正月、寅さんはテキヤ仲間のポンシュウと伊勢の二見浦で啖呵バイ。寅さんは秀吉少年とおかあさんと船長、三人が楽しそう歩いて行くところを岩陰からそっと見る。そして静かに言う。「そうか、船長が秀のてておやか・・・。いいだろう。あいつだったらいいだろう」

こちらはリアルな家族、寅さんとマドンナと秀吉少年は夢か幻の家族・・・。

「寅次郎物語」はシリーズのベスト5に次ぐ作品(*1)という評価を変えなければ。


*1 寅さんシリーズ全50作で特に印象に残る5作品とそれに次ぐ5作品は次の通り。

第10作「寅次郎夢枕」    八千草薫
第28作「寅次郎紙風船」   音無美紀子
第29作「寅次郎あじさいの恋」いしだあゆみ
第32作「口笛を吹く寅次郎」 竹下景子
第45作「寅次郎の青春」   風吹ジュン
*****
第  6作「純情篇」      若尾文子
第17作「寅次郎夕焼け小焼け」太地喜和子
第27作「浪花の恋の寅次郎」 松坂慶子
第38作「知床慕情」     竹下景子
第39作「寅次郎物語」    秋吉久美子


記事にしなかったが、他にも何作か観ている。タイトルとごく簡単なメモだけ挙げておきたい。

「インセプション」SF レオナルド・デカプリオ、渡辺 謙
「タイムライン」SF 原作マイケル・クライトン
「エベレスト」実際に起きた遭難事故を基に制作された映画
「レフト・ビハインド」
「オブルビリオン」SF トム クルーズ
「オフィシャル・シークレット」
「007 ユア・アイズ・オンリー」
「007 美しき獲物たち」


 


「カラダで感じる源氏物語」

2022-06-04 | G 源氏物語



 『カラダで感じる源氏物語』大塚ひかり(ちくま文庫2002年)を長野の権堂商店街の古書店の店先で見つけて購入した。善光寺御開帳で好い御縁に恵まれた。  長野から帰る電車の中で読み始め、昨日(3日)の夜に読み終えた。

大塚さんは源氏物語を現代語訳していて、今読んでいる角田光代訳の『源氏物語』の主要参考文献リストに与謝野晶子訳と共に載っている。大塚さんは源氏物語に関する著書が何冊もあるようだ。以前から名前は知っていたが、著書を読んだことはなかった。

この本を読んで驚いた。大塚さんの理解力、洞察力はすごい。小谷野 敦(比較文学者)さんが解説文に**その解釈には専門家のなかにも一目置いている人たちがいる。**(292頁)とし、**『源氏物語』などおそらく全文を諳んじているはずだし(後略)**(292頁)とまで書いている。大塚さんは当時の社会的、経済的背景を踏まえつつ源氏物語を自在に論じている。

なるほど、こういうことなのか・・・、既に読んだところの解説を読んで、何回かこう思った。くだけた文章で書かれているが、これは実に説得力のある「源氏物語論」だと思う。

第4章(最終章)「失われた体を求めて――平成の平安化」の第2節「感じる不幸」に「なぜ、浮舟がラストヒロインなのか」という論考がある。大塚さんはここで源氏物語を総括し、紫式部の真の目的は・・・! と的確に一文で括っている。(268頁)ここには敢えて引用しない。推理小説の犯人を挙げ、トリックを明かしてしまうようなものだ、と思うから。

この『カラダで感じる源氏物語』で予習ができた。さあ、『源氏物語』の中巻を読もう!


 


長野市権堂町 秋葉神社の狛犬

2022-06-03 | C 狛犬

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長野市鶴賀権堂町の秋葉神社

 善光寺から長野駅に向かう途中で権堂商店街に入った。アーケードを進むと、秋葉神社があった。久しぶりに狛犬観察をした。

 
 
口を閉じている狛犬(向かって左)と口を開けてる獅子(向かって右)

左の狛犬は前を向かず横を向いて参道を見ている。これが大きな違いなのかどうか分からないが、他に造形的な違いはあまり無い。後ろ姿はよく似ている。狛犬には角があり獅子には角がないとされているが、向かって右の獅子の方が角に見える。

  


左側の狛犬の台座に慶應四年戊辰六月と建立年が刻まれていた。西暦1868年、今からおよそ150年前ということになる。この狛犬のように古いものを観察するのは楽しい。

残念なことに昭和以降、岡崎で狛犬が大量生産されるようになり、全国に広まったということだ。岡崎現代型と呼ばれるこのような狛犬を見てもおもしろくない。なかなか上手いデザインだとは思うけれど・・・。


 


善光寺御開帳

2022-06-03 | A あれこれ

 昨日(06.02)善光寺の御開帳に出かけてきた(前回の御開帳の様子)。


善光寺山門


山門から仁王門を望む。長野駅から善光寺までおよそ2キロの参道を歩いた。


善光寺本堂の前に立つ回向柱に向かう参拝者の列

回向柱から伸びる長蛇の列の最後尾につく。思いの外早く回向柱に触ることができた。その後、本堂でお参り。


回向柱の正面上部の墨書の梵字は上から空 風 火 水 地、仏教的な世界観の構成要素だという。

回向柱と秘仏の御本尊の御身代わりである前立本尊の御手が善の綱によって結ばれている。参拝者は回向柱に触ることで前立本尊と直接的に繋がる。運命の赤い糸は目に見えないけれど、こちらは目に見えるから実に分かりやすい。

今年は良いことがあるだろう。

*****


善光寺世尊院釈迦堂




西光寺


 


信州スカイパークの薔薇

2022-06-02 | A あれこれ


 

撮影日2022.06.01他

 信州まつもと空港の周囲に整備されている信州スカイパークは7つのゾーンから成る広大な公園。今は薔薇(バラとカタカナ表示するより漢字の方が好き。あっさりしたカタカナより漢字の方がこの花の雰囲気を表現しているように思うから)が見ごろで、昨日(1日)ウォーキング、いや散歩の途中で薔薇にカメラを向けた。薔薇はアップで撮られることを望んでいるような気がする。確かにアップの方が魅力が引き立つ、と思う。





「玉鬘」

2022-06-01 | G 源氏物語



「玉鬘 いとしい人の遺した姫君」

 源氏物語に登場する多くの女性の中で夕顔の知名度は高いのでは。私も以前から名前だけは知っていた。夕顔は光君が恋焦がれた女性だった。光君との逢瀬の最中にものの怪が現れ、夕顔は急死してしまった。その後、ずいぶん長い年月(20年近く)が流れたが光君は夕顔のことをひと時も忘れることはなかった。

玉鬘はその夕顔の娘。4歳の時に備前国は筑紫に移り住み、美しい娘に成長していた。その様は次のように描かれている。**母君よりなおお見目麗しく、今は内大臣となっている父(かつての頭中将)の血筋もあって、気品があって愛らしい。おっとりした気性で申し分がない。**(10,11頁)**二十歳ほどになると、すっかり大人になり、理想的な美しさである。**(11頁)

こうなると周辺の男たちがほうっておかない。中でも大夫監という男は強引に迫る。乳母と子どもたちは玉鬘と船で京に逃れる。しかし京では頼るあてもなく、九条で仮住まい。で、神仏に救いを求めて、八幡に、それから初瀬の観音(長谷寺)にお参りにいく。

宿である女性と出会う。**じつは、このやってきた人は、夕顔をずっと忘れることなく恋い慕っている女房の右近なのだった。**(20頁)この偶然の再会が玉鬘に幸運をもたらすことになる。

右近は光君の邸に参上して、一連のできごとを知らせようとするが、それがなかなかできずにいる。夜になって光君が足を揉ませるために呼び・・・。**「さっきの、さがし出した人というのはどういう人なの。尊い修行者とでも仲よくなって連れてきたのか」と光君が訊くと、
「まあ、人聞きの悪いことを。はかなく消えておしまいになった夕顔の露にゆかりのあるお方を、見つけたのでございます」と右近は言う。**(30頁)

連続ドラマなら、この場面はある回のクライマックス。ここで次回に続くとなるだろう。

光君は玉鬘を養女として引き取ることにする、それも父親に内密に。六条院に移ってきた玉鬘の世話をすることになったのは花散里。この人は家庭的で律儀な女性だと思う。

**恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ(あの人を恋い慕ってきたこの身は昔のままだけれど、玉鬘のようなあの娘はどういう筋をたどって私の元を尋ねてきたのだろう)**(38頁)光君がこう考えるのももっともなこと。**本当に深く愛していた人の形見なのだろうと紫の上は思う。**(38頁) 

夕顔の君の再来。光君は養女にした玉鬘に次第に惹かれていく・・・。先が気になるけれど一日一帖。 『源氏物語』を読む始めた時、連作短編集という印象だったが、今は違う。これは壮大な構想をもとに書かれた大河小説だ。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋