(飯山城跡)
葵神社
飯山は唯一長野県下で戊辰の戦火が及んだ町である。堀、佐久間、松平、永井、青山と目まぐるしく藩主が交代したが、享保二年(1717)本多氏が糸魚川から転封されると、十代にわたって維新まで飯山藩主をつとめた。
飯山城跡
飯山城石垣
慶応四年(1868)三月、越後高田から侵入した旧幕軍の衝鋒隊の猛攻を受け、城下を焼かれた。飯山藩は、松代藩や上田藩、須坂藩等の支援を受け、衝鋒隊を撃退した。
本丸跡には葵神社が建てられている。飯山城の遺構としては、石垣や土塁が残っている。

葵神社
飯山は唯一長野県下で戊辰の戦火が及んだ町である。堀、佐久間、松平、永井、青山と目まぐるしく藩主が交代したが、享保二年(1717)本多氏が糸魚川から転封されると、十代にわたって維新まで飯山藩主をつとめた。

飯山城跡

飯山城石垣
慶応四年(1868)三月、越後高田から侵入した旧幕軍の衝鋒隊の猛攻を受け、城下を焼かれた。飯山藩は、松代藩や上田藩、須坂藩等の支援を受け、衝鋒隊を撃退した。
本丸跡には葵神社が建てられている。飯山城の遺構としては、石垣や土塁が残っている。
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