和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「考える人」から狐さんへ。

2006-09-09 | Weblog
季刊雑誌「考える人」に連載されていた坪内祐三著「考える人」が単行本になりました。さっそく読んでみました。
単行本の坪内祐三著「考える人」(新潮社)と、
雑誌「考える人」2006年夏号の特集「戦後日本の『考える人』100人100冊」。
この特集号には坪内祐三・井上章一の対談「『考える』ための素振り」が掲載されていて、本と同時に読むと味わいが倍になったように感じられます。
そのことについて
読後思ったことを書きます。
たとえば、川に泳いでいる魚を、捕まえて小さな水槽に入れて観察する。
よく魚の姿をながめられますし、鱗の様子まで手に取るように見れる。
けれども、自由な泳ぎ振りを眺めるには、その水槽では無理でしょう。
雑誌連載が単行本になり、通して読むと、微妙な内容の推移を、具体的に観察しているような気分になります(とどのつまりは、何か注文をつけたくなる)。
ところが、あらためて雑誌の対談を読み直すと不思議な感じになります。
それは、単行本という小さな水槽で観察していたのが、
いつか、雑誌という川の流れに、改めて魚を放ったような錯覚を抱くのです。
その考える魚を、妙に閉じこめてしまっては、そもそも考えることにはならない。
というようなことを思ったわけです。

う~ん。変な考えにつき合わせてしまいました。
それでは、単行本を見てみます。

単行本の「考える人」には16人が登場します。
その順番はというと

  小林秀雄
  田中小実昌
  中野重治
  武田百合子
  唐木順三
  神谷美恵子
  長谷川四郎
  森有正
  深代惇郎
  幸田文
  植草甚一
  吉田健一
  色川武大
  吉行淳之介
  須賀敦子
  福田恆存

説明としては
「私は、この『考える人』で、私が本読みとしての物心がつく頃に現存していた人物を扱うことにしています」(p40)とあります。そして現在は亡くなっておられる方々がここに登場しています。
でも。と私は思うのでした。
たとえば坪内祐三著「新書百冊」(新潮新書)の百冊リストに登場して、こちらには登場しない方もおられます。桑原武夫・富士正晴・宮崎市定という京都の面々は登場しません。それに清水幾太郎も。リスト外では山本夏彦も、司馬遼太郎も登場なし。東京の文壇から眺めて、その距離感からの周辺の視点とでもいうのでしょうか。雑誌文壇を中心にして殆どの方が、それでも名前だけは知っている。そんな人たちが選ばれております
(ちなみに、雑誌の特集「戦後日本の『考える人』100人100冊」では
富士正晴の名前がありました)。

こういうことは、細かすぎますね。
けれども、単行本を読んでいると気になりました。
たとえば、二人目の田中小実昌さんの箇所で田中美知太郎じゃなくて、同じ田中でも
小実昌さんを登場させます。
う~ん。文藝春秋の巻頭随筆で田中美知太郎は、つとに一般の知名度としても有名でした。残念。
もう一つだけ、三番目の中野重治で、彼の文「素樸(そぼく)ということ」を愛読し、繰り返し読みました。と書いております。
この文は、桑原武夫著「文章作法」(潮出版)の第1章の「できるだけシンプルに書く」でも鮮やかに取り上げられておりますから。ぜひとも坪内祐三さんと桑原武夫の二人の文を読み比べてみたい箇所なのです。

ちがうちがう、私はこんなことを言おうとしていたのではなかったのです。
坪内さんはあとがきに
「私の世代、そして私よりひと廻り上の団塊の世代の人たちが、自分はまだ若いと思い続けている内に、きちんと成熟する機会を失ない、いま、日本は、とてもひどい国になってしまいました。だから、私は、私なりの成熟を確認するために、そのことを考えてみるために、この連載を引き受けることにしました」
とあり、それが大切なことなのでした。

最初の小林秀雄の箇所で、昭和24年の講演文「文化について」を引用しており。
つぎに田中小実昌の最後では小実昌さんの文を引用しておりました。
「哲学をする者にはすべてが哲学だろう。たまには哲学をのぞいてみるなんてことはできやしない。また、たまには哲学からはなれ、息ぬきをするなんてこともない。哲学には息ぬきはない。宗教にも息ぬきはない。イエスとアメンにどこに息ぬきがあるか」

そして、長谷川四郎の箇所では、こんな引用。
「書こうと思ったものを、ちゃんちゃんと書いてしまう人には、私はあんまり興味をもちません。意図したものとは、だいぶちがったものが出来あがって自分もおどろくというところに、作品のおもしろさがあるように思います」

最後の福田恆存の箇所でも、最後の引用は
「私たちは倫理の不合理を批判することはできる。
 が、合理的な倫理などといふものは、いつの時代にもあつたためしはない」

私が鮮やかな印象として残ったのは、
深代惇郎を語る文章でした。これなら、どんなアンソロジーにも登場ねがえます。
そして、この文だけで充分に感銘をうけるのでした。そう私は思います。
それは、雑誌掲載の時から素晴らしいなあと思っておりました。
次に、単行本で読んだとき注目したのは色川武大の箇所でした。
そこでの引用では、こんな箇所がありました。
「・・いいかい。ここいらへんの俺のいいかたは棒のように受けとらないでおくれよ。言葉を受けるキャッチャーの方にセンスが要求されるよ。・・・
けれども、わかる、ってことは、言葉でわかったりすることじゃないんだからな。
わかる、ってことは、どういうことかというと、反射的にそのように身体(からだ)が動くってことなんだな。」

ちなみに、単行本の最後には「『考える人』年表」がありまして、
昭和4年生まれは
2月1日、須賀敦子が兵庫に生まれる。
3月28日、色川武大が東京の牛込区矢来町に生まれる。
4月19日、深代惇郎が東京の浅草橋に生まれる。
11月30日、幸田文が女児を出産。玉と命名。

ところで、坪内さんが登場させた昭和4年生まれを二人だけ引用するのは
あまりにもったいない。もう一人の須賀さんも引用してみます。

坪内さんは須賀敦子さんの作品「トリエステの坂道」について
「(須賀敦子の著作の中で私はこの作品集が一番好きです)」(p220)と一番好きな作品を示しております。
ここで、余談になりますが、
山村修著「花のほかには松ばかり 謡曲を読む愉しみ」(檜書店)の味わいを
どう言葉で表現すればいいのかと思っていたのです。
そしたら狐著「野蛮な図書目録」の中に、
須賀敦子著「トリエステの坂道」を書評した文がありました。
こうはじまります。
「もしも今、この書き手が、書くことをやめてしまったなら、日本語表現の領域の一角で何かがひっそりと消えてしまうことだろう。当座は気がつかなくとも、あとでその稀有なこと、大切なこと、いとおしいことが分かるような何かが失われることだろう。」
そして、最後はというと
「普通の人間の普通の暮らしを書いて、これほど非凡な輝きを帯びた本をほかに知らない。あるかもしれないが思い出せない。」


雑誌「文学界」には、たしか狐さんが連載をしていたなと思って、本屋で最新号(9月7日発売)を覗いてみました。すると中野翠さんが巻頭に「さようなら“狐”」という文を書いております。

そうそう、坪内祐三さんのこの本には、こんな言葉もありました。
「私は・・大の訃報欄ウォッチャーであった・・」(p81)




コメント (3)
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