北祭さんのコメントを読んでいたら、楽しく思い浮かんできたのでした。
まるで闇夜にボールを投げ入れたら、投げ返して来てくれたような驚きでした。この場合、またボールを投げ入れることも思うのですが、私は、ここでボールを眺めながら物思いにふける(笑)。
たとえば「風が吹けば桶屋・・」じゃなくて、酔眼亭さんのことが思い浮かんだのです。さっそく、そちらのブログへと挨拶してみたり。どうしてかなあ、北祭さんのコメントが楽しい「風」を運んできたのでした。ちょいと可笑しな流れです。
さて、今回は雑誌「考える人」2006年夏号の対談を取り上げます。
坪内祐三さんと井上章一さんとの対談。題して「『考える』ための素振り」
(そういえば、清水幾太郎さんは読書はシコをふむようなものだと語ったと追悼文にあったような気がします)。
井上さんといえば読んでいないのですが「つくられた桂離宮神話」というのがありました。
対談で井上さんが話しておりました。
「昔、桂離宮について調べていた時に、和辻哲郎の著作を読んだんですが、これは率直にいって、何の参考にもならへんかった。世迷いごとのようにしか思えなかった。・・」
そこから少し話しの後で、
坪内「なるほど。谷沢永一さんも強く批判してますよね。和辻哲郎のそういう面を。」
井上「・・私は、知性としてはむしろ、谷沢先生のような物知りのほうに憧れますね。・・
私自身のなかにある『頭が下がるなあ』という思いは、いわゆる『考える人』、突き詰めて考える人よりは、書誌学者のような『調べる人』の方に向かいますね。」
坪内「それは私もそうですね。『考える人』の本を読んでも、考えるきっかけにはならない。書肆学的な本を読んだほうが、自分が考えるきっかりにはなりますね。・・」
井上「・・書誌学は『私を踏み台にして、あなた伸びていって』って、ささえてくれる感じですもんね。・・・・・特に考えているという自覚はなくても、いろいろ調べてる時、物思いに耽ってますよね。」(p72~74)
谷沢さんといえば、谷沢永一・渡部昇一の「人生後半に読むべき本」(PHP)に
渡部「古典で読みながら小膝を打って、『ああ、そうか』といえるものといえば、真っ先に挙げれるものは、やはり『徒然草』でしょう。あれは真のエッセイです。・・・」
これに答えて谷沢さんは
「『徒然草』は、日本のそれ以後の文芸の源泉です。・・・
いま、渡部先生のおっしゃったおもしろさという意味でも、第一位は『徒然草』でしょう。・・今までの注釈評釈で一番いいのは沼波瓊音(武夫)の『徒然草講話』。学者的軽薄さがない。昭和の国文学者で、この沼波瓊音(ぬなみけいおん)に啓発されて、国文学は捨てたものではないと思った人が何人いるかといわれるぐらいです。明治から戦前に書かれた注釈書で後世に大きく影響を与えた著作といえば、この『徒然草講話』と、・・特筆すべきは、江戸時代を通じて、『徒然草』を読解するための注釈書が続々と出されますが、そこに吉田兼好が拠ったと思われる古典漢籍が、注の形で全部出てくるわけです。松尾芭蕉にしても、俳諧の中で依拠する古典知識を全部この『徒然草』の注釈書から勉強していると思われる。江戸時代の本を読む人たちは、『徒然草』の注釈書で、李白を知り、杜甫を知るという次第となった。すべての入り口は『徒然草』であったわけです。・・・」(p153~154)
沼波瓊音といえば、2006年8月31日初版の沼浪瓊音著「意匠ひろひ」(国書刊行会)。
なんでも山口昌男監修の「知の自由人叢書」の一冊だそうです。
その本の巻末対談は
山口昌男・坪内祐三で「解説対談 沼波瓊音の面白さ」とあります。
この本には、さすがに「徒然草講話」は入っていないのですが、
エッセイ中心。興味を惹くのは
関東大震災のルポ「怖しくされどうつくしかりし日」が掲載されていること(㌻数は35㌻)。
地震といえば、坪内祐三著「考える人」(新潮社)の中の森有正を語った箇所に、
森有正が暁星の小学校の時、関東大震災がおこっております。
そういえば、9月1日は2学期が始まる最初の日ですよね。
森少年は、学校からかえってきてからなのでしょう。
「よく憶えているんですがね、大震災のときでした。下町が火事で焼けたと聞いて、ぼくの学校はどうなっているんだろうと気になりました。もし焼けたら、授業がなくなるわけでしょう?それで、歩いて、学校を見にいったんです。そうしたら、同じように学校を見にきた友達と、ばったり会いましてね。『森君、学校焼けちゃったよ』と友達が言うと、ぼくたちは思わず抱き合って、道の真ん中で躍りまわりました。何とも困ったものですねえ。もちろん数日後に、仮校舎ですぐ授業が始まったんですけれど」(p115)
何で、こうなるかというと、
酔眼亭さんのブログの、地震を取り上げる箇所が愉しみなのです。
ろこのすけさんに連絡したら、あっという間に、北祭さんのコメントが、風のように舞込んできて、そこから、まるで木の葉が吹き寄せるようにして、酔眼亭さんへと結びついたというわけです。
心強い。お三人からのコメントを頂けた。
これで、ブログの新設祝いが出来ました。
これでもって、気楽な書き込みができそうです。
これからも、よろしくお願いします。
まるで闇夜にボールを投げ入れたら、投げ返して来てくれたような驚きでした。この場合、またボールを投げ入れることも思うのですが、私は、ここでボールを眺めながら物思いにふける(笑)。
たとえば「風が吹けば桶屋・・」じゃなくて、酔眼亭さんのことが思い浮かんだのです。さっそく、そちらのブログへと挨拶してみたり。どうしてかなあ、北祭さんのコメントが楽しい「風」を運んできたのでした。ちょいと可笑しな流れです。
さて、今回は雑誌「考える人」2006年夏号の対談を取り上げます。
坪内祐三さんと井上章一さんとの対談。題して「『考える』ための素振り」
(そういえば、清水幾太郎さんは読書はシコをふむようなものだと語ったと追悼文にあったような気がします)。
井上さんといえば読んでいないのですが「つくられた桂離宮神話」というのがありました。
対談で井上さんが話しておりました。
「昔、桂離宮について調べていた時に、和辻哲郎の著作を読んだんですが、これは率直にいって、何の参考にもならへんかった。世迷いごとのようにしか思えなかった。・・」
そこから少し話しの後で、
坪内「なるほど。谷沢永一さんも強く批判してますよね。和辻哲郎のそういう面を。」
井上「・・私は、知性としてはむしろ、谷沢先生のような物知りのほうに憧れますね。・・
私自身のなかにある『頭が下がるなあ』という思いは、いわゆる『考える人』、突き詰めて考える人よりは、書誌学者のような『調べる人』の方に向かいますね。」
坪内「それは私もそうですね。『考える人』の本を読んでも、考えるきっかけにはならない。書肆学的な本を読んだほうが、自分が考えるきっかりにはなりますね。・・」
井上「・・書誌学は『私を踏み台にして、あなた伸びていって』って、ささえてくれる感じですもんね。・・・・・特に考えているという自覚はなくても、いろいろ調べてる時、物思いに耽ってますよね。」(p72~74)
谷沢さんといえば、谷沢永一・渡部昇一の「人生後半に読むべき本」(PHP)に
渡部「古典で読みながら小膝を打って、『ああ、そうか』といえるものといえば、真っ先に挙げれるものは、やはり『徒然草』でしょう。あれは真のエッセイです。・・・」
これに答えて谷沢さんは
「『徒然草』は、日本のそれ以後の文芸の源泉です。・・・
いま、渡部先生のおっしゃったおもしろさという意味でも、第一位は『徒然草』でしょう。・・今までの注釈評釈で一番いいのは沼波瓊音(武夫)の『徒然草講話』。学者的軽薄さがない。昭和の国文学者で、この沼波瓊音(ぬなみけいおん)に啓発されて、国文学は捨てたものではないと思った人が何人いるかといわれるぐらいです。明治から戦前に書かれた注釈書で後世に大きく影響を与えた著作といえば、この『徒然草講話』と、・・特筆すべきは、江戸時代を通じて、『徒然草』を読解するための注釈書が続々と出されますが、そこに吉田兼好が拠ったと思われる古典漢籍が、注の形で全部出てくるわけです。松尾芭蕉にしても、俳諧の中で依拠する古典知識を全部この『徒然草』の注釈書から勉強していると思われる。江戸時代の本を読む人たちは、『徒然草』の注釈書で、李白を知り、杜甫を知るという次第となった。すべての入り口は『徒然草』であったわけです。・・・」(p153~154)
沼波瓊音といえば、2006年8月31日初版の沼浪瓊音著「意匠ひろひ」(国書刊行会)。
なんでも山口昌男監修の「知の自由人叢書」の一冊だそうです。
その本の巻末対談は
山口昌男・坪内祐三で「解説対談 沼波瓊音の面白さ」とあります。
この本には、さすがに「徒然草講話」は入っていないのですが、
エッセイ中心。興味を惹くのは
関東大震災のルポ「怖しくされどうつくしかりし日」が掲載されていること(㌻数は35㌻)。
地震といえば、坪内祐三著「考える人」(新潮社)の中の森有正を語った箇所に、
森有正が暁星の小学校の時、関東大震災がおこっております。
そういえば、9月1日は2学期が始まる最初の日ですよね。
森少年は、学校からかえってきてからなのでしょう。
「よく憶えているんですがね、大震災のときでした。下町が火事で焼けたと聞いて、ぼくの学校はどうなっているんだろうと気になりました。もし焼けたら、授業がなくなるわけでしょう?それで、歩いて、学校を見にいったんです。そうしたら、同じように学校を見にきた友達と、ばったり会いましてね。『森君、学校焼けちゃったよ』と友達が言うと、ぼくたちは思わず抱き合って、道の真ん中で躍りまわりました。何とも困ったものですねえ。もちろん数日後に、仮校舎ですぐ授業が始まったんですけれど」(p115)
何で、こうなるかというと、
酔眼亭さんのブログの、地震を取り上げる箇所が愉しみなのです。
ろこのすけさんに連絡したら、あっという間に、北祭さんのコメントが、風のように舞込んできて、そこから、まるで木の葉が吹き寄せるようにして、酔眼亭さんへと結びついたというわけです。
心強い。お三人からのコメントを頂けた。
これで、ブログの新設祝いが出来ました。
これでもって、気楽な書き込みができそうです。
これからも、よろしくお願いします。