黒田三郎の詩「あす」を
はじめて読んだのは、20代。
今でも、数年ごとに思い浮かぶ詩人です。
短い詩なので全文引用(笑)。
あす 黒田三郎
うかうかしているうちに
一年たち二年たち
部屋中にうずたかい書物を
片づけようと思っているうちに
一年たった
昔大学生だったころ
ダンテをよもうと思った
それから三十年
ついきのうのことのように
今でもまだそれをあす
よむ気でいる
自分にいまできることが
ほんの少しばかりだとわかっていても
でも そのほんの少しばかりが
少年の夢のように大きく
五十歳をすぎた僕のなかにある
ちなみに、黒田三郎は61歳で亡くなっております
(1919~1980)。
うん。ひょっとすると『あす』というのは
六十代を過ぎてからはじまるのでしょうか(笑)。
ということで、75歳と85歳を以下に登場して
いただきます。
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論社)に
「わたしは『平家物語』についてなにも知る者ではなかった。
・・・・これを原文でぜんぶ通読してみよう、
と殊勝な決心をしたのは七十五歳の誕生日をむかえようと
していたころ。テキストとしては岩波の『新日本古典文学大系』
上下二巻本を購入し、ふた月あまりかけて毎日二十ページくらい
のペースで読んだ。読みはじめるとおもしろくてたまらない。
テレビなんかバカバカしくて見てはいられない。
わたしはひさしぶりに大長編を耽読する日々をおくり・・
終幕まで見とどけることができた。
まことにたのしい読書生活であった。」(p308~309)
文藝春秋6月号には渡辺京二氏が「熊本の地から」
と題して書いておりました。
はじまりは
「この原稿の注文を受けたとき、考えてしまった。
決定的な二度目の激震のあと、まだ三日目である。
家中に倒れた家具、特に書棚が積み重なり、
厖大な書物が散乱し、やっと最低限の生活空間を
ぎりぎり作り出したばかりだ。その空間を作ってくれた
のは娘夫婦で、老衰のわが身は何もできず、ひたすら
二人の負担になったのみ。・・・」(p174)
「いま私は八十五歳、今度ほど自分が役立たずである
のを感じさせられたことはない。・・・
いま書物を含め、すべての所有物が煩わしい。
・・だが、残されたあと何年かは、もう少しものを
書いてすごしたい。私の場合、それには文献がいる。
集めた本は私の年来の主題に即して系統をなしている
ので、どの部分も切り捨てられぬ。とすれば、これを
保持して生きねばならぬのか。頭の痛いことだ。
だが、それは人類にとって文明は重荷だというに等しい。
祖先以来築きあげたものは、担い通してゆかねばならぬ。
私は老いの弱音を吐いたけれども、
吐きつつ荷を負ってゆくつもりではある。
文明とは善きものだ。だが、今回の災害をまつまでもなく、
持ち重りのするものなのだ。」(p176~177)
このあとき、極めつきの言葉があるのですが、
また、いつか引用できますように。
はじめて読んだのは、20代。
今でも、数年ごとに思い浮かぶ詩人です。
短い詩なので全文引用(笑)。
あす 黒田三郎
うかうかしているうちに
一年たち二年たち
部屋中にうずたかい書物を
片づけようと思っているうちに
一年たった
昔大学生だったころ
ダンテをよもうと思った
それから三十年
ついきのうのことのように
今でもまだそれをあす
よむ気でいる
自分にいまできることが
ほんの少しばかりだとわかっていても
でも そのほんの少しばかりが
少年の夢のように大きく
五十歳をすぎた僕のなかにある
ちなみに、黒田三郎は61歳で亡くなっております
(1919~1980)。
うん。ひょっとすると『あす』というのは
六十代を過ぎてからはじまるのでしょうか(笑)。
ということで、75歳と85歳を以下に登場して
いただきます。
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論社)に
「わたしは『平家物語』についてなにも知る者ではなかった。
・・・・これを原文でぜんぶ通読してみよう、
と殊勝な決心をしたのは七十五歳の誕生日をむかえようと
していたころ。テキストとしては岩波の『新日本古典文学大系』
上下二巻本を購入し、ふた月あまりかけて毎日二十ページくらい
のペースで読んだ。読みはじめるとおもしろくてたまらない。
テレビなんかバカバカしくて見てはいられない。
わたしはひさしぶりに大長編を耽読する日々をおくり・・
終幕まで見とどけることができた。
まことにたのしい読書生活であった。」(p308~309)
文藝春秋6月号には渡辺京二氏が「熊本の地から」
と題して書いておりました。
はじまりは
「この原稿の注文を受けたとき、考えてしまった。
決定的な二度目の激震のあと、まだ三日目である。
家中に倒れた家具、特に書棚が積み重なり、
厖大な書物が散乱し、やっと最低限の生活空間を
ぎりぎり作り出したばかりだ。その空間を作ってくれた
のは娘夫婦で、老衰のわが身は何もできず、ひたすら
二人の負担になったのみ。・・・」(p174)
「いま私は八十五歳、今度ほど自分が役立たずである
のを感じさせられたことはない。・・・
いま書物を含め、すべての所有物が煩わしい。
・・だが、残されたあと何年かは、もう少しものを
書いてすごしたい。私の場合、それには文献がいる。
集めた本は私の年来の主題に即して系統をなしている
ので、どの部分も切り捨てられぬ。とすれば、これを
保持して生きねばならぬのか。頭の痛いことだ。
だが、それは人類にとって文明は重荷だというに等しい。
祖先以来築きあげたものは、担い通してゆかねばならぬ。
私は老いの弱音を吐いたけれども、
吐きつつ荷を負ってゆくつもりではある。
文明とは善きものだ。だが、今回の災害をまつまでもなく、
持ち重りのするものなのだ。」(p176~177)
このあとき、極めつきの言葉があるのですが、
また、いつか引用できますように。