俳諧について読みたいのですが、
遅々として読めない、読まない(笑)。
さてっと、
尾形仂・大岡信「芭蕉の時代」(朝日新聞社)
を読みはじめる。
俳句では、なぜ入り込めなかったのか?
連句になると、なぜ楽しめそうなのか?
その疑問を簡単に解いてくれる箇所が
ありましたので、そこを引用。
「大岡さんが俳論から芭蕉に親しんでいった
という話をされましたが、私もまったくおなじです。
能勢先生も、まず俳論からはいってかまいません
と言っておられました。たしかにそうなんです。
発句や連句の世界に素手で体当りしても、
はじき返されるだけです。
しかし俳論のほうは、作品に対する自解を示して
くれるものだし、心がまえを示してくれるものですから、
なんとか読み解いていくことができる。」(p14)
尾形】 ・・カルチャーセンターみたいなところで
芭蕉の講義をたのまれるときに、
芭蕉の連句をとりあげて話すことがあるのです。
俳諧というのは一句ごとの俳句のことではなくて
実はこれなんだと言って、歌仙をどれかひとつ
とりあげて話しますと、連句を読むのははじめて
という人たちが、みんな非常に感心しますね。
芭蕉たちの言葉の豊かさとその使い方の巧みさに
びっくりしたという感想がかえってきます。
大岡】 結局それは日本語の豊かさの発見であるわけですね。
日本語の豊かさは実はそういうものに最も高度に発揮されて
いるのですから。
尾形】 そうですね。 (p36)
うん。
私が伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社)
を読んだ時の興奮は、けっして私一人だけじゃなくって、
どなたでもたどれる道筋なのだと示してくださっている。
そう、決して細道じゃなくて、連句理解への王道。
はい、私の前にその扉はひらかれた(笑)。
遅々として読めない、読まない(笑)。
さてっと、
尾形仂・大岡信「芭蕉の時代」(朝日新聞社)
を読みはじめる。
俳句では、なぜ入り込めなかったのか?
連句になると、なぜ楽しめそうなのか?
その疑問を簡単に解いてくれる箇所が
ありましたので、そこを引用。
「大岡さんが俳論から芭蕉に親しんでいった
という話をされましたが、私もまったくおなじです。
能勢先生も、まず俳論からはいってかまいません
と言っておられました。たしかにそうなんです。
発句や連句の世界に素手で体当りしても、
はじき返されるだけです。
しかし俳論のほうは、作品に対する自解を示して
くれるものだし、心がまえを示してくれるものですから、
なんとか読み解いていくことができる。」(p14)
尾形】 ・・カルチャーセンターみたいなところで
芭蕉の講義をたのまれるときに、
芭蕉の連句をとりあげて話すことがあるのです。
俳諧というのは一句ごとの俳句のことではなくて
実はこれなんだと言って、歌仙をどれかひとつ
とりあげて話しますと、連句を読むのははじめて
という人たちが、みんな非常に感心しますね。
芭蕉たちの言葉の豊かさとその使い方の巧みさに
びっくりしたという感想がかえってきます。
大岡】 結局それは日本語の豊かさの発見であるわけですね。
日本語の豊かさは実はそういうものに最も高度に発揮されて
いるのですから。
尾形】 そうですね。 (p36)
うん。
私が伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社)
を読んだ時の興奮は、けっして私一人だけじゃなくって、
どなたでもたどれる道筋なのだと示してくださっている。
そう、決して細道じゃなくて、連句理解への王道。
はい、私の前にその扉はひらかれた(笑)。