古本で
大谷晃一著「ある出版人の肖像」を購入。
題名右上には、小文字で「矢部良策と創元社」。
発行は創元社で[私家本]とあります。
あとがきには
「・・・創元社の社史を書いてほしい。
こういう要請を受けたのは、61年の暮れであった。
私の伝記文学の一つの作品として矢部良策を書くのならば、
と答えた。創元社側の謙遜にもかかわらず、
良策は書くに価する人である。そうでなければ、
私は書くつもりはなかった。これが、叶えられた。・・・」
(p319)
とあります。
パラパラと真ん中辺から読み始める。
うん。創元社の出版本が社史の流れの中に
ちりばめられていて、まるで川に紅葉が散って
つぎつぎに流れてくるような華やかさがあります。
その流れとともに、出版社の浮沈が語られてゆく。
はい。抵抗なくスムーズに本文の流れにのれました。
う~ん。
これだけじゃ何を言っているのかも
分からないでしょうね(笑)。
「道は開ける」という章から、
昭和29年の箇所を引用
「7月2日、第四回債権者委員会で一応の再建案を決めた。
支払手形を一年間すえ置いたうえ二カ年で全額を償還する、
債権者から取締役五人と監査役二人を出して
創元社側の取締役を二人とするなどである。
『四千万円の債務を負って創元社はもう解散一歩前まで来ている。
創元社はもうつぶれるかも知れない、十中八九』
やめたばかりで、まだ社内にいる永井利彦は日記にこう記す。
5日、ついに不渡手形を出した。最悪の段階である。
在庫の本を東京神田の八木書店へ捨て売りしようとした。
が、東京の創元社が『それは困る』といい、
本を担保にして借金した。これが流れると、ぞっき本になる。
社の信用はつぶれてしまう。
7日の債権者会議を9日の延期した。
ところが、翌6日に倒産したのは東京の創元社である。
負債は二億円に達した。業務を広げただけ、額が大きい。
『このばかが。売れている。売れていると言って俺をだましやがったな。
金銭に情熱のない人間は商売なんかするなッ』
小林秀雄は激怒し、小林茂や秋山孝男らを難詰する。
東京創元社はここで解散した。
代表取締役だった良策は、名実ともに東京での地歩がなくなる。
大正14年の創業とともに東京支店を出してから、二十九年がたつ。」
(p263~264)
はい。それでは、
興味のある方は、読んでのお楽しみ(笑)。
大谷晃一著「ある出版人の肖像」を購入。
題名右上には、小文字で「矢部良策と創元社」。
発行は創元社で[私家本]とあります。
あとがきには
「・・・創元社の社史を書いてほしい。
こういう要請を受けたのは、61年の暮れであった。
私の伝記文学の一つの作品として矢部良策を書くのならば、
と答えた。創元社側の謙遜にもかかわらず、
良策は書くに価する人である。そうでなければ、
私は書くつもりはなかった。これが、叶えられた。・・・」
(p319)
とあります。
パラパラと真ん中辺から読み始める。
うん。創元社の出版本が社史の流れの中に
ちりばめられていて、まるで川に紅葉が散って
つぎつぎに流れてくるような華やかさがあります。
その流れとともに、出版社の浮沈が語られてゆく。
はい。抵抗なくスムーズに本文の流れにのれました。
う~ん。
これだけじゃ何を言っているのかも
分からないでしょうね(笑)。
「道は開ける」という章から、
昭和29年の箇所を引用
「7月2日、第四回債権者委員会で一応の再建案を決めた。
支払手形を一年間すえ置いたうえ二カ年で全額を償還する、
債権者から取締役五人と監査役二人を出して
創元社側の取締役を二人とするなどである。
『四千万円の債務を負って創元社はもう解散一歩前まで来ている。
創元社はもうつぶれるかも知れない、十中八九』
やめたばかりで、まだ社内にいる永井利彦は日記にこう記す。
5日、ついに不渡手形を出した。最悪の段階である。
在庫の本を東京神田の八木書店へ捨て売りしようとした。
が、東京の創元社が『それは困る』といい、
本を担保にして借金した。これが流れると、ぞっき本になる。
社の信用はつぶれてしまう。
7日の債権者会議を9日の延期した。
ところが、翌6日に倒産したのは東京の創元社である。
負債は二億円に達した。業務を広げただけ、額が大きい。
『このばかが。売れている。売れていると言って俺をだましやがったな。
金銭に情熱のない人間は商売なんかするなッ』
小林秀雄は激怒し、小林茂や秋山孝男らを難詰する。
東京創元社はここで解散した。
代表取締役だった良策は、名実ともに東京での地歩がなくなる。
大正14年の創業とともに東京支店を出してから、二十九年がたつ。」
(p263~264)
はい。それでは、
興味のある方は、読んでのお楽しみ(笑)。