和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

天秤棒に、背負子(しょいこ)。

2022-10-21 | 地域
三谷一馬著「江戸商売図絵」(中公文庫)のはじまりは、
カラー絵が4枚掲載されておりました。そのうちの2つが
天秤棒を担ぐ物売の姿です。
ひとつは大福餅売り。もうひとつは菖蒲売り。
はい。どちらも雰囲気があって印象に残ります。

思い浮かんできた本がありました。
林望著「ついこの間あった昔」(弘文堂・平成19年)。
写真ごとに林望氏が文章をつけており。その一つに
『オバサンの籠の中には』と題する写真があります。

はい。ここはきちんと引用してゆきます。

「漁村では、朝まだき暗いうちに亭主が舟を漕ぎ出して
 あれこれの魚を獲ってくる。するとこんどは家事を終えた
 女房衆が、これを籠に入れて担い商いに出かけるのであった。

 とりわけ、海山が近くて山村と漁村が隣り合っているようなところでは、
 とくにそういう担い商いが大きな意味を持っていたのである。

 この写真は、和歌山県の周参見(すさみ)という漁港の近くで
 撮影されたものだが、ちょうどこのオバサンたちは、
 亭主の獲ってきた魚を近在の山村まで売りに行って、
 すっかり売り尽くした空き籠に、山村で蕪などの野菜を
 仕入れて持ち帰り、漁港のほうでこんどは山の幸を売り歩く、
 そうやって行き帰り無駄に手足を動かすことなく働いていたという、
 その一シーンである。

 天秤棒に籠、これは江戸時代以来ちっとも変わらない行商姿で、
 この写真の撮影された昭和42年くらいまでは、
 ある意味で江戸時代が生き残っていたのである。 」( p214~215 )


 このあとに東京生まれで東京育ちの林望さんが出会うオバサンが
 登場しております。はい。こちらも引用しなきゃ。

「 生まれは亀戸という下町で、まもなく大田区の石川町・・
  ここで小学校の四年生まで過ごし、その後は武蔵野市に
  開かれた大きな住宅公団のアパートに引っ越したのだが、
  それがちょうど昭和の34年だったかと思う。

  この海からは相当に隔たった武蔵野の団地までも、
  海辺のオバサンたちはやってきた。

  千葉の岩井のあたりから電車に乗って、まだのんびりと蒸気機関車なども
  走っていた中央線の路線の上を、たぶん総武線の各駅停車に乗って、
  彼女たちははるばると海の幸を運んできたものだった。

  一週間に一度くらいの割合だったろうか、
  まっくろに日焼けして、約束事のように手ぬぐいで姉さん被りをし、
  モンペに割烹着、それに前掛けをかけてというような姿で、 
  いつも同じオバサンがやってきた。・・・

  天秤棒を担いで電車には乗れないから、
  彼女たちの場合は担い籠を三つも四つも重ねて、
  その全体を大きな風呂敷で包み、さらにそれを背負子(しょいこ)
  のようなものに帯のような紐で括り着けてやってきた。

  玄関先で、よっこらしょっ、と背から荷を下ろすと、
  たいてい『やーれやれ』というようなことを言った。

  子供心に、こんな小さなしなびたようなおばあさんが、
  背丈ほどもある大荷物を背負って歩くんだから、
  なんだかかわいそうな気がした。

  おそらく、そういう同情もいくぶんあって、
  行商のオバサンがやってくると、母などは、
  ずいぶんあれこれと買ってやるのだった。

  ときにより、サンマやアジの干物が出てきたり、
  切り干し大根のようなものが出てきたり、
  まるで玉手箱のように、オバサンの籠からは
  びっくりするほどの品数が取り出される。
  それを私はいつも珍しく眺めていた。・・・」( ~p216)


うん。まだ続くのですが。
うん。引用したいけれど、ついつい長くなる。
はい。ここまでにしときます。
コメント (4)
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