苅谷夏子著「大村はま 優劣のかなたに」(ちくま学芸文庫)
はい。いつもはパラパラ読みの私ですが最後まで読みました。
最後には詩について語られている場面がありました。
大村はまの98歳の冬が無事過ぎたころのこと。
文部科学省の特殊教育関係の雑誌のインタビューを受け
「後日、インタビューをまとめた記事のゲラが届いた。
それを読んだ大村は、どうも放っておけない違和感を感じたらしい。
趣旨は正しく書かれていた。どこに誤りはない。しかし、
文章の調子に、もっと引き締まった、厳しさ、切実さが欲しい
と思った。・・・・
それは記事全体の調子の問題であって、一つ二つ、
注文を出したからといって変わることではなかった。
また、そこまでまとめてくださった方に、そんなところまで
要求できるはずもなく、その仕事を無にするようなこともしたくなかった。
しかし、違和感はどうしても拭いさることができない。・・・
丸一日、大村はじっと沈黙を守って、どうしたものかと考えていたらしい。 そして、突然、明るいさっぱりとした声で電話がかかってきた。
『インタビューの記事の最後に、詩みたいなものをね、
載せてもらうことにしたの。・・・・・』
それがこの『優劣のかなたに』なのだ。
・・・・決定稿にまでもっていきたい。
話し相手になってほしいから、ちょっと来てちょうだい、
という約束の日の、その二日前に死がやってきた。 p255~257
この文の前に詩「優劣のかなたに」が、p251~255に引用されておりました。
詩の最後には注としてこうありました。
「この詩は、著者が亡くなるまで推敲を続けたので、遺されたメモ、
下書き、校正稿をもとに、関係者らによって一部を補完した。」
うん。その詩から、一部分を私は引用したくなりました。
今は、できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。 p254
はい。読めてよかった。