櫻井秀勲著「戦後名編集者列伝」( 編(あむ)書房・2008年 )。
ちょっと気になった箇所が思い浮かんだのでひらいてみる。
目次をみると、第一回が池島信平ではじまり、第三十回まで。
その第七回は扇谷正造でした。そこに、こんな箇所がありました。
「・・・・一時間もやると、最低でも十本は面白いプランが出てきたものだ。
まさに扇谷大明神だった。
扇谷正造は話すうちに、次第に興奮してくるタイプだった。
火のような魂をもっているといわれたが、けんかっぱやいのである。
だがこのタイプは、成功する率がかなり高い。 」(p72)
う~ん。『扇谷大明神』というネーミングは、
これは著者櫻井氏が考えたのかなあ。
ちなみに、この第七回のはじまりの箇所も引用しておきたくなります。
「『週刊誌の鬼』といえば、扇谷正造(おおぎやしょうぞう)を指す。
なにしろ『週刊朝日』の編集長を引き受けたときの部数は
わずか十万部で、返品率25パーセントという惨状だった。
これを朝日の幹部は『なんとか三十五万部まで上げてくれ』
と扇谷に頼んだ。そこまでいけば黒字になる。
ところが扇谷は八年のうちになんと、百三十八万部という、
週刊誌で日本初の大記録を打ちたてたのである。
鬼というより、天才というほうが正しいだろう。 」(p66)