鴨長明『方丈記』の方丈の部屋に
「・・阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢菩薩の絵像をかけ、
前には『法華経』を置いている。・・・
黒い皮籠を、三つ置いてある。すなわち、その中には
和歌、管絃、『往生要集』などの書物をいれてある。・・・」
( p163 ちくま学芸文庫「方丈記」浅見和彦訳 )
ここに『法華経』があるのですが、どちらも読んでもいない癖して
私が気になっていたのは『往生要集』でした。
さてっと、角川ソフィア文庫の鴨長明「発心集」下巻に
その『往生要集』に関係する箇所があるので引用してみます。
恵心僧都が空也上人にお目にかかったこと (現代語訳p231~232)
「恵心(えしん)僧都源信が、かつて空也上人に
お目にかかろうと訪ねて来られたことがあった。
空也上人は高齢で徳が高く、とてもただ人には思われない。
大変貴く見えたので、恵心僧都は来世のことを申し上げ、
『わたくしは極楽を願う心が深うございます。往生を遂げられるでしょうか』
とお尋ねになると、
『わたくしは無智無学な者でございます。
どうしてそのようなことが判断できましょう。・・・・
・・・・・・・・
知恵や立派な行いを積んでいなくても、
穢れた現世をうとみ、浄土を願う気持ちが強ければ、
どうして極楽往生を遂げられないことがありましょうか。』
と、空也上人はおっしゃった。恵心僧都はこれを聞き
『まさに究極の道理です』と言って涙を流し、
掌を合わせて帰依なさった。
その後、僧都が往生要集を撰述なさった際、
この時のことを思い、
厭離穢土(えんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)を重んじて、
大文第一、第二の主題となさったのだ。」
この次に
「同じ空也上人が衣を脱いで松尾大明神に奉ったこと」
というのが出てきております。その最後の方も引用。
「・・・そもそも天慶(てんぎょう)以前には、
日本で念仏の行はまれだったが、この空也上人の勧めで、
人々は皆、こぞって念仏を申すようになった。
いつも阿弥陀仏を称えて歩いていらっしゃるので、
世間の人は上人を『阿弥陀聖』と言った。
またある時には町中に住んでいろいろな仏事を勧進なさるので、
『市(いち)の聖』とも申し上げた。
おおよそにおいて、橋のないところに橋を架け、
井戸がなく水不足の里には井戸をお堀りになった。
上人は我が国の念仏の祖師と申すべき方である。
すなわち法華経と念仏とを極楽の行業として、
極楽往生を遂げられたことが、書物に見えている。 」(p234)
うん。鴨長明著『発心集』を読んだら、
つぎ、『往生要集』を読めますように。
そうそう。新刊で佐藤雄基著「御成敗式目」
(中公新書・2023年7月25日発行)がありました。
もう40年以上前にイザヤ・ベンダサンを読んでいたとき、
関連で御成敗式目を読んでみたくなったことがありました。
はい。そう思っただけ、それ以来ずっと忘れておりました。
あれを読みたいなどと思ってもすぐ数十年たってしまいます(笑)。
『読みたい本』が、どれだけ長いスパンを必要とするのか?
こんなのは馬齢を重ねた者しか味わえない苦みでしょうか。