いつかは読もうと、そう思って
「往生要集」上下巻を、ワイド版岩波文庫で買ってありました。
はい。まるっきり、読まずに本棚にあります。
伊藤唯真著「阿弥陀 未知へのやすらぎ」(佼成出版社・昭和54年)
を読んだのをきっかけに、『往生要集』をひらこうとするのですが、
現代語訳がないと、私には手におえないのでした。
こういう場合、
伊藤唯真氏の本に引用されている『往生要集』の数行(p117)を、
本文にあたってひらいてみることにして、その近辺を読んでみることに。
うん。全然読まないより、まあいいか。
「・・・今もし勤修(ごんしゅ)せずは未来もまた然るべし。
かくの如く
無量生死の中に、人身(にんじん)を得ること甚だ難(かた)し。
たとひ人身を得とも、諸根(しょこん)を具することまた難し。
たとひ所根を具すとも、仏教に遇ふことまた難し。
たとひ仏教に遇ふとも、信心を生ずることまた難し。
・・・・・・
しかるに今、たまたまこれ等の縁を具せり。
当(まさ)に知るべし、苦海を離れて浄土に往生すべきは、
ただ今生(こんじょう)のみにあることを。
しかるに我等、頭に霜雪(そうせつ)を戴き、心俗塵に染みて、
一生は尽くといへども希望(けもう)は尽きず。
・・・・・
・・・速かに出要の路に随へ。
宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ。」
( p74~75「往生要集」上巻・岩波文庫 )
はい。引用もチンプンカンプンの箇所は端折っております。
私の今はここまで、今度『往生要集』をひらくときは、
またこの箇所を読んでみることにして、
とりあえず、いつものことながら、本棚へもどします。