「千葉県安房郡誌」(編纂兼発行所・千葉県安房郡教育会・大正15年6月)。
簡単に、郡役所の箇所から引用。
「・・明治11年・・当時敷地は北條町北條の所有にかかり、
周囲に土手を回らし、表門は北條病院の前なる大槇樹の北にありて
長屋門なりき。明治15年に至り庁舎の建築に着手し、翌16年5月10日
新築落成、開庁式を行へり。現庁舎是なり(大正12年の大震にて倒潰す)
・・・・・・
明治30年4月郡制改まり、安房平朝夷長狭の4郡を合して、
単に安房郡を置かるるに当り、安房郡役所と改称、以て今日に至れり。」
( p497 )
安房郡長の大橋高四郎氏と農学校の箇所も引用しておきます。
「 産業上より眺むる時、本郡は水産地たり、農業地たり。
故に歴代当局の事業を通観するに、その厚薄はあれ、
何れも農水産業の進展に意を注がれし跡歴然たるものあり。
然し真に産業の発達を促し以て文化の進展を期せんとせば、
其の根底に触れ、実業教育の振興を画策せざるべからず。
現在当局は夙に此に着眼し、巨額を投じて農業水産学校を新設し、
南三原村に本校(農業)館山町に分校(水産)を置き、
本郡産業の発展につき永遠の策を樹立せられたりしが、
郡制廃止、県移管後、程なく各独立の学校となれり。 」(p511)