武村雅之氏の本を数冊、参考文献としてあげておくことに。
たとえば、武村雅之著
「シリーズ日本の歴史災害5 手記で読む関東大震災」(古今書院・2005年)
には、こんな箇所があったのでした。
「・・10年前の阪神・淡路大震災の後に、神戸の人達が語った言葉、
『 関西には地震がないと思っていた。 』と耳にした時のことである。
神戸の人達の山といえば六甲山である。
神戸の美しい自然は六甲山を抜きには語れない。
でも一方で、六甲山は震災を引き起こした地震の
震源と同根の活断層が、何度も何度も繰り返し活動し、
その度に高くなってきた山である。つまり
地震が創った山なのである。
そんなことは、神戸に限ったことではない。
千葉県の房総半島のように、
平らで多くの人々が暮す土地の多くが、
関東大震災をはじめとする巨大地震が起こる度に、
海底が隆起してきたという所もある。・・・・・・
我々が愛する日本の自然の多くが、
地震によって創られてきていることをみんなが
きちんと理解しない限り地震防災は成功しない。
つまり、地震は排除する敵ではなく、長い年月の間に
我々が暮す場所を創ってきた共存すべき対象だ。
我々の祖先が何度も地震の被害に遭いながらも、
その土地に住み続けられてこられたのは
自分達の故郷の自然を心から愛してきたからだ。
その力を地震防災に振り向ける原動力が
自然現象である地震への理解であり、
地震学はそれを支えるべき学問でなければならない。 」(p66~67)
ここでは、もう一冊引用。
武村雅之著「地震と防災」(中公新書・2008年)から
「房総半島南部は空からみると、どこでも同じように
海から段々畑のように平らな土地が続いている。
図30はその一つ館山市見物(けんぶつ)の海岸で、
元禄地震でできた平坦地から関東地震でできた岩棚を写した写真である。
人がいるところが関東地震でできた岩棚で、そこでは
人間が造ったとみられる窪みをいくつもみつけることができる。
関東地震前には海岸すれすれにあったところで、磯釣りをする人が
釣った魚の生簀(いけす)として掘った窪みだそうである。
その向こうに波で見え隠れする岩棚がみえる。
まるで次の地震で陸になる準備をしているようである。
このように南房総では、道路や鉄道、お花畑、さらには
人々の住む家など、暮らしのすべてが地震の際に海から
顔を出した土地にある。 ・・・・・
我々一人一人の歴史は、幾度となく繰り返される地震の歴史に
比べて、はるかに短く、ときにはそのうちの一サイクルにも満たない。
・・・昔の人々は、そのような自然の営みを感知し、
生活の場や美しいふるさとの風景を与えてくれる自然に
畏敬(いけい)の念を忘れてはいなかった。
明治、大正、昭和、平成と生活が近代化するにつれて、
そのような意識が次第に薄れてきたようである。・・」(p219~220)
ちなみに、館山市の見物海岸といえば、
4~5年前に、ブラタモリの番組で、房総に来て寄った箇所でした。
その際に、海岸の隆起を説明の方が語ってくれており印象に残りました。