7月1日の産経新聞。10~11ページ見開きは、
『能登半島地震半年』の特集となっておりました。
令和6年1月1日午後4時10分、石川県能登地方にマグニチュード7.6の地震。
そこに掲載されている写真が印象深い。
石川県輪島市黒島漁港の上空からの2枚の写真。震災前と震災後の写真。
一目瞭然で、漁港を囲む堤防の港の中が隆起して陸地になっております。
それに続く海上の波消しブロックも、現在は陸地からそこまで隆起して、
テトラポッドまでが陸地になっております。
もう一枚の写真は、輪島市の国道249号の一部の写真。
山が海へと迫っているところの国道が、地震の山崩れで
つぶれたようになっております。そこを改修することなく、
「隆起した海岸に道路が応急的に造られている」とあります。
隆起した海岸に道路ができている。
ということで、思い浮かぶ本がありました。
「房総災害史 元禄の大地震と津波を中心に」
( 千葉県郷土史研究連絡協議会編 昭和59年 )。
この本には地図が載っていて、分かりやすい。
たとえば、九十九里の海岸線を説明した箇所に
汀線という言葉があります。汀線は波打ち際のこと。
「 長生郡白子町内山家の古地図、及び
横浜国大、太田陽子氏の学説等を総合するに、
元禄汀線更に降って天保汀線は次の図に示すよう推定できる。
元禄汀線は現在の一宮飯岡県道、
天保汀線は現九十九里センターと漁港を結ぶ
産業道路でその間隔は275メートルで、
元禄期と天保期(1703~1843)百四十年間の
海退現象で年間平均して2メートル前後の海退になる。‥」(p54)
安房に関する地図も載っており、現在の地図に元禄の頃の汀線が
黒線でひかれております。
ひとつは、館山平野北部(p227)。
つぎには、館山平野南部(p238)。
それらによると、現在の館山駅の東側ロータリー。
その郵便局の前までが元禄の汀線で、
その頃の波打ち際だったらしいのです。
なるほど、それならば、今は枯れてしまった
六軒町のサイカチの木に登って津波から助かったという
言い伝えも、身近に実感をもって感じられます。
安房の津波被害を想定する際には、能登半島地震のような
海岸隆起をも加味しないといけないのだと思えてきます。
東日本大震災の津波被害との関連では、単純に結びつけることなく、
丁寧に結び目をひもといていって安易な回答は禁物のようです。
それへの参考となる一冊だと思えます。