和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『安房郡の関東大震災』余話➃

2024-07-09 | 地震
震災と仏教とキリスト教と・・・
なんて思いがひろがります。

「生ききる。」(新書・角川ONEテーマ21・2011年7月10日発行)。
これは、瀬戸内寂聴と梅原猛の対談。

ここには、いろいろと仏教が語られてゆきます。

梅原】 行基(ぎょうき)や空也(くうや)上人はね、
    天災や戦さで死んだ人たちの屍を供養した。
    この行基・空也のような活動を仏教はやってほしい。(p53)

まえがきは、瀬戸内寂聴さんでした。こうあります。

「 東北といえば、私が1987年の5月から晋山(しんざん)した
  天台寺がある所在地である。
  岩手県二戸郡浄法寺町にある古刹天台寺・・・
  私が51歳で出家した時、岩手県平泉市の中尊寺で得度(とくど)
  させてもらったという縁による。私の師僧になっていただいた
  今東光師が、中尊寺の貫主であられた仏縁であった。 」(p3~5)

瀬戸内】 私はね、坊さんになる時は本当に自分のために出家したんですよ。
     ・・・キリスト教でもよかったんです。・・・
     けれど結局、坊さんになった。そうしたら、
     天台寺は最澄の忘己利他(もうこりた)が根本でしょう。
     人のために尽くすのがもっとも大切な行です。義務です。
     やっぱり人のために何かしなきゃいけない思うようになった。
     これはえらいことになったと思った・・・     (p54)


梅原】 ・・・私は日蓮の『地涌(じゆ)の菩薩』に注目します。
   『地涌』という語は『法華経』の『従地涌出品』第15に出てきます。

   『従地涌出品(じゅうじゆじゆつほん)』という通り、
   いわゆる『本化(ほんげ)の菩薩』は天から舞い降りてくるのではなく
   大地から湧き出してくるという考えです。

   上行菩薩・無辺菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩が
   その地から涌き出た四菩薩です。この四菩薩は
   大衆の中にいて、大衆を導く仏です。というより、
   大衆自身。今、被災者のことを考えると、彼らこそ
   『 地涌 』の菩薩そのものなんです。だから必ず、
   地から湧き上がる力を持っている。私はそう考えます。  (p52)


梅原】 ・・被災地で何をやらないといけないのかと言ったら、
    それは瓦礫の撤去とともに、道を直し、橋を架け、
    そして死んだ人を埋葬し、弔うこと・・・、
    これはまさに行基集団が行った仏教です。
    空也上人の仏教です。

    また一遍(いっぺん)その人自身も、
    病気を救ったりといろいろするけど、
    特に二祖の遊行(ゆぎょう)上人、真教(しんきょう)は
    一遍の教えを実行した人です。
    この人は敦賀の気比(けひ)神宮で土木工事をしている。 
    水害で沼になっている参道に土を運んで来て埋め立てます。

   『 遊行上人縁起絵巻 』を見てたら、モッコ担いだり、
    土をならしたりと、土木工事そのもの。詞書を読むと、
    貴い人も俗人も、僧も遊女も手伝ったとある。
    さらに沼に住む亀が・・・          (p60~61)


さらには、第3章では、天皇陛下への言及もあります。

梅原】 ・・・・今、天皇陛下が被災地をお回りになっています。
    鎮魂の役割を果たしている。象徴天皇というのは、
   『 鎮魂する人 』という意味かもしれません。

    ・・・日本人が代々やってきた怨霊の鎮魂という、
    そういうことを今の天皇陛下がおやりになている。 (p88)

梅原】  天皇がいらっしゃると誰でもありがたいと思うんです。
     立ち直る元気が出てくる。不思議な力、
     私は日本の天皇制が、今、ここで生きていると思う。

     やっぱり何かシンボルがいるんですよ。
     今度ほど、そういうものが必要な時はないんじゃないかな。(p89)



はい。私といったら、キリスト教ということから、思い浮かんだのは
曽野綾子著「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」

地涌の菩薩から思い浮かんだのは、
門田隆将著「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」

そして天皇陛下から思い浮かんだのは、
『安房震災誌』の御真影の箇所でした。
   


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