和田誠訳「オフ・オフ・マザー・グース」(ちくま文庫)があります。帯には「オリジナル挿絵240点収録」とあります。ちょうど見開きページの右側が日本語訳、左側が英詩。その間の詩の空白に挿絵が描かれております。とても楽しい配置なのですが、どうも、私にはピンとこなかった。どうしてかなあ。と思っていたら、すぐにわかりました。私は最初にCDを聴いていたからです。
東芝EMIから出ていた2枚。
オフ・オフ・マザー・グース
またまた・マザー・グース
この2枚は、今は発売されておりません。古いCDを買うしか今は手に入らないのでした。最初に聴いたのはテレビででした。それは、阪神大震災のチャリティーコンサートとして企画されたものでした。
CD「またまた・マザー・グース」の解説書に、この詩を作曲した櫻井順さんが書いておりました。
ひとつの詩にひとりが歌っておりまして。豪勢な顔触れのコンサートなのです。
「途中から『オフ・オフ』『またまた』のアーチスト達による阪神大震災被災孤児のためのチャリティコンサートの企画が持ち上り、ぼくらも賛同して97年2月1日に東京国際フォーラムで『マザー・グース・コンサート』が開かれた。なんと半数以上62組のアーチストがスケジュールを割いて参加してくれ5000人の観客とともに心のこもったチャリティの一夜を持つことが出来た。和田誠と冗談のように始め、いろんな人達がアソビで参加してくれたことで完成したこの2枚のCDが、こういう形で子供たちの役に立ったことに実にフシギな因縁を感じる。やっぱり神様っているのかな、と思う。」
ついでにCD「オフ・オフ・マザー・グース」の解説書にある櫻井順さんの文章も、この曲ができあがる経緯を語っていて面白いのでした。
せっかくですから、それも引用しておきましょう。
「・・彼一流のコダワリ方で原詩の脚韻を逐一あざやかな日本語の脚韻に移し替えている。でも折角のそのオモシロサはやっぱりメロディにしてみないと分かりにくいなァと思ったので試しに2・3篇の詞にメロディをつけてみた。これがなんともすごく作り易いのだ。その晩のうちに10篇ばかりを曲にして、次の句会の折にそのスケッチテープを彼に渡した。暫くしてアレオモシロイネと言われたので、調子に乗って頼まれもしないのに60篇を片っ端から曲にしてしまった。ノッケは多少とも子供を意識した行儀の良いメロディで揃えていたが、次第に気分が変っていろんな曲の切れっぱしの引用やら定番のパターンやら民俗旋法やらナンデモアリのスタンスになった。・・・こうして何の意気込みも狙いもオブリゲーションもなく、なんとなく出来てしまった60曲を前にして和田誠とふたり、どうしたものかと思案していたところへ東芝EMIの仙波プロデューサーがヒョッコリと登場して、一流歌手60人に1曲ずつ歌って貰ってCDを作りましょうとコトも無げにノタマったわけであります。・・・」
文庫の「オフ・オフ・マザー・グース」もいいのですよ。
原詩と和田誠の訳詩が見れて、挿絵までも見れていいのですが、
音楽を見ているような物足りなさがあるのです。そしてCDは現在簡単には手に入らない状態です。
そういえば、と思い出したのは加藤周一著「古典を読む23――梁塵秘抄」(岩波書店)でした。最初の数ページを見て、そのままに放り投げていた一冊でしたが、その最初の出だしだけは忘れられずにおりました。その出だし。
「『梁塵秘抄』は、後白河法皇(1127~1192)が編んだ平安時代の歌曲、――主として『今様』とよばれるものの歌詞の集大成である。記譜はなく、その歌い方も伝承されていないから、歌曲の音楽としての面はわからない。独唱者が、主として打楽器の単純な伴奏と共に唱ったらしいが、その旋律も『リズム』も想像する手段がない。しかるに歌曲の魅力の圧倒的な部分は、後白河法皇自身がいったように、唱い手の声や節まわしにあったにちがいない・・・・・」
ということで、「オフ・オフ・マザー・グース」を歌っている人の顔ぶれはというと、
佐藤しのぶ。おおたか静流。岸田今日子。柳葉敏郎。白石冬美。森山良子。甲斐っよしひろ。的場愛美。平野レミ。高泉淳子。坂本冬美。中山千夏。小坂一也。時任三郎。斎藤晴彦。イッセー尾形。清水ミチコ。笈田敏夫。天地総子。田中朗。小室等。石嶺総子。藤本房子。木村充揮。中島啓江。岩崎宏美。黒柳徹子。島田歌穂。近田春夫。大貫妙子。小松政夫。岡村喬生。鳳蘭。谷啓。井上陽水。スリー・グレイセス。タイムファイブ。知久寿焼(たま)。大竹しのぶ。ジミー時田。野坂昭如。C・W・ニコル。辛島美登里、露木茂。忌野清志郎。こうの・おさむ。雪村いづみ。巻上公一。松金よね子。デーモン小暮閣下。水前寺清子。ディーク・エイセス。小椋桂。熊倉一雄。中井貴一。由紀さおり、安田祥子。近藤房之助。真田広之。・・
CD「またまた・マザー・グース」を歌う顔ぶれも楽しみなのですが、ちょいとメンドウなのでこれくらいにしておきます。その顔ぶれを知りたければ、コメントをしてください。よろこんで付け加えておきます。
東芝EMIから出ていた2枚。
オフ・オフ・マザー・グース
またまた・マザー・グース
この2枚は、今は発売されておりません。古いCDを買うしか今は手に入らないのでした。最初に聴いたのはテレビででした。それは、阪神大震災のチャリティーコンサートとして企画されたものでした。
CD「またまた・マザー・グース」の解説書に、この詩を作曲した櫻井順さんが書いておりました。
ひとつの詩にひとりが歌っておりまして。豪勢な顔触れのコンサートなのです。
「途中から『オフ・オフ』『またまた』のアーチスト達による阪神大震災被災孤児のためのチャリティコンサートの企画が持ち上り、ぼくらも賛同して97年2月1日に東京国際フォーラムで『マザー・グース・コンサート』が開かれた。なんと半数以上62組のアーチストがスケジュールを割いて参加してくれ5000人の観客とともに心のこもったチャリティの一夜を持つことが出来た。和田誠と冗談のように始め、いろんな人達がアソビで参加してくれたことで完成したこの2枚のCDが、こういう形で子供たちの役に立ったことに実にフシギな因縁を感じる。やっぱり神様っているのかな、と思う。」
ついでにCD「オフ・オフ・マザー・グース」の解説書にある櫻井順さんの文章も、この曲ができあがる経緯を語っていて面白いのでした。
せっかくですから、それも引用しておきましょう。
「・・彼一流のコダワリ方で原詩の脚韻を逐一あざやかな日本語の脚韻に移し替えている。でも折角のそのオモシロサはやっぱりメロディにしてみないと分かりにくいなァと思ったので試しに2・3篇の詞にメロディをつけてみた。これがなんともすごく作り易いのだ。その晩のうちに10篇ばかりを曲にして、次の句会の折にそのスケッチテープを彼に渡した。暫くしてアレオモシロイネと言われたので、調子に乗って頼まれもしないのに60篇を片っ端から曲にしてしまった。ノッケは多少とも子供を意識した行儀の良いメロディで揃えていたが、次第に気分が変っていろんな曲の切れっぱしの引用やら定番のパターンやら民俗旋法やらナンデモアリのスタンスになった。・・・こうして何の意気込みも狙いもオブリゲーションもなく、なんとなく出来てしまった60曲を前にして和田誠とふたり、どうしたものかと思案していたところへ東芝EMIの仙波プロデューサーがヒョッコリと登場して、一流歌手60人に1曲ずつ歌って貰ってCDを作りましょうとコトも無げにノタマったわけであります。・・・」
文庫の「オフ・オフ・マザー・グース」もいいのですよ。
原詩と和田誠の訳詩が見れて、挿絵までも見れていいのですが、
音楽を見ているような物足りなさがあるのです。そしてCDは現在簡単には手に入らない状態です。
そういえば、と思い出したのは加藤周一著「古典を読む23――梁塵秘抄」(岩波書店)でした。最初の数ページを見て、そのままに放り投げていた一冊でしたが、その最初の出だしだけは忘れられずにおりました。その出だし。
「『梁塵秘抄』は、後白河法皇(1127~1192)が編んだ平安時代の歌曲、――主として『今様』とよばれるものの歌詞の集大成である。記譜はなく、その歌い方も伝承されていないから、歌曲の音楽としての面はわからない。独唱者が、主として打楽器の単純な伴奏と共に唱ったらしいが、その旋律も『リズム』も想像する手段がない。しかるに歌曲の魅力の圧倒的な部分は、後白河法皇自身がいったように、唱い手の声や節まわしにあったにちがいない・・・・・」
ということで、「オフ・オフ・マザー・グース」を歌っている人の顔ぶれはというと、
佐藤しのぶ。おおたか静流。岸田今日子。柳葉敏郎。白石冬美。森山良子。甲斐っよしひろ。的場愛美。平野レミ。高泉淳子。坂本冬美。中山千夏。小坂一也。時任三郎。斎藤晴彦。イッセー尾形。清水ミチコ。笈田敏夫。天地総子。田中朗。小室等。石嶺総子。藤本房子。木村充揮。中島啓江。岩崎宏美。黒柳徹子。島田歌穂。近田春夫。大貫妙子。小松政夫。岡村喬生。鳳蘭。谷啓。井上陽水。スリー・グレイセス。タイムファイブ。知久寿焼(たま)。大竹しのぶ。ジミー時田。野坂昭如。C・W・ニコル。辛島美登里、露木茂。忌野清志郎。こうの・おさむ。雪村いづみ。巻上公一。松金よね子。デーモン小暮閣下。水前寺清子。ディーク・エイセス。小椋桂。熊倉一雄。中井貴一。由紀さおり、安田祥子。近藤房之助。真田広之。・・
CD「またまた・マザー・グース」を歌う顔ぶれも楽しみなのですが、ちょいとメンドウなのでこれくらいにしておきます。その顔ぶれを知りたければ、コメントをしてください。よろこんで付け加えておきます。
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