紫紅文庫に、『奈良絵本』の上下巻。
その帯には、「 かつて奈良絵本は『テレビ』だった――
江戸時代の人々を魅了した傑作を集大成 」とある。
文庫で、小さいながら、カラー絵なのがうれしい。
パラパラめくっていると、下巻には「徒然草」も入っている。
う~ん。工藤早弓氏の「はじめに」はこうはじまっておりました。
「本来の奈良絵本には、未完で荒けずりな魅力がある。
奈良絵本が発生した中世の半ばは、古代の影を背負いながら
近世へとむかう人々の、混沌とした生への息吹に満ち満ちていた。
それは言い換えるなら、〈 もののあはれ 〉から〈 をかし 〉
の世界への転換期だったのである。・・・ 」
この本の下巻に登場している「徒然草」は
江戸時代前期~中期のもので、説明には
「漆塗りの元箱に入った極美本。
流布しているものと同文だが、
長い章段になると省略している個所もある。
『徒然草』そのものを読むというより、
絵本として楽しむために作られたようだ。
持ち主はやんごとなき姫君か、若殿だったろうか・・ 」(p204)
うん。江戸時代になると、嫁入り道具に入っていたりしたそうです。
室町時代とは、だいぶ変遷があるのでした。
ところで、徒然草といえば、思い浮かぶ言葉がありました。
「 平安、鎌倉は説話文学の全盛期です。
説話文学の本の名前を挙げていくだけで・・十以上ある。
『今昔物語』もここら辺です。
ところが、たくさんある説話文学のほとんどを兼好が引用していない。
知っていたはずなのに、それを一切退け、そこに書いてないことを
書いてやろうという独創性を意識している。
今回、調べて、そこまで徹底していたかと感心しました。
兼好の作家魂といいますか、表現意欲といいますか、
それは並々ならぬものであったと思います。 」(p12)
これは対談での谷沢永一氏の言葉でした。
( 渡部昇一・谷沢永一対談「平成徒然草談義」PHP研究所・2009年 )
うん。この文庫の帯にある
「かつて奈良絵本は『テレビ』だった・・」を敷衍すれば、江戸時代には
とうとう、徒然草も映像化されたのか、といったところでしょうか。
面白そうなので
図書館予約しました。
奈良で作られたというのでも
ないようですね。
コメントをありがとうございます。
水曜日は、何となくブログお休み日。
そんな調子で返事おそくなりました。
市古貞次著「おとぎ草子物語」岩崎書店
( 日本古典物語全集17・昭和50年 )
この中の市古氏の解説がおもしろかったので
きさらさんへと、引用しておきます。
「室町時代には、御伽衆という職業の人がいました。
大名の側についていて、いろいろなおもしろいお話
をするのが、そういう人の役割だったようです。
この時代の大名は領地の取りあいをしていることが
多くて、世の中は乱れていたのですが、そういう
戦争のあいまに、御伽衆から、怪談や勇ましい武士
の話などを聞いて、たいくつをまぎらわしていました。」
「おとぎ草子には、絵のはいった本が多いのです。
たいてい、5、6ページごとに、1ページの絵が
はさんであります。金、銀や赤、青などのきれいな
絵です。・・・
こういう絵を奈良絵といって、
奈良に住んでいた絵かきたちが
内職に描いていたのだといわれています。 」
はい。もうすこし引用しておきます。
「絵としてはあんまり上手なものではありませんけれども、
古めかしい味わいがあって、なかなかおもしろい
ものもあります。本を読んだり、聞いたりしながら、
あいだにはいっている絵を見て楽しんだらしいのです。
日本の本で、絵を入れたものとしては、
平安時代の後期、1100年ごろからつくられた
絵巻物がありますが、巻物ではなく、ふつうの
綴じた本では、こうした奈良絵本が古いものでした。
江戸時代になると、本がいろいろ出版されるようになり、
その中には絵を入れたものが、たくさん出てきます。」
う~ん。今日のブログも奈良絵本関連かな?