世界文化社の「グラフィック版 徒然草 方丈記」(1976年)。
はい。この本を古本で持っております。
28センチ×23センチ。厚さ2センチ。函入り。
はい。リッパですが、古本は安かった。
最初は、方丈記の箇所が読みたくて買ってありました。
最近は、徒然草の箇所の絵をみたく、身近にあります。
その時代の絵が挿入されていて、絵をみたくって開く。
たとえば、
「女の白い脛を見て通力を失った久米の仙人」(徒然草絵巻・海北友雪筆)。
「いきいきとした庶民たちの風俗」(御輿振(みこしぶ)り・前田青邨筆)
そして、徒然草絵巻がはいりながら
「何事も 古き世のみぞ」昔がなつかしくしのばれる(奈良絵本徒然草)
絵ではほかに、「一遍上人絵伝」や「加茂競馬図」「平家納経」の図と
文字をおわなくても、パラパラと絵をひらいているだけで楽しくなる一冊。
このなかに、
「徒然草絵巻・海北友雪筆」とあるのが気になっておりました。
海北友雪の父親は、海北友松。
ここには、海北友松をとりあげてみることに。
「友松は浅井長政の武将であった海北善右衛門綱親の末子として生れ
幼くして禅院にあずけられる境遇となった。」(武田恒夫「友松の画業」)
「元亀元年(1570)織田信長により浅井家は滅亡、海北家も運命をともに・」
この海北友松は、「83歳という当時としては珍しい長寿を全うした」
「大阪陣で豊臣家が滅亡する直前、慶長20年6月2日に友松は世を去った」
(以上は、「近江の巨匠 海北友松」大津市歴史博物館・平成9年より引用 )
以下には、「海北友松(かいほうゆうしょう)」
(京都国立博物館・開館120周年記念特別展覧会のカタログ平成29年 )
から引用してみます。
「慶長18(1613)、友松は秀吉や家康の御伽衆を務めた山名豊国(号は禅高)
の求めによって『○○○○押絵貼屏風』を制作した」(p44)
このカタログには「人物相関図・略図」と説明がありました。
そこに登場する名前がありました。
斎藤利三・・・明智光秀の重臣で、海北友松の親友。
本能寺の変の咎で処刑される。
娘・福はのちの三代将軍徳川家光の乳母・春日局。
春日局・・・・斎藤利三の娘。友松の息子・友雪を
幕府御用絵師に取り立てる。
うん。せっかくなので、海北友松について
京都国立博物館の山本英男氏の「孤高の絵師 海北友松」から
最初の方を引用しておくことに。
「・・見るにつけ、つねに思うのは、
きわめ個性的な画風の持ち主であったということだ。
凄まじい墨気を発散する水墨画にしても、
優美で洗練された大和絵画風の金碧画にしても、
どの絵師のそれとも似ていない、
友松独特の世界が披瀝されている。
しかもそれらは彼の没後400年を経た今でも何ら色褪せることなく、
われわれを魅了し続けているのである。
画のもつ力、そしてそれを手掛けた絵師の力が
これほど強く感じられる例は少ないのではないだろうか。・・ 」
( 京都国立博物館開館120周年記念特別展覧会のカタログ p8 )
はい。海北友雪は、いつかまた
『徒然草絵巻』との関連で語れますように。
とりあえず、海北友松を紹介でき満足です。
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