安房の関東大震災を記録した
安房郡役所発行の「安房震災誌」(大正15年3月)に
震災の際に、安房郡長だった大橋高四郎氏が
「安房震災誌の初めに」という一文を寄せております。
そこから引用。
「震災誌編纂の計画は、此等県の内外の同情者の誠悃を紀念すると
同時に、震災の跡を後日に伝へて、聊(いささ)か今後の計に資する
ところあらんとの微意に外ならない。
震後復興の事は、当時大綱を建てて之れを国県の施設に俟つと共に、
又町村の進んで取るべき大方針をも定めたのであった。
が、本書の編纂は、専ら震災直後の有りの儘の状況を記するが主眼で、
資料も亦た其處に一段落を劃したのである。
そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、
挙げて之れを白鳥健氏に嘱して、
その完成をはかることにしたのであった。・・・ 」
はい。大橋高四郎氏のことは、生年月日も出身地もよくわかりません。
とりあえずは、きままに調べられそうな範囲を手探りしてみることに。
ここに、『白鳥健氏に嘱して・・ 』とありました。
うん。安房郡長は、「吏員劇忙の最中」にあって、どんな人に託したのか。
それでは、安房郡長の大橋氏が依頼した白鳥健氏とは、どんな人なのか?
これなら、少しは調べられそうです。
「山武(さんぶ)郡福岡村(東金市・大網白里町)出身の
『千葉毎日新聞』主筆白鳥健(しらとりけん)・・・・・ 」
(p1038 千葉県の歴史 通史編 近現代1 平成14年 )
という箇所がありました。千葉県出身であるのがわかります。
あとは、「日本の古本屋」でネット検索すると、ありました。
白鳥健著「佐倉宗吾伝」(佐倉宗吾堂出版部・大正14年9月)
こちらには、著者兼発行者・白鳥健として住所も載っておりました。
千葉県佐倉町鏑木346番地とあります。
はい。私のことですから、ここから脱線してゆきます。
斎藤隆介著・滝平二郎絵の「ベロ出しチョンマ」という絵本がありました。
はい。私ははじめてひらきます。そのはじまりの1を引用。
「 1
千葉の花和村に『ベロ出しチョンマ』というオモチャがある。
チョンマは長松がなまったもの。このトンマな人形の名前である。
人形は両手をひろげて十の字の形に立っている。
そして背中の輪をひくと眉毛が『ハ』の字に下がってベロッと舌を出す。
見れば誰でも思わず吹き出さずにはいられない。 」
ちなみに、読者の手紙に作者が答えている文がありました。
「内村恭平君。ぼくの短編集『ベロ出しチョンマ』を
読んでくれたそうで、どうもありがとう。
・・・・・・・・
題にした『ベロ出しチョンマ』の主人公、長松の住んでいた
花和村という村は、いくら千葉県の地図を見てもありません。
まつった木本神社というのもありません。
そういう名の人形も売っていません・・・・・
あれはぼくが作った話だからです。・・・・
あれは、ぼくが四年まえに千葉へ越してきた時、
みんなのためにハリツケになって殺された佐倉宗五郎と
その子どものことを考えて作ったんだ。
佐倉宗五郎も、カクウの人物である、
なんて研究を発表している学者もあるんだよ。
それでも宗五郎は、今も『宗五様』って呼ばれて、
物語になったり芝居になったりしてみんなの胸に
ほんとうの人よりほんとに生きてる。
なぜだろうか君も考えてくれないか。・・・ 」
( p129~131 「児童文学読本」日本児童文学別冊・昭和50年 )
はい。今回はじめて『ベロ出しチョンマ』をひらきました。
ちなみに、本棚には斎藤隆介著「職人衆昔ばなし」(文藝春秋)が
古本で買ってあるのでした。はい。未読です。
この本には福田恆存氏の『序』があるのでした。
最後には、その『序』のはじまりだけ引用しておきたくなりました。
「これは雑誌『室内』に数年に亙って連載されたもので、
私はその大部分を既に読んでゐる。
同誌編集長の山本夏彦氏の見識もさる事ながら、
筆者斎藤隆介氏が職人の人柄と仕事とに対して懐いている愛情と、
人目につかず恵まれもせぬ聞書きといふ縁の下の力持を長年続けて
倦む事のなかった根気とに深く敬意を表する。
表向き誰も彼も実に能弁に喋ってゐるが、
大抵は口の重い、そして人嫌ひな名人気質の職人から
話を引き出す苦労は並大抵の事ではなかったろう。・・」
はい。序文は、このあとが肝心なのでしょうが、ここまで。
え~と。大橋高四郎から白鳥健。佐倉宗五郎から斎藤隆介。
それに、福田恆存と山本夏彦へと脱線しちゃいました。
うん。私は山本夏彦の本を読んでいて、
安い古本で斎藤隆介著「職人衆昔ばなし」を買ってありました。
買ってあったのにそのまま本棚に置き去りになっておりました。
今年は脱線ついでに、この機会にあらためて、読めますように。
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