和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

関東大震災の被服廠跡地。

2024-01-17 | 地震
回転ずしで、注文する際に、ワサビ入り、ワサビなし、と
選択ができるようになっているのですね。気づきませんでした。

思ったんですけれど、俳句の解説にも、
ワサビ入り、ワサビなし、と選べるかもしれません。

小沢信男著「俳句世がたり」(岩波新書・2016年)。
パラリとめくっていたら、震災忌という句がありました。


    震災忌置く箸の音匙の音    三橋敏雄

そこを解説している小沢氏の文は、
「9月1日が震災忌。」とはじまっております。

「そもそも大正12年(1923)9月1日の真昼時・・・
 大地震が関東一円を襲い、火災が多発して東京の下町は一面焼け野原。
 死者10万余人のうち約4万人ほどが本所被服廠跡で焼死した。
 跡地の一部を公園にして慰霊の震災記念堂を建立した。

 その22年後に、東京大空襲によって、より広大な焼け野原。
 ただし震災記念堂の一帯は、同愛病院から両国駅までぶじに残った。
 そこで無量の焼死の遺骨をここに納めて、東京都慰霊堂と改称した。
 以来、3月10日と9月1日の、春秋に大祭が催されております。

 春の大祭は賑わう。空襲の生きのこりが孫子をつれてくるからね。
 くらべて秋は、ややさびしい。もはや88年も昔のことだもの。
 しかしこちらこそが本家ではないか。 」(p46)

はい。俳句だけじゃ分からなかった指摘がなされて、
まるで、ワサビ入りの俳句解説を読んでいる気になります。

この箇所の引用をつづけます。

「・・震災時に、築地本願寺も全焼しながら、
 酸鼻の被服廠跡へ僧侶たちは駆けつけて、
 死者供養と、生きのこりたちへの説教所、託児所もひらいた。
 さすがは大衆のただなかの浄土真宗。
 その説教所が寺となって『震災記念 慈光院』と、現に門柱に掲げる。

 そして9月1日には『すいとん接待』の看板が立つ。
 境内は付属幼稚園の母子たちで大賑わいの、そこらいちめん
 『 置く箸の音匙の音 』なのですよ。
 平成の童子たちが、大正12年の非業の死者たちとともに
 たのしむ施餓鬼(せがき)供養でした。
 ゆきずりの者にも気前よくふるまうので、
 折々に私も一椀ご相伴にあずかっております。・・・ 」(p47)

内容としては、このあとも欠かせない文が並ぶのですが、ここまで。
いつか機会があれば、そこに立ってみたいと思いました。

「酸鼻の被服廠跡へ僧侶たちは駆けつけ・・」という箇所などは
私には、方丈記のなかの一文にであったような気さえしてきます。

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