内村鑑三が、関東大震災に遭遇したのは62歳でした。
政池仁著「内村鑑三伝」(教文館・1977年)に
「・・・大手町の衛生会講堂も焼け落ちて、
内村はその働き場所を失った。東京市民はぼう然自失、
不安におびえながらも右往左往しそのなす所を知らなかった。
内村は一枚の紙に左のごとく書いて玄関口にはり出した。
今は悲惨を語るべき時ではありません。
希望を語るべき時であります。・・・・・・ 」(p567)
「 10月5日の内村の日記に、
昨夜順番に当り、自警団の夜番を努めた。・・・・
老先生拍子木を鳴らしながらその後に従う。・・・・
と書いた。これについて、ベンダサンは、
『内村鑑三のような、キリスト教徒の非戦論者・平和主義者までが、
木刀をもって家のまわりを警戒に当たったのは事実であり・・』
と書いた(「日本人とユダヤ人」)。
内村は木刀を持って歩いたのではなく、拍子木を鳴らしながら
歩いたので、拍子木というものはカチン、カチンという
遠くまできこえる音によって、悪る者が逃げるようにするものである。
息子の持っていた金剛杖というもの鉄棒だと誤解している人もあるが、
これは樫の木で作ったもので、この夏息子祐之が富士登山に使った
ものである。・・・・ 」 (p572~573)
はい。ここに、
『 内村は一枚の紙に左のごとく書いて玄関口にはり出した。
今は悲惨を語るべき時ではありません。
希望を語るべき時であります。・・・・・・ 』
という箇所があったのでした。そこから思い浮かべた本が、
曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日)の
このパウロが引用されている箇所でした。
「新約聖書の中に収められた聖パウロの書簡の中には、
ところどころに実に特殊な、『 喜べ! 』という
命令が繰り返されている。
私たちの日常では皮肉以外に『 喜べ! 』と
命令されることはない。・・・・・・
聖パウロの言葉は、人間が命令されれば心から喜ぶ
ことを期待しているのではないだろう。
喜ぶべき面を理性で見いだすのが、
人間の悲痛な義務だということなのだ。
人間は嘆き、悲しみ、怒ることには
天賦(てんぷ)の才能が与えられている。
しかし今手にしているわずかな幸福を
発見して喜ぶことは意外と上手ではないのだ。 」(p29)
え~と。
内村鑑三著「後世への最大遺物 デンマルク国の話」(岩波文庫)
これをパラリとひらいてみたら、パウロと二宮尊徳とのページが
目にはいりました。その両方を最後に引用しておきます。
「・・・パウロの書簡は実に有益な書簡でありますけれども、
しかしこれをパウロの生涯に較べたときには価値の
はなはだ少ないかと思う。パウロ彼自身は
このパウロの書いたロマ書や、ガラテヤ人に贈った書簡よりも
エライ者であると思います。・・・ 」(p54)
「あなたがたもこの人(二宮尊徳)の伝を読んでごらんなさい。
『少年文学』に中に『二宮尊徳翁』というのが出ておりますが、
あれはつまらない本です。
私のよく読みましたのは、農商務省で出版になりました。
五百ページばかりの『 報徳記 』という本です。
この本を諸君が読まれんことを切に希望します。
この本はわれわれに新理想を与え、新希望を与えてくれる本であります。
実にキリスト教の『 バイブル 』を読むような考えがいたします。」(p63)
ということで、はい。私はさっそく『報徳記』をネット注文することに。
そこに出てくるであろう、『希望』とめぐりあえますように。
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