和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

国の文芸を楽しくした。

2022-04-26 | 柳田国男を読む
うん。『菊池寛の救命ボート』の話をしたかった。けれど、
ここはまず、柳田国男の『女性と俳諧』のはじまりを引用。

「こなひだから気を付けて見て居ますが、もとは女の俳人といふ
 ものは、絶無に近かったやうですね。

 芭蕉翁の最も大きな功績といってもよいのは、
 知らぬうちに俳諧の定義を一変して、幅をひろげ、
 方向と目標を新たにし、従ってその意義を深いもの
 にしたことに在ると思ひますが、そうなって始めて

 多くのやさしい美しい人たちが、俳諧の花園に
 遊ぶことが出来たのです。国の文芸を楽しくした、
 この親切な案内人に対して、まづ御礼をいふべきは
 無骨なる我々どもだったのです。・・・・     」

芭蕉では、いまひとつわからない。
それでは、菊池寛ならどうなのか?

『菊池寛の救命ボート』ということで3冊。

①長谷川町子著『サザエさんのうちあけ話』(姉妹社)
②長谷川洋子著『サザエさんの東京物語』(朝日出版社)
③石井桃子談話集『子どもに歯ごたえのある本を』(河出書房新社)

①には、東京へ出て来て転覆寸前の「長谷川丸」へと
    救命ボートを漕ぐ菊池寛の姿が小さく描かれておりました。

「・・思いがけない方角から、突如、救命ボートが現れたのです。
 知人の紹介で絵を見て下さった菊池寛先生が、
 『ボクのさし絵を描かしてあげよう』つるの一声です。
 『女性の戦い』という連載小説です。・・・
 キモをつぶした姉は40度からの熱を出し、
 ウンウンうなりながら仕事に取りくみました。・・・」

はい。①と②と、菊池寛の箇所を拾い出すと面白いのですが、
どんどん長くなるので、ここまでにして、③へといくことに。

③は、インタビューに答える石井桃子さんでした。

川本】 ご卒業が昭和3年で、文春に入られたのはどういうきっかけで?

石井】 ・・菊池先生に『仕事ください』って言うと
   『こういう仕事したらどうだ?』なんてくだすった時代ですから、
   いつから社員になったということをはっきりと覚えていないんです。
   アルバイトでお手伝いしてたんです。
   学校の先生をするのが嫌なもんだから。そしたら、
   『丸善にいろんな本があるだろ?
    通俗小説でいいから読んであらすじを書いてくるように』
   なんて、そういう仕事をいただいていたんです。・・・・

   菊池先生が、仕事をくださる機会が減るようになると、
   『社へ来て校正を手伝ったらどうだ?』と言ってくださいまして、
   なんとはなしにお手伝いみたいなことをするようになりました。 
   男の人も女の人も。
   そのころ、文芸春秋社には、
   本当に妙な人が『勤めているかのごとく』来ていまして、
   月給なしで働いているなかには蘆原英了さんなどもいました。
   あの人は慶応の学生で、毎日文芸春秋へ来て
   校正でも何でもやってるんです。( p231~232 )

もどって、①の「うちあけ話」に洋子さんが勤める箇所が、
ひらがなと漢字のかわりに絵が描かれた文にありました。

『いまどこにいってるの?』と、菊池寛
『ハ、東京女子大でござい』と、まり子姉の顔絵
『やめさせなさい ボクが育ててあげる』
妹はすぐ退学して、ご近所の先生宅にかよいだしました。
名もない女学生のために、西鶴諸国ばなしの講義をして下さるのです。
 ・・・・・・

このあとに、姉達が、洋子に質問する箇所が印象的でした。

『ネエ どんな先生?』
『どんなお話?』と、
根ほり葉ほりききますと、
かまわない方で、オビを引きずりながら出てこられる。
時には、二つもトケイをはめていられる。

汗かきでアセモをポリポリかかれる。
胸もとがはだけると、厚い札束が、かおを出していた。
ポツリポツリ話をしてくれたのはこれだけ。・・


この「札束」の場面は、石井桃子さんも語っておりました。

石井】 お給料はね・・・とてもキテレツな理屈なんですけど、
   「石井さんは困らない家だから」って、私は安いんですよ(笑)

  「困る」人にはたくさん「払って」いたんじゃないでしょうか。
  月給というのが決まっているようでいながら、
  少しお金が足りないと言われると、
  菊池先生が袂(たもと)から出して永井さんたちに
  あげてた時代ですからね(笑)
  経理とは言えなかったんじゃないですか。
  菊池先生のアイディアのおかげで雑誌が売れて、
  お金がどんどん入ってきたんですね。

川本】 最初はどんぶり勘定だったんですね。

石井】 ええ、ほんとに。で、私たちは記事を書いていただいた人に
    お金を払わなくちゃならないでしょう?それだのに、
    経理の人がちっとも出してくれないんですね。・・・・・
                 (p236)

うん。長くなりますが、さいごに、
『クマのプーさん』と石井桃子さんを引用。

川本】 犬養家のクリスマスパーティのときに出会ったと・・・

石井】 私は、犬養健さんのところにもよく文藝春秋で
    原稿をいただきに通ったんですね。それで、
    健さんよりも家族と仲よくなってしまって。
    道子さんなんかは、まだ子どもでした。そのプーの本は、
    クリスマスに西園寺公一さんが、道子さんの弟・・犬養康彦さん
    にクリスマスプレゼントに贈ったものだったんです。

    ちょうど、私がよばれていったクリスマスに、その本が
    クリスマスツリーのところに立てかけてあったんです。
    そのときに『読んで!』と言われて、そのとき初めて
    プーにめぐり会ったんですね。そのときは・・・・

    『クマのプーさん』のことも何も知らなかったんですけど、
    二人に読んで聞かせたら二人が喜んで転げ回ったんです。
    あまり面白いから『貸してちょうだい』といって、
    その晩私は借りてきて家で読んできて、一つひとつの
    お話を道子さんに話したわけなんです。
    それを原稿にまとめたら、友人で肺病で寝ている人が
    その原稿を読んで、ぜひ本にしなさいと言って・・・・(p238)


はい。菊池寛の救命ボートに乗ったのはひとりじゃなかった。
さいごにまた『女性と俳諧』の箇所を繰り返して置くことに。

『 多くのやさしい美しい人たちが、 
  俳諧の花園に遊ぶことが出来たのです。
  国の文芸を楽しくした、この親切な案内人に対して、
  まづ御礼をいふべきは無骨なる我々どもだったのです。』



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