山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

2日遅れの七面山  平成20年3月21-22日

2008年03月25日 | 南アルプス
 平成20年3月21日 天候晴れ

 ここ2年間、春分の日に七面山を訪れ、いずれも素晴らしい富士山頂からの日の出を見ることができた。特に昨年は雲の間から一瞬だけ姿を現した太陽が強く印象に残っている。今年も登る予定だったのだが、残念ながら雨となり中止。翌日の21日、2日遅れの日の出を見るため、午後から羽衣の表参道を七面山目指して登る。敬慎院には予約を入れていなかったので、テントを被って眠るつもりで、テント、マット、シュラフ、シュラフカバーと一式ザックに詰め込んで出発。日の出だけ見るのならば例年通り夜間登れば良いのだが、この日は十四夜の月が富士山頂の右隅あたりから昇ってくるはずだ。6時までにはなんとか御来迎場まで到着したい。羽衣から歩き始めは午後2時半、どんなに急いでもこの装備を担いででは私の足では3時間はかかる。いつもよりは足早に登るが、長い登り、さすがに足に来る。三十丁目を過ぎたあたりから雪が多くなり、三十三丁目で6本歯アイゼンを装着、上のほうで南無妙法蓮華経を唱える信者の声が聞える。四十五丁目あたりで信者の行列の姿が見え、最初の10人ほどを抜いたが、角を曲がって先を見るとまだまだたくさん人がいる。道を譲ってくれたのでさらに10人ほど抜き去ったが、さらにその先にも10人くらい信者の列が続く。さすがにそこまでは抜ききれず、信者の列について歩く。山門のところで信者の人たちは一旦休憩するようだったので、そこで全員抜き去り、御来迎場まで一気に登った。
 到着時間は6時数分前、富士山山頂にわずかに残照が残り、右手の雲の中から月が顔を出している。大急ぎでカメラと三脚をセットして撮影する。なんとか間に合った。富士山は頭の部分を雲の中に隠し、山頂はほとんど見えなかったが、この日の月は黄金色に輝く見事なものだった。隣で三脚を立てていた男女の若者とすぐに仲良くなる。2人は敬慎院に宿泊するので一緒に泊ろうと誘いを受ける。迷っているところに敬慎院のお坊さんが月の写真を撮影に飛んできた。さすがにお坊さんの前でこのあたりにテントを張らせてくれとは言えない。これも何かの縁、お坊さんに泊めてもらえるかどうか尋ねると、先に行って係の者に話しておいてくれるという。テント泊りやめて敬慎院にお世話になることになった。

    3月21日午後6時、金色の月昇る

 この日の敬慎院は信者の人たちと一般の人を含めて80人ほどの宿泊客あり、予約外の宿泊は私だけだったようで、一人だけ別に食事を出していただいた。さらにお風呂にも入れさせていただき、遅れて到着した私一人のためにわざわざ8時半過ぎに特別にご開帳の儀式を行っていただいた。同室の客は皆一般客で、中には写真目的の人も居り、露出やシャッタースピードの事などいろいろと聞く。客の中にはもう50回以上七面山に登ったという人がおり、山の話などで軽く盛り上がったところで消灯時間の9時となり眠りにつく。翌日山頂に向う際、この方にご厄介になるとは思ってもいなかった。

3月22日 天候晴れ
 朝は3時半に起床し、まわりの人に気を使いながらそっと布団を出て準備をする。昨日会話した写真家も同じ時間に準備を始めていた。朝4時、御来迎場に行くと既に3~4人三脚を構えていた。宿泊客ではなく、夜を徹して登って来た人たちだ。雲ひとつない空、月光に照らされて富士山もきれいに見える。今日はきれいな御来光が見られそうだ。春分の日から2日遅れているため、富士山山頂からは日が登ってこない。しかし、七面山山頂近くのガレの淵まで行くと山頂左寄りからの日の出が見られるはず。前日知り合った若者と、暗いうちにガレの淵まで登ることにし、4時半に待ち合わせして歩き出した。しかし、すぐ上の荷揚げ小屋のところでトレースは消失、その先は膝あたりまで沈むラッセルとなる。とても日の出に間に合うようなものではなく、即効であきらめて御来迎場に戻る。
 昨年同様、山門の釣鐘下の好ポジションをキープし、日の出を待つ。信者さんたちも続々と集まり始め、南無妙法蓮華経を唱え始める。午前6時、富士の左肩が黄金色に輝きはじめ、日が昇りはじめる。と同時に信者さんたちがうなり声にも似た「ウオーッ」という祈り声(叫び声)をあげはじめる。雲がかかって日の出が見えない時はこの気合で雲を押しのけるのだそうだ。本当にそんなことができてしまいそうな、びっくりするような祈り声、熱心な人たちがいるものだと感服する。

    朝焼けの富士  昨年に続いて山門下の好ポジションを確保。


    2日遅れの御来光  山門の屋根から今にも落ちそうな氷が輝いていた。

 さて、信者さんたちや一般の宿泊客の人たちは敬慎院に食事をとりに戻っていったが、私は持ってきたパンを食べて、一人でそのまま七面山山頂を目指す。膝元まである雪をラッセルするが、道も良くわからない。途中にシカの足跡がありそれに沿って左に回りこみ、大ガレの展望台までたどり着く。
    
      七面山大崩れ
 
 ここまでで1時間近く時間を費やしている。ガレの淵に立ち、安全な足場を確保して大崩れ(ナナイタガレと呼ぶ)の写真を撮っていると、8時少し前に10人ほどのグループが登って来た。秩父山の会の人たちで、未明から登り始めてなんとか日の出に間に合ったという。私のトレースに沿って来たのだが、ここから先は急斜面となりしかもノートレース。登り始めたものの、雪が深くて先頭の人が「引き返すか?」と言っている。ここまで来たのだから一緒に登りましょうと話し、私と会の男性3人で交代しながらラッセルし、急斜面を登る。中腹でテープを見失い、左側の尾根に取り付いたところ、ここは腿まで沈む深い雪、しかも急斜面で滑り、容易に登れず悪戦苦闘する。道を間違えたのはわかっていたが、稜線の平坦地はもう目の前に見えていて、ここで引き返すわけにはいかない。へとへとになってラッセルしているところに後ろからさらにもう1グループが追いついてきた。昨日同室だった男性率いる6人のグループだった。途中から先頭を引き受けてくれ、猛烈な勢いでラッセルし、ほどなく平らな稜線に到着。しかし、ここも雪は軽く膝上あり、稜線に沿って進むとようやく正規の登山ルートと合流した。ここで雪は膝下、脛のあたりとなり、歩きやすくなる。山頂に到着したのは9時30分、ガレの展望台から1時間30分、敬慎院からは実に3時間(実質2時間半)もかかった。皆で握手し、登頂できたことを喜び合う。

    雪の山頂。力を合わせ、ようやくたどり着いた。

 2年ぶりの山頂は50~60cmほどの積雪あり、方位盤も完全に雪の中。盛り上がった場所を女性が掘ると、方位盤が出てきた。また、消失していた山梨百名山標柱も新品のものが建て直されていた。やはりこの標柱を見ないとなんとなく登った気がしない。最後のラッセルを引き受けてくれた男性グループは、6月下旬に雨畑から笊ヶ岳に登るそうで、チーム吉野も同行するかどうか、検討しようと思っている。それにしても雲ひとつ無い良い天気、下界は暑そうだ。2チームは小休憩後下山していったが、私はゆっくりとコーヒーを飲んでいちばん最後に下山、途中のガレの上から見る富士山がきれいだった。下山はトレースのない正規登山道を降りて間違えた場所を確認した。左尾根に取り付かず斜面を真直ぐ行けば良かったのだが、やはり途中は膝上のラッセルだった。敬慎院に戻り、預けておいたテント道具一式をザックに詰め込み、丁重にお礼を述べて下山。下りは羽衣までちょうど2時間だった。

    ガレの縁から見る七面山大崩れ


    敬慎院山門。門の中にすっぽり富士山が入る。

 テントに泊らず、敬慎院にご厄介になったことでいろいろ経験できたし、またたくさんの山を愛する人たちと知り合うことができた。一人ではとうてい登れなかった山頂も力を合わせて登ることができた。実りの多い山行だった。

参考(にならない)タイム
1日目 羽衣14:30‐二十三丁目小屋15:50‐三十三丁目16:40(アイゼン装着)‐山門17:50‐御来迎場18:00
2日目 敬慎院6:30‐大崩れ展望台7:25‐七面山山頂9:30(大休憩)‐敬慎院12:20‐下山開始13:00‐羽衣15:00
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下部の盟主、五老峰  平成20年3月16日 天候晴れ

2008年03月23日 | 御坂・毛無・天子山系
 国道52号線沿いの下部あたりから東の方向を見ると、毛無山山塊の手前に格好良く空に突き出す大きな山がある。あの山の名前は何と言うのだろう、登山ルートはあるのだろうか?昭文社の地図には山の名前もルートも書かれていない私にとっては未知の山だった。初めてその山の名を知ったのは3月の嶺朋クラブ(私が所属する山岳会)の例会でのことだった。月例山行で下部温泉から「五老峰」という山に登るという。ひょっとしてあの山か?帰り際に山の場所を聞いてみると、間違いなく下部を通るたびにあこがれとして見上げていたあの山だった。同行させていただくことにした。
 当日の朝、増穂町役場に6時に集合する。集まったメンバーは私を含めて5人、上野巌先生、高崎会長、小池さん、秋山さんと会の主力メンバーがずらりと揃う。標高差1400m、しかも明確なルートがないこの山、果たして皆について行くことができるのだろうか?と若干の不安がよぎる。6時50分、下部温泉の駐車場を出発、取り付き口は下部温泉病院の裏側にある森林浴の森という遊歩道で、下部温泉病院の前を横切って道に入る。かつて遊歩道として整備したらしく、トイレやベンチも備え付けられているが、現在は歩く人も無いらしくすっかり荒れ果てている。この道は山腹を巻くように取り付けられており、目指す五老峰は道の途中から尾根に取り付き、尾根をはずさないようにひたすら上を目指して登る。

   登山口の森林浴の森。向こうに見えるのはトイレだが、荒れている。

    
      可愛らしいアブラチャンの花。下に見える建物は下部温泉病院。

 登り始めはスギやヒノキの植林の中を歩く。ところどころに林業作業用の目印と思われるテープがあちらこちらにつけられている。1時間ほど歩いた標高500mあたりのところでやや平坦になり、左手に伐採地がある。ヒノキが植林されているがまだ若木で背丈までもなく、ここから八ヶ岳方面が見えるらしいのだが、この日は雲が湧き、見ることができなかった。

    下部のスギ・ヒノキ林を登る。あちらこちらにテープがついている。

 急斜面となり、道なき道をさらに1時間ほど登った標高約900mあたりの所に、モミの巨木が2~3本立ち並び、大きな岩がごろごろとしたやや歩きにくいところがある。さらに急斜面を進むと美しいヒメシャラの木が何本も立ち並ぶ広葉樹林の林を通過する。そしてやや平坦な登りとなり、その先にはこのルートのハイライト、大石を敷き詰めた城壁を思わせるような大岩が目の前に立ちはだかる。時間は10時15分、標高は約1150m、休憩するには良い場所だ。

    モミの大木。このあたりは大岩がゴロゴロしていて歩きにくい。


    美しいヒメシャラの木が立ち並ぶ広葉樹林の林。


    城壁のような大きな岩壁が立ちはだかる。

 この大岩を右に巻いて進むと、補助ロープが張られた急斜面を通過する。こんなルートのはっきりしない山でも管理してくれている人がいるのかと思うと感心させられる。ここを登り切って再び尾根に取り付くと、一旦傾斜が緩くなり、やや痩せた尾根を通過する。再び急傾斜となって30分ほど登ると、右側から来る尾根と合流する。標高約1550m地点の下山で使う予定の尾根だ。テープが一応はつけられてはいるが、わかりにくいので登りの時に確認しておいたほうが良い。コースを左向きに変え、20分ほど登ると大きな枯れ木が立つ岩に辿り着く。ここは展望台になっていて、岩の上から振り返ると笊ヶ岳、荒川三山から北岳まで、南アルプスの山々がずらりと並んで見える。その先にも展望台がありそこからは南部方面の眺望が開けている。ここから10分もかからずに三角点のある五老峰山頂に到着する。山頂には「五老峰、1618.5m」と書かれた古い看板が立てられている。林の中にある山頂は残念ながら眺望は得られない。時間は11時40分、順調に4時間40分で到着できた。(約300m/1時間のペース。)

    大岩を覗き込む小池さん。直登はちょっと危なそうだ。

    
      大岩を右に巻いてトラロープに沿って急斜面を登る。

    
      この岩を登ると三角点のある山頂は間近。


    五老峰山頂で記念撮影。林の中で展望は無い。

 山頂のすぐ下の平らな場所で昼食をとり大休憩する。秋山さんが持ってきてくれたビールと天婦羅が実においしかった。1時間ほど休み、展望岩のところで記念撮影して下山開始。急斜面をスリップしないように気をつけて下りる。尾根の分岐点をそのまま真直ぐに進み、湯の奥集落方向に進路をとるが、そのまま真直ぐ行くと別の尾根に迷い込んでしまうらしく、進路はやや左寄りにとる。30分ほど下ったところ(標高約1300m地点)で緩いコルに着き、小コブをひとつ越える。さらにもうひとつコブがあり、そこには大きなツガの木が立ち、赤いペンキサインが塗られている。ここが下山時の重要ポイント、先行した3人はそのまま真直ぐに進んでしまったのだが、最後尾の高崎さんがここから90度近く左に折れてテープがつけられているのを発見した。先行3人を呼び戻し、ここでルートを確認する。小池さんが以前登った時に途中のコルで曲がったのを記憶しており、ここは左に曲がって尾根を下りると、10分ほどで保存状態良好な炭焼き釜のある場所に出る。釜の中を見ると、3~4人は寝れそうなくらいのしっかりとしたスペースが開いていた。

    1300m地点、下山時のポイントとなる場所。右の大きなツガの木に円いペンキサインあり、ここでほぼ直角に左方向に下りる。


    分岐から10分ほど下るときわめて保存状態の良い炭焼き釜がある。

 さらに急斜面を下ってゆくとやがてスギ・ヒノキの植林帯に入る。足元に切り倒された木がゴロゴロと転がっており、なんとなく道があるような無いような斜面だが、標高900mあたりの場所から道は明瞭になってくる。途中には壊れた炭焼き釜の跡があり、そのあたりはもうしっかりとした山道になっている。歩く人は少ないらしく、足元には落ち葉がたくさん積もっていた。明瞭な道を40分ほど下ると、入り口に願掛け地蔵の立つ湯の奥林道に到着した。時間は午後14時55分だった。(下りは約550m/1時間のペース。)
    
      下山道下部の良い道。標高900mあたりからこういう道になる。


    湯の奥集落にある国指定重要文化財、門西家の建物。

 直下に湯の奥集落があり、ここには国の重要文化財に指定されている門西家の藁葺屋根の建物がある。集落で1人の老人と出会い、今回私たちが登った山を「ごろぼう」と愛着をこめて呼んでいた。湯の奥林道を道端のふきのとうを摘みながら楽しんで歩き、午後4時半、下部温泉の駐車場に到着した。大変な山だったが、山歩きの楽しさを存分に味わえる、実にすばらしい山だった。ここのところ月や星、太陽と富士山を中心に、写真のことばかり考えて登っていたが、登山の楽しさを改めて実感させてくれるすばらしい山行だった。嶺朋クラブの方々に感謝したい。

参考タイム
下部温泉6:50-モミの大木(標高900m)9:15-城壁のような大岩(標高1150m)-10:15-尾根分岐 (標高1550m) 11:15-五老峰山頂 (標高1618.5m) 11:45-(休憩1時間)-五老峰12:50-尾根分岐12:58-下山尾根分岐点(ツガの木地点、標高1300m) 13:25-炭焼き釜13:35-明瞭な道(標高900m)14:15-湯之奥林道14:55-湯之奥集落15:15出発-下部温泉16:30


    五老峰ルート地図(カシミール3Dから作成)

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手強かった冬の節刀ヶ岳  平成20年3月9日

2008年03月17日 | 御坂・毛無・天子山系
平成20年3月9日 天候晴れ

 3年前の夏に芦川側から大石峠を経て節刀ヶ岳に登った時は、完全に霧に巻かれ、富士山どころか隣の十二ヶ岳や鬼ヶ岳さえ見ることができなかった。御坂山塊で富士山を見ていない山はここだけと言って良く、いつか天気の良い日にもう一度登りたいと思っていた。

    河口湖から見る富士山

 この日は天気予報では晴れ、午後から雲が広がるとの予報で、風が穏やかで暖かく、登山には絶好の天候となった。今回はまだ歩いたことのない河口湖側の大石から登ることにした。河口湖の湖畔から富士山を眺めると、見えてはいるもののなんとなくモヤがかかったようなすっきりしない富士山だ。最近こんな富士山ばかり。大石の林道を行くと、現在大きなトンネルを掘る工事をしていて、いずれ甲府盆地と河口湖が大きな道でつながるらしい。登山口まで車で行けるが、雪が少し残っていてアイスバーンになっていたので、10分ほど手前の工事用プレハブ小屋があるところに車を止め、8時少し前から歩き始める。
先週の三方分山が手頃な雪だったので節刀ヶ岳もそんなもんだろうと多寡をくくって出発。大石峠に登る道は整備され、道標もしっかりとつけられた良い道。そのまま道をたどって行けば間違いなく大石峠なのだが、1時間ほど登ったところで左側に鋭角に曲がる細い道が目に留まる。踏み跡もついているし、節刀ヶ岳の方向はそちら側になる。もちろん地図にはない道なのだが、途中で尾根を右に取り付けば節刀に行く稜線に抜けられるはず。ということでそっちの地図にない道を歩くことにした。15分ほど歩くと予想通り尾根に取り付く。踏み跡はそのまま山腹を横に辿ってついているが、私はここで右に曲がって尾根を直登、ここから踏み跡はないが、林業作業をした痕跡がありところどころにテープがついており、何となく道らしいところもある。しだいに傾斜がきつくなり、15~20cmほどの雪を踏みながら稜線に出ると、予想通り大石峠から節刀ヶ岳に向う道に着いた。しかしそこは・・・予想に反してノートレース。歩けないことはないが、簡単に膝まではまる30~40cmの積雪がある。しかも悪いことにスパッツを置き忘れてきてしまった。とりあえず行けるところまで、と節刀側に歩いて行くと、100mほど進んだところでトレース発見。どうも稜線上は風でトレースが消えてしまっていたらしい。しかし、このトレース、やたらと大きな足跡で、スノーシューかなにかの跡らしく、私が踏むとさらに深く沈んでしまう歩きにくいトレースだった。少し歩くと富士山を見るのに絶好の岩場があり、その上に乗って写真を撮る。毛無山から十二ヶ岳に向う稜線の上に富士山が立ち、河口湖で見た霞を抜けてすっきりとした富士山が見えていた。やはり山の上から見る富士山は良い。
    
      なんとなく道? 今回登った尾根道。ところどころに林業作業用のテープがついている。(登山道を示すテープではないので注意。)


    毛無山-十二ヶ岳尾根の上に立つ富士  下界のモヤの上に富士が聳える。

 11時山頂の予定だったのだが、時間は既に10時。夏ならばここから1時間で行けるのだろうが、この雪ではどうなることやら。途中で6本歯アイゼン装着し、靴の中に入ってくる雪をしばしば払いのけつつ、ズポズポの雪道を一歩ずつ進む。途中にとんでもない急斜面があり、膝上まで雪にはまりながら足場を踏み固めつつなんとか越える。節刀ヶ岳が目の前に迫ってきた。苦節2時間あまり、12時半に金山への分岐に到着、節刀ヶ岳はすぐそこだが、すでにヘトヘト、しばし休憩。結局山頂到着は予定を2時間もオーバーした12時50分だった。

    十一・十二ヶ岳と富士  節刀ヶ岳山頂からの眺望。


    河口湖方面の眺望  左が御坂山塊最高峰の黒岳、その右が三つ峠、いちばん右が杓子山と鹿留山。


    南アルプスの眺望  荒川三山から白根三山の山々が軒を連ねる。
    
      雪道のトレース  足がはまって歩きにくい。

天気が良いのにこの日の節刀ヶ岳山頂は私一人だけ。十二ヶ岳や鬼ヶ岳側から来る人もいない。十二ヶ岳から鬼ヶ岳へのコルに大きく富士山が聳え立つ。右手には荒川三山から白根三山、仙丈岳へと、南アルプスの山々がずらりと軒を連ねる抜群の眺望。山頂からわずかに下った岩の上からは河口湖側の眺望が楽しめ、裏側には八ヶ岳と奥秩父の山々が顔を出す。下山するのがもったいない気がするが、1時間ほどのんびりしてさて、下山だ。また登って来た雪道を戻るのはちょっと辛いが、歩くしかない。大石峠までのトレースを心配していたのだが、幸いなことに帰りは途中まで数人登って来た人がおり、しっかり踏み跡がつけられていた。雪が多くて途中であきらめて引き返したらしい。そのトレースに沿って大石峠に到着したのは3時40分、2時間かからずに到着できた。ここから見る富士山もまたすばらしい。西日が差し込む斜面がまた格別に美しい。結局ここでまた1時間も時間を費やしてしまうことになる。

    大石峠


    西日射す富士山  午後4時過ぎの大石峠から見る富士山。

 急ぎ足で峠からの道を降り、45分で林道まで下り、駐車場に到着したのは午後5時30分だった。思った以上に雪が深くて足をとられ、大幅に予定時間を超えたが、富士山を見ることができ、山頂を踏むことができた満足感のある登山だった。ただ、この雪道を一人で行くのはちょっと辛いものがある。

参考(にならない)タイム
大石林道7:45-大石峠登山道入り口8:00-中腹の分岐8:45-尾根取り付き9:00-稜線9:45-ガレの淵10:50-金山分岐12:30-節刀ヶ岳12:50(昼食休憩約1時間)-大石峠15:30(1時間休憩)-林道17:15-駐車場17:30
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月光の精進湖と三方分山 平成20年3月2日

2008年03月07日 | 御坂・毛無・天子山系
  平成20年3月2日 天候晴れ

 この日は早朝3時半ごろに南東の空からさそり座のシッポあたりに三日月が昇って来るはずで、本栖湖あたりから富士山山頂に昇る三日月が捉えれれる・・・はずだった。予定通り2時に目が覚めたのだが、眠気が強くてうとうととしていたら、あっという間に1時間が過ぎ、時間は3時15分。あわてて準備して出発、精進湖のトンネルを抜けた頃には時間は4時をとうに過ぎ、富士山の右に月が昇ってしまっている。ダイヤモンド月には間に合わず、精進湖の湖畔に車を止めて月光と富士の撮影にとりかかる。

    
      月昇る  左の明るい星は木星、右手の星座はさそり座。

    
      月光湖面を照らす  風が吹いて湖面の月光が乱れた瞬間を捕える。

    
      東の空に昇った白鳥座

 既に先客は7~8人、三脚を立ててはいるが撮影している人は少なく、みんな日の出を待っているらしい。私の目的は月とその右手のさそり座、それと左手に輝く明星、木星だ。甲府盆地から見上げる霞のかかった星空とは違い、ここからはきらきらと輝いた星空が見える。月光と富士を映す精進湖の湖面もまた神秘的で美しい。東の空には白鳥座が頭を下げて昇り始めており、冬だというのにもう夏の大三角形が観察できる。夜明けまで精進湖湖畔で至福のひと時を過ごすことができたが、この季節は日の昇る角度が悪く、赤く焼ける富士山は見ることができなかった。

    黎明の精進湖


    朝焼けの精進湖

 朝7時、カメラ撤収し、三方分山へ登ることにした。前回登った時はパノラマ台に登り、折り返して三方分山、女坂峠と一周してきたが、今回は精進山に直登するコースを行く。踏み跡があるか心配だったが、かなり歩いた跡があり雪が踏み固められて凍り付いていた。コースに入ってすぐに6本歯アイゼンを装着、約1時間で精進山に到着した。既に先客が一人、凍る精進湖越しの富士山を眺めていた。地元、河口湖の方らしく、周辺の山や地元の情報についてはかなり詳しい。湖畔の右手に見える赤い屋根のホテルを富士急が買い取って、今まで夏だけの営業だったのを年間営業にするらしい。ここは内装がきれいでかなり良いホテルらしい。
    
      凍る精進湖  精進山からの眺望。

 情報交換し、先に私が三方分山に向って出発、雪は15cmほどで雪道散歩を楽しむには手頃な量だった。40分ほどで山頂到着、途中で2~3人とすれ違い、さらに山頂で2~3人、さらに女坂峠に向う途中で10人以上のグループ2組とすれ違った。更に女坂峠でも10人ほどの中高年グループ、こちらは女坂峠から反対側の五湖山を目指して登っていった。さらに7~8人のグループが到着、この山域は冬でも安全に登れるので、かなり人気が高いらしい。

    三方分山山頂  15cmほどの積雪あり、雪を楽しむには手ごろな量。

    
      三方分山山頂からの富士


    女坂峠の道標  五湖山まで3000m、精進湖まで3000m、距離が間違っているとしか思えない標識。

 私は11時半には下山し、いつものように写真家栗林先生が経営する喫茶店写ば写ばに立ち寄り、またまた3時間近くも居座ってしまった。写真好きの人たちや、時としてプロのカメラマンが集うこの喫茶店はお客さんたちともすぐに仲良くなれる憩いの場である。満足して甲府に戻る。
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八王子山からの甲府盆地  平成20年3月1日

2008年03月07日 | 番外編
平成20年3月1日 天候晴れ

 早朝4時に帯那山に登り(といっても車を止めて15分も歩けば山頂に到着できる)、富士山の左手に昇るさそり座を狙ったが霞が広がり全くダメ。かろうじて朝焼けの中に富士山が霞んで見える程度の眺望しか得られなかった。昼間は自宅でゴロゴロとうたた寝、夕方空気が澄んできたので、今度は甲府盆地の夜景と冬の大三角形を狙って八王子山へ行ってみた。八王子山は甲府市の北西にある千代田湖の湖畔から歩いてわずか10~15分で行ける甲府盆地の展望台だ。武田の杜遊歩道が整備されており、湖畔から3~4本の登り口があり、休憩所も完備されている歩きやすいところだ。入り口の道標には「白山」と記されているが、これは大きな屋根着きの休憩所があるピークを指すらしい。八王子山はその一つ向うのピーク(といっても歩いて5分ほど)、八王子神社が奉られている。そこから甲府盆地越しの富士山を眺めることができるが、撮影には木の枝が邪魔になってしまう。そこから湯村山側にわずかに下ったところの岩の上が撮影には絶好の場所である。

    夕暮れの千代田湖


    白山の休憩所  武田の杜遊歩道が良く整備されている。


    八王子神社  ここから湯村山側に下ったところに絶好の展望台(岩)がある。

 日が沈みかけた頃にこの岩の上に三脚を構える。朝よりはだいぶ空気が澄んで富士山がすっきりと見えるが、この日もあまり富士山が焼けることなく陽が沈んでしまう。今年は朝も夕も富士山が赤く焼けるところを一度も目撃していない。年を追うごとに焼けなくなっている気がするのは私だけだろうか?地球の温暖化の影響と大気汚染のせいで空気の透明感が無くなり、赤い光が届かなくなっているのではないだろうか。南アルプスの山小屋に泊った時に小屋主さんが、「最近は空が赤く焼けない、昔はもっと真赤に焼けたのに」とぼやいていたのを聞いたのはもう3年も前の話だ。写真を撮り始めて約3年、しかしこの3年間でも明らかに空の透明感は失われてきている。

    甲府盆地と富士夕景


    八王子山からの甲府盆地夜景

 そのまま8時まで粘ったが、空は1枚ベールがかかったように白く、甲府盆地の明りも邪魔して星は全く映らなかった。夜景と星空を同時に写しこむのはかなり難しい。
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