山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

霧氷の王岳 平成24年3月19-20日

2012年03月28日 | 御坂・毛無・天子山系
 平成24年3月19-20日

 未明に月齢3日の月が昇ってくる3月20日、天の川と細い月を撮影できる絶好のチャンスだ。この風景を撮影できるのは2月の中旬から3月いっぱいの約2ヵ月間、年に1度か2度しかない。かつて節刀ヶ岳、金ヶ岳から撮影を試みているが、なかなか週末にあたらず、月が明るすぎて満足なものは撮れていない。特に3月になると春霞が増えて撮影が難しくなる。
 3月18日も空は雲が多く、星空など望めるような空ではなかった。しかし、天気図、雲画像を見ると、一瞬だけチャンスが来るかもしれず、うまくすれば雲海の富士と月と天の川が見られるかもしれない状況にあった。未明に天候回復を期待して、午後3時45分、西湖ほとりの根場を出発する。鍵掛峠まで約2時間、そのあたりで日が暮れて、あとは王岳までの稜線をヘッドライト点けて登るという、いつもの夜行登山だ。

    西湖ほとりの根場から見る王岳。空はどんより曇り空、こんなんで大丈夫??


    鍵掛峠直下のお地蔵さん

 予定通り、日没を過ぎて暗くなり始めた頃に鍵掛峠に到着した。展望台からは雲に巻かれた富士山が少しだけ顔を出していた。ヘッドライト点灯して稜線を進が、この先のアップダウンでアイスバーンとなった雪に相当苦戦することになる。根場から見上げる限りでは雪は心配なさそうだったのでアイゼンは置いてきたのだが、登山道だけ踏み固められた雪が残って凍りついていたのだ。特に下りは相当神経をすり減らし、木や根につかまり、時には笹やぶの中を歩いて慎重に進んだ。山頂に近付くにつれて霧に巻かれるようになり、あたりは真っ白な世界になる。気温をみると-8℃、想定外に冷え込んできた。悪戦苦闘すること2時間、午後8時にようやく王岳山頂に到着した。富士山どころか、町の明かりも全く見えない。しかし、空を見上げると時折星空が透けて見え、雲はそれほど厚く無さそうだ。明日の朝を期待して、この日はテント設営して9時半に寝る。

    鍵掛峠展望台から見る富士山  雲に巻かれるが、かろうじて姿が見える。

 翌朝は3時半に起床した。テントの外に出ると、相変わらず霧が巻いて何も見えない。狙っていた星空はあきらめて、再びシュラフに潜り込んで寝て、今度はあたりが明るくなった5時半に起きた。テントの外に出て目を見張った。霧と冷え込んだおかげで、あたり一面出来立ての真っ白な霧氷の世界が広がっていたのだ。

    翌朝の風景。一面に霧氷の景色が広がる。


    霧氷の王岳山頂


    霧氷の森


    霧氷の空

 三脚を担いで霧氷の森を行ったり来たり、やがて雲間から朝日が差し込み始める。そしてついに・・・雲に浮かぶ富士山が朝日を浴びて姿を現した。狙っていた星空と月は見られなかったが、代わりに思ってもいなかった新鮮な霧氷の世界と富士山を目にすることができた。富士山はわずか30分ほどで再び雲の中に隠れてしまった。

    霧氷と雲上の富士


    霧氷と富士


    霧氷と毛無山


    眼下に見える西湖  富士山はわずか30分で姿を消す。


    霧氷の山

 9時、テント撤収して下山開始する。帰りは鍵掛峠ではなく、王岳直登ルートを下山する。一面の霧氷の景色に感動しつつ、シャッターを切りまくる。この景色は1,500mあたりまで広がっていた。またしてもアイスバーンの登山道に苦戦し、今度は見事にスリップして尻もちをついた。危険な斜面ではなくて幸いだった。かつては不明瞭だった下部の砂防ダム付近は道が整備され、テープや看板がつけられて踏み跡もしっかりしていた。

    帰りは根場からの直登ルートを行く。道標が立ち、道も整備されていた。


    こちら側も凄い霧氷の景色が広がる。


    同上


    標高1,500m付近。このあたりで霧氷の景色は終わる。そしてこの先、アイスバーンの道に苦戦。

 根場いこいの里から王岳を振り返ってみると、もう既に霧氷はわずかしか残っていなかった。王岳よりも標高の高い雪頭ヶ岳、鬼ヶ岳はまだ真っ白だった。こんな白い世界は、きっと今シーズンこれが最後なのだろう。山の神様からの贈り物・・・。

    根場いこいの里から見上げる王岳。既に霧氷はわずかしか残っていない。
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富士山撮影会 平成24年3月15日

2012年03月22日 | 番外編
 平成24年3月15日

 前日の3月14日、めまい診療についての講演会が開催された。その際の講師で来られた先生は日本屈指の平衡神経の大家、かつ、大の写真好きの先生でもある。「日本の四季」と題した日本各地で撮影した写真を、毎年カレンダーにして出版されている。そこには、心暖まる日本の自然風景が載せられている。
 3月15日は仕事を休みにして、先生とともに富士山の撮影会に出かけることになった。お供というよりも、私自身、この撮影会を楽しみにしていた。ただし、完全に1日やすめるわけではなくて、30分ほどで仕事は終わるが一度職場に戻らなければならない。往復時間を入れると2時間ほど時間を費やしてしまうが、これも仕事柄やむを得ない。

 猪之頭林道
 ダイヤモンド富士には数日早いが、朝の日の出はここに決めていた。日の出の前の朝焼けが富士山頂に円を描くところを狙っていた。しかし・・・朝の天気は曇り。富士山は雲を被り、山頂が現れず、不発に終わる。今日は1日この空でダメなのではないかという心配がよぎる。その後ふもとっぱら、本栖湖、河口湖大石公園と回ったがいずれも富士山現れず、場所の下見だけするに留まった。9時半、一旦職場に戻る。




 岩本山公園
 仕事を30分ほどで終え、今度は梅の名所、静岡県富士市の岩本山公園に向かう。ここでありがたいことに、本日車の運転を引き受けてくださった先生がおり、そちらの車に乗り換えて出発する。朝早かったので睡魔に襲われ、移動中に1時間ほど眠らせていただいたが、このおかげでかなり頭がすっきりした。富士宮に入ったあたりでふと目を覚ますと、雲が晴れ始め富士山が見えてきた。道沿いに梅の花がちらほらと咲いている。期待を膨らませて岩本山公園に12時半到着。時間が遅くなってしまったが、おそらく午前中では富士山が見えなかったであろう。雲が時々巻き、春霞で不鮮明ではあるが、なんとか富士山が姿を現した。三脚を持ったカメラマンもたくさん来ている。ほぼ満開の梅の花を存分に堪能した。ズームレンズで梅の花と富士山を狙うのが標準的だろうが、あえて私は広角レンズを使って梅の花をできるだけ広く切り取ってみた。しかし、これだと梅の写真で富士山の写真という感じにはならなかった。











 白糸の滝
 山梨側に戻って今度は白糸の滝に向かう。ここは午後になると富士山に陽が当たるので、撮影は午後のほうが適している。ただ、難点なのは富士山と白糸の滝を移し込める展望台が、崩落の危険のため立入禁止になっていることだ。すっきりした富士山が姿を現したのだが、やはりフェンスが邪魔になってしまい、良い位置では撮影できず、残念無念だった。





    綺麗な富士山が姿を現したが、フェンスが邪魔で滝が入らない。

 山中湖湖畔
 今度は富士山を半周回り込んで山中湖に向かう。富士山の裾野に沈んで行く夕陽を湖面に反射させて撮影しようという狙いだ。山中湖平野には日没迫る午後5時ごろに到着した。湖畔近くの路上に車を止めて山中湖湖畔に行くと、想定外の雪原になっていた。踏み跡の無い綺麗な雪原を探して、そこで三脚を立てる。風がやや強まり、富士山にまとわりついていた雲はすっかり晴れていた。美しい湖畔の夕暮れの景色が広がる。最後の訪問地で、本日最高の1枚を撮影することができた。









 朝はどうなることかと思ったが、しだいに天候が好転し、私としては大変満足できた撮影会だった。私一人で車を運転していたら相当疲れていただろうが、協力者がいてくれたおかげで本当に助けられた。きっと本日撮影した中の1カットが来年の「日本の四季」カレンダーの1ページを飾ることだろう。


 小松崎先生、橘田先生、ご苦労さまでした。おかげさまで楽しい撮影会ができました。またのお越しをお待ちしております。
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樹氷の森、鬼頬山から黒富士へ

2012年03月16日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成24年3月11日

 3月9日から10日にかけて甲府では雨が降った。さほど寒い雨ではなかったが、河口湖や富士吉田では雨ではなく雪だった。そして11日、雨は上がったが空は曇り空、しかし天気予報では日中晴れ間が差しそうだ。
 同じ職場に勤務する山仲間の一人が4月から静岡に転勤することとなった。この日は送別会を兼ねた登山を予定し、昨年北岳に登ったメンバーを主に、朝6時、職場前の駐車場に集結した。行き先はヨッシーの隠れ家、黒平から黒富士ルートと撥岩を予定していた。車で昇仙峡の奥、金桜神社からマウントピア黒平への道を行くが、途中に通行止めの看板あり、さらに林道を3kmほど進むとあたりの景色は雪景色に変わった。太刀岡山が真っ白に雪化粧している。この雪の量だと、黒平から黒富士へのルートは相当な時間を要してしまい、到着できないかもしれない。かつ、撥岩から道の無い尾根を下りるのはほとんど困難である。即座にルート変更を決め、引き返して平見城の黒富士農園から登ることにする。

    黒富士農園駐車場


    雪の越道峠

 黒富士農園からは越道峠、鬼頬山を経て黒富士に至り、八丁峠を経て農場に戻る周回が可能である。7時50分に農場を出発し越道峠に向かうが、予想通り途中から道路は雪道に変わった。30分ほど歩いて峠に到着したが、あたりはすっかりご機嫌の雪景色だ。先週の茅ヶ岳に続いて、3月にこの山域でこのような雪景色が見られるとはラッキーだ。誰も踏んでいない雪の感触を楽しみながら、鬼頬山に向かって進む。

    鬼頬山に向かう雪の登山道  木の枝が雪で垂れ下がる。


    樹氷の道、踏み跡の無い新雪の道

 くるぶしから脛下くらいの雪でラッセルというほどでは無かったのだが、鬼頬山への急登は辛かった。張られているロープや木につかまりながら、雪の斜面に靴を蹴り込んで登り、50分ほど時間を費やしてようやく山頂近くの緩い斜面に登り付いた。なんとかアイゼン装着せずに登り切った。ここで休憩していると、幸いなことに足の速い若者2人組みが私たちに追いついてきた。コースを聞くと、本日私たちが予定しているのと同じコースを歩くとのことだ。トレースをつけておくことをお願いし、ここから先は彼らのトレースの跡をひたすら追う、他力本願登山に変わる。

    霧の巻く樹氷の森  中央に見える黒い穴は鬼頬山の洞窟


    鬼頬山の急登。ここの登りは相当疲れた。


    森の切れ間から見る雪景色

 鬼頬山山頂からは一旦急下りとなり、そしてまた登り。黒富士の直下までは緩い下りとなり、そして最後の急登が待っている。岩混じりの急斜面を登り切り、12時10分、ようやく黒富士山頂に到着した。越道峠の道標には黒富士まで2時間と書かれていたが、ちょうど3時間かかって到着したことになる。

    雪山初経験者もいるが、皆笑顔。


    樹氷の森から見上げる青空


    鬼頬山山頂


    鬼頬山からの急下り


    カラマツの樹氷


    陽が差すといっそう生える樹氷の森

 朝は曇っていた空には青空が広がった。金峰山や八ヶ岳などは雲がかかっているが、隣の升形山、曲岳、茅ヶ岳などは良く見え、雪化粧した山並みが美しい。昼食をとってゆっくり休憩する。

    黒富士山頂  ハイキングコースのはずだったのですが、結構大変でした。


    黒富士展望台。富士山は見えず、残念。


    樹氷の山並み  右から升形山、曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳。その向こうの南アルプスは雲に隠れる。

 午後1時、下山開始する。升形山のコルあたりはいちばん雪が深く、膝下あたりまであったが、先行してくれた若者2人のおかげで迷うこともなく、労せずに通過することができた。午後になると樹氷の雪はボロボロと落下しはじめ、しばしば頭の上に降ってきた。これもまた樹氷の森の楽しみだ。1時40分、八丁峠を通過し、黒富士農園に向かって雪の感触を楽しみながらひたすら下りる。そして2時40分、黒富士農園の駐車場に到着した。参加メンバー皆、満足気な表情をしていた。

    升形山のコル。このあたりが一番雪が深かった。先行した若者2人に感謝。


    八丁峠直下。午後になると樹氷はだいぶ落ちてしまっていた。

 3月11日はあの大地震が東日本を襲った日だ。地震が発生した午後3時46分、追悼のサイレンが鳴った。参加者全員、北東の方向を向いて黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈った。この後一旦解散し、6時半、駅前の「ういち」という鰻料理店に再び集合して送別会を行った。主力メンバーの一人が欠けることは残念だが、実家が甲斐市なので都合がつけばまた一緒に登れるだろうし、2年後には甲府に戻ってきているかもしれない。新しい職場でも活躍してくれることを願う。
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標柱整備と樹氷の茅ヶ岳  平成24年3月4日

2012年03月05日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成24年3月4日

 樹氷の情景を求めて北八ヶ岳を予定していた。そして予定通り朝5時に目を覚ました。しかし・・・空はどんよりと曇り空、三つ峠ライブカメラを見ても山には雲がかかっている。これでは・・・
 中止してもう一寝入りして明るくなった7時半に起きる。外に出ると、自宅のある積翠寺周辺の山にも雲がかかっている。これでは、山の眺望は望めない。そこで、一冬あけたところで傷んでいるであろう茅ヶ岳標柱を整備しに行くことに決めた。林道を短絡しようとして大明神林道に入ろうとしたが、冬季でゲートが閉鎖されていて入れない。深田公園駐車場から歩くことになるが、ちょうど2グループ、6~7人の登山者が出発するところで、山頂で一緒になるのを避けるため(ボンドやニスの臭いが強く、休憩時に不快感を与えかねない)あえて饅頭峠という峠を迂回して登山道に入る。この道は途中までが立派な林道になっていて、西側に迂回してから尾根に取り付き、2~3個のコブを超えて大明神林道に到着するため、10~15分ほど余計に時間がかかる。その代わりにほとんど人が歩いていないため、あの混雑する茅ヶ岳においてほとんど人に会うことがない静かなルートだ。ただし、時折オフロードバイクが走るため、バイクの音がしたら道を避けないと事故にならないとも限らない。

    深田公園


    深田公園を過ぎてすぐ先にまんじゅう峠の道標あり。


    饅頭峠。ここを右折して尾根道を歩くと、大明神林道沿いの駐車場に至る。

 深田公園を出発したのが10時半、11時15分に女岩経由の茅ヶ岳登山道入り口に到着。さらに女岩に到着したところで、駐車場で会った3人組が女岩の先の急斜面を登っているところだった。一休みして出発。いつもの茅ヶ岳の森で写真を撮り、ゆっくりと斜面を登って行くと、尾根に登り付くあたりで少しだけだが樹氷に彩られた木があった。思いもよらぬ光景にうれしくなり、しばしその界隈で休憩してこの景色を楽しむ。

    女岩。凍りついてはいなかった。10mm超広角レンズではこの広さまで写しこめる。


    茅ヶ岳の森の倒木


    尾根付近にできていた樹氷


    深田久弥慰霊碑付近の樹氷


    雪の華

 山頂に到着したのは午後2時。ほぼ予定通りだ。雲が湧いて景色は何も見えない。駐車場で見かけたグループはちょうど昼食を終えた頃だった。私は軽食をとって標柱整備にとりかかる。予想通り、古いほうの標柱は以前よりさらに朽ちており、さわるとボロボロと崩れてしまう。あまり壊さないように、朽ちた個所には念入りにボンドスプレーを噴霧して固める。そしてスプレーニス、さらに刷毛でニスを上塗りして、最後に黒ペンキで標柱の文字を塗り直す。約1時間で作業を終える。山頂にいた人たちも私の作業に興味を持ってくれ、この標柱のいきさつなどを、またしても自慢げに話してしまった。

    山頂のTwin Tower (before)


    山頂のTwin Tower (after) 天候が崩れ始めて暗くなってきたため、フラッシュを焚いて撮影。ピカピカ!

 3時過ぎ、尾根道を下山しはじめると、そこには驚くべき景色が広がっていた。一面樹氷の世界だ。日当たりが悪く風が吹かなかったこちら側の斜面にはまだ樹氷がそっくり残っていた。天候が崩れ始めて霧の巻いた光景がまたいっそう幻想的だ。本日は使うことが無いだろうと思っていた三脚をここで取り出し、存分に写真を撮る。この斜面で相当な時間を費やし、気が付けば時間は4時になっていた。遂に小雪が舞い始める。中腹の大岩を回り込んだあたりで樹氷の景色は終わり、三脚とカメラを仕舞ってあとはひたすら降りる。高度を下げると、雪はしだいに雨に変わり、さらに濃い霧が湧いてきた。午後5時、駐車場に到着した。

    茅ヶ岳尾根道に広がった樹氷の風景


    茅ヶ岳の樹氷


    同上


    同上


    凍りつく木


    霧巻く樹氷の情景

 茅ヶ岳は厳冬期にも何度か登っているが、このような樹氷の景色を見たのは初めてだった。うまくすれば、樹氷の向こうに立つ甲府盆地越しの富士山が見られるのかもしれない。
コメント (8)
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