~山上から地球環境を考える~
「瑠璃色の地球 ~薄明の青い空~」をご覧になった方は、朝の一時の抜けるような青い空をご堪能できたことと思う。この朝の風景から、地球環境、特に甲府盆地を山上から見た時の風景について考えてみたいと思う。
月昇る甲府盆地の夜明け(平成21年2月 甘利山)
厳冬の2月の朝の甘利山からの夜明けの風景である。甲府盆地の町明りが宝石を散りばめたように美しく、青い空に三日月が昇る夜明けの情景である。しかし・・・実際にはどうなのか?次に見せる画像が日の出の時の風景である。
澄んだように見えていた空は、実は低空に薄い霞がかかり、甲府盆地は霞というよりも薄雲におおわれている。日の出とともに気温が上昇してきてこうなったこともあるのだが、それを加味したとしても甲府盆地はこの厳冬の朝でも霞がかかっているのだ。
銀河の夜明け(平成20年12月、鳳凰山)
「白峰に傾く冬の大三角形」を撮影した鳳凰山砂払山からの未明の風景である。北岳方向は約90度右方向になるが、風が吹いたこの日の白根三山はすっきりと見えていた。この時間に見る甲府盆地は一見霞も無くすっきりと見えているように見える。しかし・・・
日の出直後の富士山と甲府盆地の風景である。実際にはかなりの霞におおわれた空で、甲府盆地は完全に厚い霞というか、雲のようなものにおおわれていて町の情景を見ることはできない。これも日の出とともに霞が出たと言えないわけではないが、それにしても厚い霞だ。
薄明の八ヶ岳赤岳と甲府盆地の灯り(平成19年6月、八ヶ岳横岳)
この年の6月、唯一夏の天の川撮影に成功した朝の風景である。雲に浮かんで遥か向こうに小さく富士山が見える。この時も甲府盆地は霞と雲におおわれている。
日の出の時の風景だが、やはり甲府盆地を覆う雲の上に霞んだ富士山が見えている。この日は一日穏やかな天候だったのだが、甲府盆地をおおう雲は晴れなかった。
五丈岩と甲府盆地の夜景(平成22年3月、金峰山)
強風吹き荒れた翌日の未明、空は晴れ、薄明の瑠璃色の空が広がった。そして眼下には甲府盆地の灯が燦々と輝く、そんな情景だ。しかし、富士山側を撮影してみると、何となく霞んだような富士山がモニターに映し出されていた。
夜明けになってみると、やはり低空をおおう霞、そして霞んで見える甲府盆地。この日は黄砂がたくさん飛来した日でもあった。
茅ヶ岳と富士と甲府盆地(平成22年1月、金ヶ岳)
好天とは言えない夜だったが、星空は見えていた。冷え込んだ未明に甲府盆地を覆うかのように空気の層ができていた。
幾度と無く過ごした山上での夜、そして迎えた朝。何度見ても甲府盆地の空は霧や霞、そして雲におおわれている。甲府盆地から見上げる空は、いつもこういう霞の層を通して星空を見上げているのだ。ライトダウンしたくらいで星空が見えるというようなレベルではないと断言できる。この霞が全て地球温暖化の影響のためかどうかは断言できないが、少なくともここ2~3年での環境の変化が著しいのは、カメラを持ってまだ5年の私にでもわかる。かつて厳冬の寒い朝、甲府盆地から見る甲斐駒ケ岳が朝焼けに真っ赤に焼けていた風景を何度も目にしたが、ここ数年はほとんど見ることがなくなってしまった。それは富士山も同様であろう。波長が短くエネルギー量の少ない赤の光線は、霞のために途中で減弱して届かなくなってしまうからだ。4年ほど前、農鳥小屋に宿泊した時、大荒れの天候が回復した夜に美しい甲府盆地の夜景が眼下に広がった。小屋主の深沢糾さんが冗談交じりに「おまえたちがあんなに電気をつけるから空気が汚れるんだ」と言っていた言葉を思い出す。その時は環境問題など全く目にも留めていなかったが、写真を撮り続けてきた今、やはりこの霞は明らかにおかしいと感じる。黄砂が飛んで来るのだから、中国の大気汚染が飛んでくるのもおかしくはない。しかし、それ以上に、温暖化によって発生する地上からの水蒸気が地表を覆い、特に盆地の構造をしている甲府にはその蒸気が淀んで溜っている、と解釈するのが妥当なのではないだろうか。1年の約半分を山上で暮らす深沢さんは、この変化にずっと前から気付いていたに違いない。
最近の空を象徴しているような夜の情景.甲府盆地を覆う霞,低空の雲,そして上空の天の川.いつかこの霞と雲が空一面を覆いつくすようになり,星空が見られなくなってしまうのでは・・・そんな危惧をいつも抱いている.
身近に迫る地球環境問題を、ひしひしと感じるようになった今日この頃、だからといって私に何ができるというものでもない。せいぜいテレビで宣伝しているようなゴミの分別、アイドリングストップ、電気をこまめに切るくらいだろう。しかし、みんながこの問題を意識して少しずつでも環境改善に取り組んで行くのなら、きっと大きな力になるであろう。美しい写真を撮るのも楽しみではあるのだが、その写真を通じて、少しでも多くの人が地球環境を考えてくれるようになってくれればと願う。また、これから私が撮影して行くであろう写真のメインテーマでもある。
「瑠璃色の地球 ~薄明の青い空~」をご覧になった方は、朝の一時の抜けるような青い空をご堪能できたことと思う。この朝の風景から、地球環境、特に甲府盆地を山上から見た時の風景について考えてみたいと思う。
月昇る甲府盆地の夜明け(平成21年2月 甘利山)
厳冬の2月の朝の甘利山からの夜明けの風景である。甲府盆地の町明りが宝石を散りばめたように美しく、青い空に三日月が昇る夜明けの情景である。しかし・・・実際にはどうなのか?次に見せる画像が日の出の時の風景である。
澄んだように見えていた空は、実は低空に薄い霞がかかり、甲府盆地は霞というよりも薄雲におおわれている。日の出とともに気温が上昇してきてこうなったこともあるのだが、それを加味したとしても甲府盆地はこの厳冬の朝でも霞がかかっているのだ。
銀河の夜明け(平成20年12月、鳳凰山)
「白峰に傾く冬の大三角形」を撮影した鳳凰山砂払山からの未明の風景である。北岳方向は約90度右方向になるが、風が吹いたこの日の白根三山はすっきりと見えていた。この時間に見る甲府盆地は一見霞も無くすっきりと見えているように見える。しかし・・・
日の出直後の富士山と甲府盆地の風景である。実際にはかなりの霞におおわれた空で、甲府盆地は完全に厚い霞というか、雲のようなものにおおわれていて町の情景を見ることはできない。これも日の出とともに霞が出たと言えないわけではないが、それにしても厚い霞だ。
薄明の八ヶ岳赤岳と甲府盆地の灯り(平成19年6月、八ヶ岳横岳)
この年の6月、唯一夏の天の川撮影に成功した朝の風景である。雲に浮かんで遥か向こうに小さく富士山が見える。この時も甲府盆地は霞と雲におおわれている。
日の出の時の風景だが、やはり甲府盆地を覆う雲の上に霞んだ富士山が見えている。この日は一日穏やかな天候だったのだが、甲府盆地をおおう雲は晴れなかった。
五丈岩と甲府盆地の夜景(平成22年3月、金峰山)
強風吹き荒れた翌日の未明、空は晴れ、薄明の瑠璃色の空が広がった。そして眼下には甲府盆地の灯が燦々と輝く、そんな情景だ。しかし、富士山側を撮影してみると、何となく霞んだような富士山がモニターに映し出されていた。
夜明けになってみると、やはり低空をおおう霞、そして霞んで見える甲府盆地。この日は黄砂がたくさん飛来した日でもあった。
茅ヶ岳と富士と甲府盆地(平成22年1月、金ヶ岳)
好天とは言えない夜だったが、星空は見えていた。冷え込んだ未明に甲府盆地を覆うかのように空気の層ができていた。
幾度と無く過ごした山上での夜、そして迎えた朝。何度見ても甲府盆地の空は霧や霞、そして雲におおわれている。甲府盆地から見上げる空は、いつもこういう霞の層を通して星空を見上げているのだ。ライトダウンしたくらいで星空が見えるというようなレベルではないと断言できる。この霞が全て地球温暖化の影響のためかどうかは断言できないが、少なくともここ2~3年での環境の変化が著しいのは、カメラを持ってまだ5年の私にでもわかる。かつて厳冬の寒い朝、甲府盆地から見る甲斐駒ケ岳が朝焼けに真っ赤に焼けていた風景を何度も目にしたが、ここ数年はほとんど見ることがなくなってしまった。それは富士山も同様であろう。波長が短くエネルギー量の少ない赤の光線は、霞のために途中で減弱して届かなくなってしまうからだ。4年ほど前、農鳥小屋に宿泊した時、大荒れの天候が回復した夜に美しい甲府盆地の夜景が眼下に広がった。小屋主の深沢糾さんが冗談交じりに「おまえたちがあんなに電気をつけるから空気が汚れるんだ」と言っていた言葉を思い出す。その時は環境問題など全く目にも留めていなかったが、写真を撮り続けてきた今、やはりこの霞は明らかにおかしいと感じる。黄砂が飛んで来るのだから、中国の大気汚染が飛んでくるのもおかしくはない。しかし、それ以上に、温暖化によって発生する地上からの水蒸気が地表を覆い、特に盆地の構造をしている甲府にはその蒸気が淀んで溜っている、と解釈するのが妥当なのではないだろうか。1年の約半分を山上で暮らす深沢さんは、この変化にずっと前から気付いていたに違いない。
最近の空を象徴しているような夜の情景.甲府盆地を覆う霞,低空の雲,そして上空の天の川.いつかこの霞と雲が空一面を覆いつくすようになり,星空が見られなくなってしまうのでは・・・そんな危惧をいつも抱いている.
身近に迫る地球環境問題を、ひしひしと感じるようになった今日この頃、だからといって私に何ができるというものでもない。せいぜいテレビで宣伝しているようなゴミの分別、アイドリングストップ、電気をこまめに切るくらいだろう。しかし、みんながこの問題を意識して少しずつでも環境改善に取り組んで行くのなら、きっと大きな力になるであろう。美しい写真を撮るのも楽しみではあるのだが、その写真を通じて、少しでも多くの人が地球環境を考えてくれるようになってくれればと願う。また、これから私が撮影して行くであろう写真のメインテーマでもある。