山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

山と花と星の奏でる音楽会 ~山上から地球環境を考える~

2010年05月11日 | 番外編
 ~山上から地球環境を考える~

 「瑠璃色の地球 ~薄明の青い空~」をご覧になった方は、朝の一時の抜けるような青い空をご堪能できたことと思う。この朝の風景から、地球環境、特に甲府盆地を山上から見た時の風景について考えてみたいと思う。


    月昇る甲府盆地の夜明け(平成21年2月 甘利山)

 厳冬の2月の朝の甘利山からの夜明けの風景である。甲府盆地の町明りが宝石を散りばめたように美しく、青い空に三日月が昇る夜明けの情景である。しかし・・・実際にはどうなのか?次に見せる画像が日の出の時の風景である。


 澄んだように見えていた空は、実は低空に薄い霞がかかり、甲府盆地は霞というよりも薄雲におおわれている。日の出とともに気温が上昇してきてこうなったこともあるのだが、それを加味したとしても甲府盆地はこの厳冬の朝でも霞がかかっているのだ。


    銀河の夜明け(平成20年12月、鳳凰山)

 「白峰に傾く冬の大三角形」を撮影した鳳凰山砂払山からの未明の風景である。北岳方向は約90度右方向になるが、風が吹いたこの日の白根三山はすっきりと見えていた。この時間に見る甲府盆地は一見霞も無くすっきりと見えているように見える。しかし・・・


 日の出直後の富士山と甲府盆地の風景である。実際にはかなりの霞におおわれた空で、甲府盆地は完全に厚い霞というか、雲のようなものにおおわれていて町の情景を見ることはできない。これも日の出とともに霞が出たと言えないわけではないが、それにしても厚い霞だ。


    薄明の八ヶ岳赤岳と甲府盆地の灯り(平成19年6月、八ヶ岳横岳)

 この年の6月、唯一夏の天の川撮影に成功した朝の風景である。雲に浮かんで遥か向こうに小さく富士山が見える。この時も甲府盆地は霞と雲におおわれている。


 日の出の時の風景だが、やはり甲府盆地を覆う雲の上に霞んだ富士山が見えている。この日は一日穏やかな天候だったのだが、甲府盆地をおおう雲は晴れなかった。


    五丈岩と甲府盆地の夜景(平成22年3月、金峰山)

 強風吹き荒れた翌日の未明、空は晴れ、薄明の瑠璃色の空が広がった。そして眼下には甲府盆地の灯が燦々と輝く、そんな情景だ。しかし、富士山側を撮影してみると、何となく霞んだような富士山がモニターに映し出されていた。


 夜明けになってみると、やはり低空をおおう霞、そして霞んで見える甲府盆地。この日は黄砂がたくさん飛来した日でもあった。


    茅ヶ岳と富士と甲府盆地(平成22年1月、金ヶ岳)

 好天とは言えない夜だったが、星空は見えていた。冷え込んだ未明に甲府盆地を覆うかのように空気の層ができていた。

 幾度と無く過ごした山上での夜、そして迎えた朝。何度見ても甲府盆地の空は霧や霞、そして雲におおわれている。甲府盆地から見上げる空は、いつもこういう霞の層を通して星空を見上げているのだ。ライトダウンしたくらいで星空が見えるというようなレベルではないと断言できる。この霞が全て地球温暖化の影響のためかどうかは断言できないが、少なくともここ2~3年での環境の変化が著しいのは、カメラを持ってまだ5年の私にでもわかる。かつて厳冬の寒い朝、甲府盆地から見る甲斐駒ケ岳が朝焼けに真っ赤に焼けていた風景を何度も目にしたが、ここ数年はほとんど見ることがなくなってしまった。それは富士山も同様であろう。波長が短くエネルギー量の少ない赤の光線は、霞のために途中で減弱して届かなくなってしまうからだ。4年ほど前、農鳥小屋に宿泊した時、大荒れの天候が回復した夜に美しい甲府盆地の夜景が眼下に広がった。小屋主の深沢糾さんが冗談交じりに「おまえたちがあんなに電気をつけるから空気が汚れるんだ」と言っていた言葉を思い出す。その時は環境問題など全く目にも留めていなかったが、写真を撮り続けてきた今、やはりこの霞は明らかにおかしいと感じる。黄砂が飛んで来るのだから、中国の大気汚染が飛んでくるのもおかしくはない。しかし、それ以上に、温暖化によって発生する地上からの水蒸気が地表を覆い、特に盆地の構造をしている甲府にはその蒸気が淀んで溜っている、と解釈するのが妥当なのではないだろうか。1年の約半分を山上で暮らす深沢さんは、この変化にずっと前から気付いていたに違いない。


 最近の空を象徴しているような夜の情景.甲府盆地を覆う霞,低空の雲,そして上空の天の川.いつかこの霞と雲が空一面を覆いつくすようになり,星空が見られなくなってしまうのでは・・・そんな危惧をいつも抱いている.

 身近に迫る地球環境問題を、ひしひしと感じるようになった今日この頃、だからといって私に何ができるというものでもない。せいぜいテレビで宣伝しているようなゴミの分別、アイドリングストップ、電気をこまめに切るくらいだろう。しかし、みんながこの問題を意識して少しずつでも環境改善に取り組んで行くのなら、きっと大きな力になるであろう。美しい写真を撮るのも楽しみではあるのだが、その写真を通じて、少しでも多くの人が地球環境を考えてくれるようになってくれればと願う。また、これから私が撮影して行くであろう写真のメインテーマでもある。
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月と仙丈ケ岳  平成22年5月1-2日

2010年05月05日 | 南アルプス
 平成22年5月1-2日 天候晴れ

 天候に恵まれたゴールデンウィーク、皆様はいかがお過ごしでしょうか?
 当初は鳳凰山から早川尾根に2泊3日で入山の計画を立てていたのだが、狙っていたさそり座と天の川の位置にちょうど月が居て、天の川が写ってくれそうにない。ならば逆にこの月を使って撮影するに良い場所は・・・2年前に行った小仙丈ケ岳からの小仙丈カールを照らす月、さらに仙丈ケ岳に沈んで行く月が良さそうだ。仕事の都合もあって2泊は無理になったので、前日に仙丈ケ岳に行くことに決めた。
 小仙丈ケ岳にテントを張るので、あまり早く行っても登山する人達の迷惑になってしまう。バスは10時仙流荘発で行くことにして、7時過ぎ、甲府を出発し、高速を使わずに国道20号線から杖突峠、高遠を経て仙流荘に入った。9時半に到着したが、目の前をバスが出発していった。バス時間を間違えたのか?と一瞬焦ったが、バス時刻表を見ると出発時間は10時5分、登山客が多くて臨時便が出発したのだ。山梨県の芦安からのバスと違ってこちら側はゲート通過時間の規制がなく、乗客が多いとすぐに臨時便を出してくれてサービスが良い。山梨県側も見習って欲しいものだと常々思うのは私だけではないだろう。この季節はまだバスは北沢峠までは行かず、手前の歌宿(うたじゅく)というところから1時間少々歩かなければならない。このアスファルトの林道が意外と厄介なのだ。登山靴で硬い道を歩くと異様に疲れるのだ。

    まだ葉をつけていない木と甲斐駒ケ岳  南アルプス林道から。

 もともと足は速いほうではないが、林道をテクテクと歩き、まかりなりにも先行していた大ザックを背負う3人組を追い抜いた時、突然声をかけられた。女性の方ははっきり見覚えがあるが、男性は??? 笊ヶ岳でお会いした宮崎さんご一行だったが、旦那さんのほうは少し太られたのか、以前とだいぶ印象が変わってしまった感じがした。本日は北沢峠テント泊だという。きっと大ザックの中はアルコールとご馳走でぎっしりのことだろう。私は先に行ったが、北沢峠で休憩中に3人が追い付いてきた。近況やその後の山行の様子など情報交換したが、この人たちはやはりただ者ではなかった。瑞牆山から雲取山まで5月連休に大縦走、などという山行をやっている。そういえば、長崎の堀川さんたちご一行がそれとは逆コースをこの連休で歩いているはずだ。あのつわものたちは今頃どの辺だろうか?下山後に連絡をとってみることにした。宮崎さんたちとは明日仙丈ケ岳から下山する時にまたお会いする事を約束してここで別れ、私はアイゼン装着して小仙丈ケ岳を目指す。

    樹林帯の中の登り。雪は締まっていて歩きやすかったが、かなりの急登り。

 2年前に来た時は雪が多く、しかもズル雪で足を取られまくり、とてつもなく体力消耗して6時間近くかかってようやく小仙丈ケ岳に到着した。今回はそのときに比べて雪が少なく、何よりも雪が締まっていて足が沈まず、歩きやすかった。それでも、3合目あたりからの尾根道の急登りは、夏道と違ってかなり傾斜がきつく、体力を消耗する。数日前に雪が降ったそうで、前方に大きく立ち聳える真っ白な仙丈ケ岳に圧倒されながら、雪の斜面を一歩ずつ登って行く。1時20分、北沢峠出発し、5合目3時40分、そして小仙丈ケ岳5時40分と、私としてはかなり順調なペースで予定地に到着した。小仙丈ケ岳の一段下に4人のパーティーが一張、そして小仙丈ケ岳には3人の若者のパーティーがテントを張っていた。2年前は私一人だけだったので、何かあった時には心強い。

    雪原の向こうの北岳  久しぶりの間近でのご対面。やはり格好良くて凄い山だ。


    雪の紋章と富士山

 テント設営し終えた頃に、中央アルプスの上に真っ赤な夕陽が沈んでいった。真っ白な雪原を照らす夕陽が美しく、日が沈むまで雪の上に立ち尽くして見入っていた。おそらく、今シーズン最後の雪山になるであろう。

    白い雪原と西に傾く陽  小仙丈ケ岳直下の真っ白な雪原、圧倒される景色。


    雪原を照らして沈む夕陽  左側が仙丈ケ岳山頂。

 テントに戻って夕食をとり、すっかり暗くなった午後8時、再び外に出る。冬の大三角形が仙丈ケ岳に沈んで行く時間だ。ちょうどおおいぬ座のシリウスが山頂近くに沈んで行くところだった。若干霞が出て、星空は鮮明ではなかった。次は10時。今度は北岳側、富士山の左横辺りから月が昇ってくるはずだ。テントの換気窓から外を覗くと、もう月が昇ってきていた。北岳は良く見えているが、富士山は霞の中に沈んでいた肉眼では確認できない。撮影してみると、かろうじてその姿だけは確認できる。手前の雪原を照らして昇る月が美しく、この雪原を入れながら撮影した。

    白き仙丈ケ岳と冬の大三角形  山頂に輝くのがシリウス、オリオン座は半分近く沈んでいる。


    雪原を染めて昇る月  WB日陰で赤い月を強調。


    雪原を照らして昇る月  WB白熱電球で青い月を強調。


    月光照らす仙丈ケ岳  昼間太陽の光で見るのとはまた違う、夜の女王の神秘的な美しさが漂う。


    月光照らすテント場の情景  (テント場ではありませんが・・・テント無いと凍死してしまうので。)

 ここで一端眠り、次に起きたのは3時半。風が強くてテントがバサバサと揺れ、熟睡したとは言えないがとりあえずは寝た。薄明の時間、今度は月が仙丈ケ岳に傾き出す。薄明の青い空に浮かぶ月と真っ白な小仙丈カール、これが今回描いていた絵だ。心配していた雲もなく、絶好の条件でこの絵を見ることができた。そして日の出、真っ白な小仙丈カールをピンク色に染めながら日が昇った。南アルプスの女王と呼ばれる美しいカール地形の仙丈ケ岳、圧倒される大きな山容と真っ白な雪、そしてピンク色の化粧と月のアクセサリー、言う事無しの素晴らしい情景を目にする事ができた。

    月光と南アルプスの女王  薄明の青い空と月、白いカール、描いていた絵そのまま。


    頬を染める女王と月のアクセサリー


    日の出


    朝の高峰たち


    雪屁張り出す雪原  隣にいた3人組はもう出発している。
  
 ここから山頂までは1時間半くらいで行ける。私の横にいた若者たちは農鳥岳を目指すらしく、朝6時にはもう出発していった。山頂まで行く時間は十分にあったのだが、目にした情景にもう十分満足し、この日は山頂に立ち寄らずにテント撤収し、速攻で下山した。歌宿のバスは確か10時だったはず。7時10分、下山開始。雪の斜面を早足で駆け下りるように下山する。3合目の下あたりで宮崎さんたちとすれ違い、再び軽く山談義して別れる。北沢峠8時45分到着、装備をはずして小休憩し、9時に北沢峠出発、辛い林道歩きだ。早足で歩いたが、歌宿に到着したのは10時5分、バスに乗り遅れた~、と思ったが、何故かまだバスが止まっている?? 10時は北沢峠のバス出発時間で、歌宿は10時15分発だったのだ。ラッキー! 今回は山の神様が祝福してくれたようだ。

    嗚呼、愛しき南アルプスの山たちよ!  素晴らしい景色をありがとう。山の神様に感謝。

 甲府盆地の空はもう春霞で星空が見られるような状態ではなくなってしまっている。しかし、標高2800mのところではまだ澄んだ空気できれいな星空が見られる。いつまでもこんな空が見られる環境であって欲しいと願う。
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まぼろしの花を求めてⅡ 東御殿  平成22年4月29日

2010年05月04日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成22年4月29日 天候曇り時々雨

 「東御殿」という名前を聞いてピンときた人はかなりのマニアックな山登りをしている人と言って良いだろう。この山は牧丘と徳和の間にある尾根筋、言い換えれば乾徳山と小楢山の間の尾根筋にある山と言った方がわかりやすいかもしれない。地図にも明瞭な道は書かれておらず、古い林業軌道跡が残っているらしい。昨年の4月、私の所属する山岳会嶺朋クラブのメンバーがこの山を訪れている。その際、再三探しても未だ目にしていないあの珍しいスミレがあったとの情報を得た。果たして、本当にあるのか?クラブのメンバーにルートを詳細に聞き、単独で入山した。
 牧丘から大久保峠という峠に行く林道があり、これに沿って車を走らせるが、林道の入り口には動物避けのゲートが張られており、このゲートの鎖を解いてゲートを開け、林道に入る。しばらく行くと桜の木が植えられた公園が左手に見え、この公園からは富士山が望める。その先の林道は細くなり、ダートの道となる。少し行くと青いトタン屋根のボロ小屋が立っており、その先でこの林道は終わっているのだが、道の途中に倒木があり、終点までは行き着くことができず、戻って小屋より手前の空き地に車を止めた。

    林道終点手前にある小屋。ポストがあり、かつては人が住んでいたらしい。


    大久保峠。東御殿方向を示す矢印がつけられている。

 林道終点からそのまま道を進むと、15分ほどで尾根筋の大久保峠に到着する。ここには一応標柱が立っており、東御殿を示す矢印がつけられている。左に曲がって一段登ると、そこで道は途絶えるが、探すと右と左のどちらにも林業軌道跡らしきえぐれた道が通っている。どちらも荒れて見えるが、前情報で昨年下山時に左手側にかなり明瞭な道があったと聞いていたので、ここは左側(小楢山側)の軌道跡を進んでみることにした。途中までは明瞭だったが、その道もやがて山腹の薮の中に消えていった。かまわずに斜面を上に向って進む。方向を間違っていなければ、登りついたところが目指す東御殿の手前、大久保山のはずだ。途中まで登ると、再び山腹を左に巻く獣道に近いような細い道が現れ、山腹をトラバースするように左に回りこむ。するとその先に明らかに道とわかるような明瞭な道が現れた。その道に従って進んで行くと、大久保山のピークを越えずに道は東御殿と思わしき山のコルに続いていた。

    東御殿を通り過ぎてその先のピーク、おそらく1520m地点。

 途中で雨が降り出し、時折ゴロゴロという雷鳴が聞こえてくる。しかし、天気予報ではお昼ごろから天気が回復する予報なので、先に進むことにする。先ほどまで見えていた東御殿らしき尖った山のピークは雨と霧の中に消え、姿が見えなくなってしまっていた。明瞭な道を進んで行くと、やがて見上げるような急登、登りついた先が東御殿かと思いきや、今度は山腹をなだらかに登って行くトラバース道が続く。さらに進んで行くと、なだらかな登りとわずかな下りを繰り返し、尾根筋の道がずっと続いている。そして再び見上げるような急登り、そして急下り。コルから1時間以上も歩いているのに到着しないのはおかしい。おそらく、山腹をトラバースした時の左手に見えた斜面の上が東御殿だったのだろう。雨が上がり始め、霧の切れ間から眼下に曲がりくねった道が見えた。さらに尖った小ピークの山、地図とコンパスで確認すると、あのピークは小烏山、そして現在地点は・・・目指していた東御殿を越えてその先の1500mあたりのピークであることがわかる。ひとまず休憩しておやつを食べる。

    雨が上がり、青空が見え始めた。戻りながら、前方に東御殿のピークが見え出す。

 そのうちに雨が上がり、青空が見えるようになってきた。登って来た尾根道を振り返ると、現在地より低い位置に尖った山が見えてきた。あれこそが東御殿だ。雨で滑る斜面をスリップしないように慎重に下り、トラバースした斜面を尾根伝いに登り返すと、そこが東御殿の山頂だった。

    東御殿山頂。向こうに見えるのは乾徳山。


    山頂近くに祠が立っていた。

 さて、探していたスミレとは・・・清楚な白い花びらが美しいヒゴスミレだ。エイザンスミレに似ているが、花は真っ白で葉がエイザンに比べて細いのが特徴だ。花期はエイザンスミレとほぼ同時期、4月下旬から5月中旬ごろになるだろう。首を振り振り道脇を探したが、あったのは数株のアケボノスミレとタチツボスミレだけだった。ミツバツツジが咲き始めているので咲いていてもおかしくない時期ではあるのだが・・・あの特徴的な葉っぱすら見つからない。時期が早かったこともあるのだが、本当にあるのかどうか?

    ミツバツツジがほころんでいる。スミレが咲いていても良いのだが・・・


    山桜と青空


    わずかに咲いていたアケボノスミレ


    大久保山山頂。三角点だけがぽつりと立つ。

 折角なので帰り道は大久保山の山頂を越えて尾根通しに下山してきた。すると、大久保峠から一段上がったところの左の軌道跡にたどり着いた。左に行けばトラバース、右に行けば大久保山山頂への尾根筋ルートとなっていた。残念ながら今回もまたしても空振り。探している花が花だけにこのような結果は仕方ないのだが、もう一度情報を収集してトライしてみたいと思う。

    我が家の庭にあるヒゴスミレ。花を見ないうちに散ってしまった。

 昨年同じ山岳会の方から譲っていただき、我が家の庭に植えたヒゴスミレが花をつけた。が、咲いたのを見ないうちに花は散り、もう実になってしまっていた。散ってしまった後ではあるが参考までに掲載しておく。目撃情報ありましたら、(こっそり)ご連絡ください。

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まぼろしの花を探してⅠ 思親山  平成22年4月24日

2010年05月03日 | 御坂・毛無・天子山系
まぼろしの花を探してⅠ 思親山  平成22年4月24日 天候曇り

 春のこの季節、山梨県の中~低山ではすみれをはじめとする様々な花が咲きほこる。今回はかなり珍しい花の情報をいただいたので、早速出かけてみた。2~3週間前には10株ほど咲いていたらしいのだが・・・果たして見つけられるのか?花期はもう過ぎてしまっている。

    佐野峠の山桜満開

 行く先は南部町の思親山。細い林道を佐野峠というところまで行ってしまうと、登山というよりもハイキングといった感じになる山だ。おおよその場所は聞いておいたが、なにせ探している花は落ち葉や地面の色と同じような茶色っぽい保護色をしており、かつ背丈5cmほどしかない小さな花だ。目を凝らして登山道脇を右左と首を振りながら、時として薮の中を歩きながら歩くが・・・見つからない。その他にはたくさんの春の花が咲いている。ニリンソウ、タチツボスミレ、ナガハノスミレサイシン、ヒトリシズカ、そしてもう終焉を迎えているカタクリなど。探している花は・・・未だ出会ったことのないカイコバイモという花だ。この山域に極少数ながら残っているらしい。実は、もう一ヶ所、この花の情報をいただき、先週探しに行ったが空振りに終わっている。(レポートは割愛させていただきます。)

    登山道に入ってすぐのところに咲いていたニリンソウ


    ナガハノスミレサイシン この山にはたくさん咲いていた.


    フモトスミレ これもたくさんある.


    カタクリの花はもう終焉


    山頂で見つけたニオイタチツボスミレ

 首を降り降り山頂まで行ったが、とうとう見つからずじまいだった。休憩後、その先の道を真直ぐに行き、まだ歩いていない南部町側の林道に下りてみることにした。こちらの道も首を降り降り花を探して・・・しかし見つからず、こちら側は杉の林の下を通るやや薄暗い道がほとんどで、カイコバイモが育つような環境ではなかった。あっさりと林道に到着してしまう。このまま林道沿いに戻れば、車の止めてある佐野峠に戻れるのだが・・・花は無し、しかも歩き足りない。う~ん、つまらん・・・と思いつつ林道を歩いていると、切り開かれた植樹帯の横を登って行く細い道が目に留まる。もちろん登山道ではなくて林業作業道なのだが、途中で道が無くなったとしてもそのまま上に向って登って行けば、必ず尾根の道にたどり着ける。よし、登り返そう、ということでこの作業道を登ることにした。

    思親山山頂の山桜.富士山は見えなかった.


    この道標を内船駅方面へ下りる.


    林道を進んで行くと・・・こんなところに道が.

 予想したよりも良い道が延びており、日当たりの良い斜面にはスミレがたくさん咲いていた。ほとんどがナガハノスミレサイシンとアケボノスミレ、しかし、ここのアケボノスミレは驚くほど大きな株のものばかりだ。いつも見るのはⅠ~2本が地面からちょんと頭を持ち上げているものばかりだが、ここのものは5~7本の花が固まって咲いている。しかもたくさんある。探している花は・・・やはり無い。

    林業作業道が上に向かって伸びる.


    南部町を一望.真っ直ぐな道なのでグングン高度を稼げる.


    アケボノスミレ. ここの株は大きなものばかり,しかもたくさんある.


    軽くひと雨降ったおかげで,カタクリが復活して花開いていた.

 稜線の道に着いたところで情報を提供していただいたKさんに電話してみる。おそらくは見つからずにうろつくことを想定して電話番号を伺っておいたのだ。しかし・・・つながらない。あきらめて、再び山頂を越えて佐野峠に下山して行く途中でKさんから電話がかかってきた。事情を話すと、詳細な位置を教えてくれ、そちらに向って再三探してみたが、やはり花はなかった。時期が遅かったのだ。やはり3月中旬ごろが盛期ということになるのだろう。この稀少な花は来年に持ち越しになる。

    これは同種のミノコバイモ.(小野さん提供)

 折角なので、同じ山岳会の小野さんからいただいたカイコバイモと同種のミノコバイモの画像を掲載しておく。これは紀伊半島の某山で偶然見つけたものだそうだ。目撃情報あったら、(こっそりと)是非ご提供いただきたい。

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