山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

月光ダイヤモンド富士、田貫湖  平成21年1月13日

2009年01月19日 | 番外編
 平成21年1月13日 天候晴れ

 富士山山頂から昇る3月と8月のダイヤモンド富士の季節には、狭い湖のほとりに200~300人もの人が詰めかける田貫湖。昨年3月、初めて訪れた田貫湖ダブルダイヤモンド富士を幸運にも撮影することができた。今回狙うのは、十七夜の月。夜7時半ごろに富士山頂あたりに昇ってくるはずだが、カシミール3Dとアストロガイドの付属ソフトを組み合わせて時間と位置を計算しているため、毎回月の位置は若干ずれてしまっている。
 さて、仕事を終えて5時ごろに甲府出発し、田貫湖に到着したのは6時過ぎ。何台か車が止まってはいるが、喧騒のダイヤモンド富士とは違って静寂な夜景が楽しめる.オリオン座はもう富士山の右手に高く昇っており、冬の大三角形のひとつ、子犬座のプロキオンがもうすぐ富士山から姿を現すところだった。日はすっかり暮れているが、富士山は肉眼で大沢崩れの雪肌がくっきり見えるほど明るく見える。

    湖面に降る星たち  静寂の湖面に映る星を表現したかったが,映る星の数が少なかった.


    田貫湖に昇る冬の大三角形とオリオン座  15mm diagonal fisheyeの画像.

 さっそく湖畔に移動してカメラをセット、湖面が静かだったので、湖面に映る星空を表現したかったのだが、オリオン座がもう高く昇ってしまっていて、画角内には入ってこない。15mm diagonal fisheyeでようやく捉えられる高さだが、fisheye独特の水平線が歪んだ画像になってしまう。(これもありか。)車を降りた時はあまり寒さを感じなかったので、普段着の上にオーバージャケットだけ羽織って月の出を待つが、なかなか出てこない。7時半ごろとおおよその見当をつけていたのだが、8時になってもまだ出てこない。気温は-5℃くらい、上半身は良かったが、下半身はさすがに寒い。特に凍傷がまだ改善しきっていない足の指先の感覚が麻痺してきた。ザックに入っていた予備の靴下を1枚履いて靴下3枚でなんとか凌ぐ。

    月光ダイヤモンド富士が昇る直前,富士山の山頂が輝き出す・


    田貫湖の月光ダイヤモンド富士1

 そして8時28分、ようやく富士山山頂の右脇わずかにずれて月が昇り始めた。Iso感度を640~800に上げても夜の富士山を写すには15~25秒かかるので、月光ダイヤモンド富士は3カットくらいしか撮影できないことになる。ちょうど風が吹いてしまい、湖面に映るダブルダイヤモンドにはならなかったが、湖面に月が細長く反射する風情のある一枚となった。喧騒のダイヤモンド富士より静寂の月光ダイヤモンド富士のほうが私には似合っている(と思う。)


    田貫湖の月光ダイヤモンド富士2
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬富士探訪、芦川から鍵掛峠を経て王岳へ  平成20年12月29日

2009年01月19日 | 御坂・毛無・天子山系
 平成20年12月29日 天候晴れ

 戸台から北沢峠に入る予定だったのだが、見事に寝過ごした。前日年賀状作成で深夜3時近くまでかかってしまったこともあるが、気合が足りなかったこともある。年末だというのに、私立高校はまだ補習授業が行われていて、いつものように子供たちを学校に送り届けてから山に向かう。行き先は御坂山塊のどこか。明日から南アルプスに行くのであまりきついところには行けない。車でまず芦川に向かい、鳥坂峠トンネルを抜けたところで芦川の登山案内の看板を見る。さて、どこにしようか?できれば歩いたことがないルートを歩きたかったので、道は荒れているらしいが、芦川から鍵掛を経て王岳、あるいは鬼ヶ岳へ行く道を歩いてみることに決める。

    鍵掛峠登山口


    ガレた沢を渡る.対岸にテープあり.

 県道から芦川グリーンロッジへ向かう道に曲がり、ロッジを越えてさらに進むと、舗装が切れたところで右に曲がる細い道がある。分かれ目に鍵掛峠を示す道標があり、そこを進むと間もなく行き止まりになり、車が5~6台止められるスペースがある。そこに車を置いて、少し戻ったところに登山道入り口がある。明瞭な道だが、小さな沢を渡る辺りは少しわかりにくい。だが、対岸に行くとまた明瞭な道が現れてくる。さらに20分ほど進むと今度はガレた沢を渡るが、ここは看板と対岸にテープがつけられているので見落とさなければ問題ない。斜面はしだいに傾斜を増すが、道はジグザグにつけられていてさほどきつさは感じない。そして、2か所ほど登山道が崩落して歩きにくい場所があるが、スリップに気をつけて通過すると、今度は鍵掛へ向かう尾根道に取り付くようになる。このあたりは一部道が不明瞭で歩きにくいが、あたりを良く見渡すと赤テープがつけられている。急な尾根道を登るとやがてなだらかな明瞭な道となり、間もなく鍵掛の王岳寄りの尾根道に抜ける。10時から歩き始めて鍵掛に抜けたのは11時45分、1時間45分ほどで到着した。予想よりも早く到着できた。

    稜線に抜け,王岳が迫る.向こう側のピークが王岳.


    冬空の富士  葉の落ちた木を入れて冬を表現してみた.


    王岳山頂.山梨百名山の標柱はだいぶ朽ちてしまってきている.


    王岳山頂から見る冬富士  下に見えるのは西湖.

 冬型の気圧配置で、稜線の上はビュービューと寒い風が吹き荒れていた。雪はところどころわずかに残るのみ、アイゼンを装着するような状況ではなかった。葉が落ちているために、稜線上はどこからでも富士山の眺望が楽しめる。写真を撮りながら、ゆっくりしたペースで王岳に移動。いくつかコブを越えて到着するこの稜線は予想外にルートが長い。午後1時、王岳山頂に到着、これで3度目の王岳となる。
風向きによるのか、王岳の山頂は以外に風が少なく穏やかだった。冬晴れのすっきりした富士山が見えているが、山頂からは強風に煽られて雪煙がたなびいている。昼食をとり、30分ほどの休憩をとった後はさっさと下山する。1時半、王岳出発し、鍵掛2時20分、登山口駐車場には3時15分に到着した。このルート、昭文社の地図に荒れているとコメントが入っているが、通行にはさほど支障のないルートだった。

    王岳手前から見る富士山.こちらのほうが眼下の見通しは良い.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樹氷の三つ峠  平成21年1月10日

2009年01月15日 | 御坂・毛無・天子山系
 平成21年1月10日 天候晴れ

 前日、甲府盆地には待望の(?)雪が降った。積もるほどではなかったが、甲府盆地を取り囲む低~中山は雪化粧している。樹氷が期待できるこの日、さて、どこに出かけるか?正月の南アルプスでの凍傷がまだ回復しておらず、手足の指先にしびれが残っているので、今回は容易に行ける場所、かつ、かねてから樹氷と富士山を撮りたいと思っていた三つ峠に行くことにした。
 日の出の間に合うように、目覚まし時計を3時にセット。止めたのは覚えているのだが、ウトウトしているうちに眠ってしまったらしく、布団から出ると時間は4時半になっていた。急いで準備して出発するが、御坂の登山口に到着したのは5時半過ぎ。しかも林道のゲートが閉鎖されていて、その前には車が20台近く停められている。完全に出遅れだ。スパッツと軽アイゼン装着し、歩き始めたのは6時。ゲートから歩くと余計に15分くらい時間がかかるので、7時の日の出までに到着するのは絶望的だ。休憩無しで黙々と歩くが、やはり途中で夜が明けてしまい、御坂の山塊に朝日が差し込んで真赤に焼けているのが見える。しかし、空の上は雲が多く、果たして富士山は見えているのだろうか?あと10分ほどで三つ峠山荘到着というあたりで、大きな三脚を担いだ若者が下りてきた。状況を聞くと、山は焼けたが富士山は全く姿を現さなかったという。

    三つ峠(御巣鷹山)の樹氷1


    三つ峠(御巣鷹山)の樹氷2


    三つ峠(御巣鷹山)の樹氷3  左の雲の中に富士山がいる.

 三つ峠山荘の下で右に曲がって展望台を見に行くと、カメラマン3~4人が三脚を構えて富士山が出るのを待っていた。真っ白な樹氷ができていて、前景は申し分なかったが、富士山はすっぽり雲の中、全く姿を現しそうもない。三つ峠山荘の前では既に10本近い三脚が立ち並んでいたが、撮影している人は2人だけ。宿泊客らしく、富士山が出るまで山荘の中で待っているのだろう。私はそのまま人がいなそうな御巣鷹山に移動した。足跡がついていたが、それは四季の楽園の小屋主さんと犬の散歩跡だったようで、途中ですれ違った。御巣鷹山に行くと、前方にカメラを持っていない女性が1人で歩いていた。写真仲間がいて、すぐにこちらに来るという。樹氷の美しさは申し分ないのだが、富士山は全く姿を現す気配なく、みんな残念がっているという。自然相手のことだから、それも止むを得ない。

    雪化粧した御坂黒岳


    樹氷の森  富士山は裾野しか見えなかった.

 あたりの樹氷を、次のチャンスの時の構図を考えながら数枚撮影し、本日撤退。8時半には下山しはじめる。心配していた凍傷は、やはりしびれが強くなってしまっていた。長時間の雪道はもうしばらく無理そうだ。下山後は久しぶりにサロン写ば写ばに立ち寄り、またしても3時間以上、店に居座ってしまった。栗林先生はパノラマ台で富士山を狙っていたそうだが、三つ峠同様、不発に終わったらしい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千田集落から羅漢寺山へ 平成20年12月14日 

2009年01月15日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成20年12月14日 天候晴れ時々曇り
メンバー:上野、保坂、山本、杉村、小野、青津、小林学、吉野、小池(L)

 昇仙峡の山奥に千田という集落がある。昇仙峡から林道を車で15分ほど走って到着するその集落は山間の秘境とも言うべき場所、人家は十数件まばらに立ってはいるが、住んでいるのは3~4件らしい。昇仙峡で馬車を引く馬は、ここで飼われている。今回のルートは昭文社の地図にも載っているルートではあるが、交通の不便さから歩く人は少なく、いわば嶺朋クラブ好みのルートである。今回の目的は、この人があまり入らないルートを歩くことと、もうひとつ、旧羅漢寺跡を見に行くことである。

    千田集落から出発する嶺朋クラブメンバー


    道標あり,道は明瞭

 8時、敷島文化会館集合し、車4台で出発。そのうちの2台は昇仙峡の駐車場に置き、2台で千田の集落に向かった。歩き始めたのは9時。登山道の看板はなく、人家の脇を通り過ぎて裏山にでも入るかのような道を進んでゆく。道は明瞭で、20分ほど歩くと千田の集落を示す道標が立っている。30分で尾根道に合流、さらに15分で太刀の抜き岩に到着した。ここからは富士山の眺望が良いのだが、この日は雲が多く残念ながら見えなかった。

    太刀の抜き岩.天気が良ければ岩の横に富士山が見える.


    白砂山展望台から見る羅漢寺山と鎧岩

 一息入れた後、今度は白砂山展望台に向かう。約50分で到着、ここは手前の展望台と、さらにその先にももうひとつ展望台がある。羅漢寺山のごつごつと切り立った岩肌の眺望が美しいが、先の展望台からは足下に突き出している鋏岩の片側も見ることができる。

    白砂山展望台(奥のピーク)から見る羅漢寺山.足元に見える岩が鋏岩の片側.


    旧羅漢寺跡下降点で昼食

 眺望を楽しんだ後、旧羅漢寺跡下降点まで移動、時間はまだ11時を回ったばかりだが、早い昼食となる。自分のカップラーメンのほかに保坂さんが用意してくれた豚汁、さらにつけもの、卵焼き等、ご馳走が揃う。今日は山を歩いたのに体重が増えているに違いない。この場所はかつて安藤広重が浮世絵で鋏岩や鎧岩を描いた場所らしいが、今はまわりの木々が大きく育ってしまっていてあまり眺望は得られなくなってしまっている。

    林の隙間から見る鋏岩.安藤広重の絵の題材になった.


    旧羅漢寺跡.江戸時代中期に建てられたらしい.

 昼食後は羅漢寺山には立ち寄らず、旧羅漢寺跡へ行く道を下降する。ここからは急斜面になり、道も不明瞭になってくる。しかも落ち葉がたくさん積もっていて滑りやすい。左手に鎧岩を見ながら15分ほど下って旧羅漢寺跡に到着。祭壇の跡なのだろうか、垂直に削られた大きな岩壁があり、その一段下には寺の礎と思われる石積みが残っていた。その先はさらに道が不明瞭になり、道とは思えないようなところを下って行くと、左手に大きな岩が見えてくる。その端には洞窟があり、中を探検してきた。奥行き10mほど、手前は平らに整地されていて、避難場所か何かに使われていたようだ。

    大岩の横に洞窟あり.


    洞窟内を探索する上野先生


    現在の羅漢寺

 この岩のあたりから道は明瞭になるが、昇仙峡の川岸あたりで対岸に渡る橋が見あたらず、ここで一行はばらばらになる。結局は川沿いに下る道を(新)羅漢寺まで歩き、そこで橋を渡って昇仙峡駐車場へ、と行くはずだったのだが、諸事情で昇仙峡遊歩道を歩き、千田に置いた車を回収して戻った。途中馬車とそれを引く馬とすれ違い、これがあの千田に住んでいる馬かと思うと、思わず応援したくなってしまった。(吉野記)


    橋を渡って舗装された昇仙峡遊歩道へ.


    昇仙峡,荒川の流れ


    馬車とすれ違う.千田で飼育されている馬.

コースタイム:敷島文化会館8:00集合-千田集落9:00-太刀の抜き岩9:45-白砂山展望台10:40-旧羅漢寺跡下降点11:05(昼食)-旧羅漢寺跡12:00-大岩洞窟12:25-(新)羅漢寺12:55-千田集落14:15頃-敷島文化会館
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強風に煽られた極寒の栗沢山  平成20年12月30日-21年1月1日

2009年01月11日 | 南アルプス
3日目(1月1日)
とにかく寒い夜だった。シュラフに潜りこんで2~3時間くらい眠っただろうか。寒くてガタガタ震えて目が覚めた。外はまだ真っ暗だった。相変わらずの強風が吹き荒れ、テントがバサバサと揺れている。とても眠れそうも無い。早く朝が来ないかと願いつつ、シュラフの中で丸くなる。いつもなら薄明の空が青く写る星空を撮るのだが、そんな気にはならなかった。ガタガタ震えながらウトウトしていると、朝6時を過ぎた頃、ようやくあたりが白々と明けてきた。

    朝の北岳  朝焼けの雲が巻きつく


    鳳凰山から昇る初日の出

 シュラフから出てバーナーを焚き、お湯を沸かして暖をとる。そして6時40分、日の出を見るためにテントの外に出る。相変わらずの風と寒さが顔と手足にしみる。涙が睫毛に凍りついて視野の邪魔をする。そんな中、鳳凰山地蔵岳の右から真っ赤な朝日が昇って来た。昨年八ヶ岳で見た日の出は雪原を赤く染めてきれいだったが、今年は景色を楽しむ前に寒くてしょうがない。アサヨ峰からだと鳳凰山の右に富士山が見えるので良い絵になっただろうが、今回はアサヨ峰になってしまった。いつかリベンジしたい。朝焼けの北岳も期待していたのだが、日の出の頃には山頂に雲が巻きつき、すっきりと姿はみせてくれなかった。甲斐駒ケ岳、仙丈岳も雲がかかっていたが、仙丈岳はなんとか山頂付近まで姿を見せてくれた。

    朝の仙丈ケ岳


    朝の甲斐駒ケ岳  山頂は雲の帯におおわれて見えず。


    雲かかる北岳  再三撮影したが、山頂は見えてもこれが限界。

 7時半まで頑張って、早々にテント撤収、8時半に下山開始したが、その前の8時10分ごろにもう栗沢山に登って来た単独登山者がいた。その人は小休止の後、アサヨ峰・早川尾根を目指して早々に出発していった。おかげで下山時にはトレースがあって比較的楽に下りることができた。

    北沢峠テント場。栗沢山山頂とは打って変わって風がなく穏やか。テントの数が30日よりは若干少なくなっていた。


    凍る戸台川  雪が降ったらしく、帰り道で見下ろす戸台川は白いまだら模様になって光っていた。端渓山荘手前から。

 10時15分、北沢峠テント場到着。余裕があればもう1泊の予定だったのだが、1晩でギブアップ。デポした荷物をザックに詰め込んで撤退する。長い樹林帯を抜け、さらに長い戸台川の河原を黙々と歩く。ザックを降ろした時に気がついたのだが、両手の指先がしびれたように感覚が鈍い。それと、靴ずれを起こしているのか、足の指先がやたらと痛い。辛抱して歩き、午後3時半、無事戸台の駐車場に到着した。いつものようにヘトヘト、特に寝不足が堪えた。

    振り返って見る戸台川と買い駒ケ岳。寒かったぜ、南アルプス。鍛えなおしてリベンジだ!

 自宅に帰って靴下を脱いでみると、左足の親指が青紫色になって小さな水疱ができていた。靴ずれではなくて凍傷だった。装備をもう少し考えないと厳冬期の南アルプスは難しそうだ。アサヨ峰まで行かなくて正解だったと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強風に煽られた極寒の栗沢山(2日目)  平成20年12月30日-21年1月1日

2009年01月08日 | 南アルプス
 2日目(12月31日 天候晴れ)
 夜10時過ぎ、テントがバサバサと揺れる音で目が覚める。夕方と違ってずいぶんと風が強くなってきた。ふと見ると、シュラフカバーの上に白い雪がついていた。半分ほど開いていたテントの換気孔から雪が入ってきたらしい。外を見ると小雪が強風に煽られて舞っていた。明日は大丈夫なのだろうか?心配しながらまた眠る。
 翌朝5時には目が覚めてしまう。まわりのテントももう朝食の準備や出発の準備をしていた。相変わらずの強い風が吹いている。果たしてアサヨ峰山頂にテントが張れるのだろうか?かなりの不安がある。テント張りっぱなしにして日中にアサヨ峰か仙丈岳に登って戻ってくるか、それともテント撤収してアサヨ峰を目指すか、かなり迷った。朝7時、すっかり夜が明けて空を見上げるとまだ雲が広がってはいるものの、青空が透けて見えている。天候は回復しそうだ。風も少しずつ止んできた。これならばなんとか行けるか?テント撤収し、アサヨ峰を目指すことにする。

    仙水峠から見る厳冬の仙丈ヶ岳  強風で雪煙が舞い上がっている.


    冬空に立つ摩利支点と甲斐駒ケ岳 仙水峠から撮影.

 テント場を8時10分出発、荷物を軽くするため、1日分の食料と着替えは駒仙小屋炊事場の近くにデポしてゆく。仙水峠に到着した頃にはすっかり雲が晴れ、真青な冬空が広がっていた。昨日の小雪で中腹のツガの林に雪化粧した仙丈岳が美しい。一休みしてまず栗沢山を目指すが、ここからはかなりの急登となる。先に誰か歩いているのを期待していたのだが、残念ながら新しい足跡はない。前日か前々日に歩いたと思われる足跡が樹林帯の中に残されていた。それを辿って歩くが、膝下のラッセル、ところどころ風で足跡が吹き消されてしまっているところもあった。樹林帯を抜けたところで一休み、目指す栗沢山山頂の岩が見えてきたが、さらに傾斜はきつくなっている。

    栗沢山中腹から見る甲斐駒ケ岳


    眼前に迫る栗沢山山頂

 ピッケルを思い切り雪面に突き刺して体を支えながら急斜面を登って行く。ピッケルが根元まで突き刺さってしまう雪の深さなので、50~60cmの積雪といったところだろうか。例年に比べると少なめなのだろう。仙水峠から苦節2時間半、栗沢山山頂に到着した。時間は午後1時を回っているが、アサヨ峰までは十分に行ける時間だ。トレースを見ると、一応歩いた痕跡はある。しかし、問題なのはこの強風と寒気だ。行ったとしても安全にテントが張れるのかどうか?行ったきり、明日帰ってこられなくなりそうな気がする。あきらめて下山するか、どうするか?さんざん迷ったあげく、選択したのは栗沢山山頂でのテント泊だった。

    アサヨ峰と鳳凰山  目指すアサヨ峰はもうすぐそこだったが・・・


    栗沢山山頂から見る冬の甲斐駒ケ岳


    夕暮れ迫る北岳


    夕暮れの仙丈ヶ岳と三日月

 一旦は大岩の横の雪を掘り下げてテントを設営しようとしたが、やはり強風は避けられず、テントが煽られて斜めになってしまっている。どうせ避けられないならば山が見える場所、山頂の平らなところに設営することにした。もちろん、もろに強風を受けてしまうが、覚悟のうえだ。張り紐をしっかりと雪の中に固定して強めに張り、設営完了。フライシートが風に煽られてバサバサと音を立ててはいるが、飛ばされてしまうほどの風ではなかった。なんとかなりそうだ。仙丈岳に傾いてゆく太陽を見ながら、テントの中に入って暖をとり、遅い昼食、兼夕食をとる。

    仙丈ヶ岳に沈む月と金星


    北岳とおおいぬ座  ひときわ明るく輝いているのがおおいぬ座のシリウス,北岳の左手に光っているのがカノープスだが,肉眼で確認できないほど輝きが薄い.

 すっかり日が暮れた夕方6時40分過ぎ、テントの外に出ると、仙丈岳の上に三日月と金星が沈んでゆくところだった。東の空、鳳凰山の上にはオリオン座が昇ってきている。三脚とカメラを持ち出して撮影開始するが、とにかく寒いし風が強い。30分ほど辛抱して撮影したものの、限界、テントに戻ってバーナーを焚いて暖をとる。持ってきた服はすべて身に纏い、上半身は6枚、下半身4枚、靴下4枚とさらにダウン足袋を装着してシュラフに潜りこむ。なんとか寒さは凌げそうだが、それでもまだ寒い。今までに体験したことのない寒さだ。マイナス20度くらいあるのではないだろうか。一旦シュラフに潜りこんで休憩、次はオリオン座が南中する10時ごろにまた撮影にとりかかる。

    甲斐駒ケ岳と昇る北斗七星


    甲斐駒ケ岳の山並とカシオペア座

 寒くてテントの外に出るには勇気がいった。まずバーナーを焚いて暖をとり、寒いので靴はテントの中で履いた。10時40分出陣。激寒、かつ強風、いったい何分耐えられるのか?狙っていたのは北岳の左手低空に出るはずのカノープスだ。オリオン座は高く昇っているので、角度的には見えるはず。なのだが、肉眼では確認できない。Iso感度1600に上げて1枚撮影してみると、それらしき星が写ってはいるが、ずいぶん暗く、カノープスかどうかは自信がない。南半球ではシリウスに次いで明るい星なので、澄んだ空ならばもっと明るく見えて良いはずだ。あまり待っていられる状況ではなかったので、反対側の甲斐駒ケ岳の左手に出たカシオペア座や右手に昇ってきた北斗七星を撮影、最後にレンズを広角15mmに変えて再度北岳とオリオン座、冬の大三角形を何枚か撮影した。

    北岳に南中する冬の大三角形とオリオン座  北岳山頂の右手にカノープスが姿を現している.これがこの日最後のカット.もう2~3枚欲しかったが,ギブアップ.

時間にして40分ほどテントの外にいたが、もう限界だった。指先と足先の感覚が麻痺してしまっている。テントに戻ってバーナーを焚くが、今度は着火に使用していたライターが点かなくなってしまった。腹の中にライターを入れて暖め、ようやく着火した。こんな経験は初めてだ。暖をとりながらお湯を1.5リットルほど沸かしてペットボトルに入れ、湯たんぽ代わりにしてシュラフの中で抱え込んで寝た。さすがにもう一度外に出て撮影する気はしなかった。そのままシュラフに潜りこんで夜明けを迎える。
(甲府に戻った後、パソコンで確認すると確かにカノープスが写っていた。惜しかったのは最後の1枚、北岳の山頂を越えて西側に回りこんできたカノープスが1カットだけ写っていた。もう2~3カット、5分遅ければ北岳の右側に明るいオレンジの輝きを放つカノープスが撮影できていたことだろう。残念。10月か11月のもう少し暖かい季節にリベンジ!)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

強風に煽られた極寒の栗沢山(1日目)  平成20年12月30日-21年1月1日

2009年01月08日 | 南アルプス
 予定ではアサヨ峰まで行き、山頂にテントを張って鳳凰山から昇る新年の御来光を見るつもりだった。しかし、行く手を阻んだのは冬型の気圧配置による強風と強烈な寒さだった。
 1日目(12月30日 天候晴れ)
 12月29日出発予定だったのだが、目を覚ますともう時間は8時を過ぎていた。前日の夜、まだできていなかった年賀状を夜中の3時まで作っていたことで寝過ごしてしまった。今から行くと戸台からの歩き始めは12時近くになってしまう。とても日没までに北沢峠に入れそうも無いので1日延期して12月30日の出発となった。

    戸台川の広い河原を歩く


    角衛兵沢出合と鋸岳  赤テープがつけられている.

 翌朝は5時に起床はしたものの、なかなか布団から出られず、結局甲府を出発したのは6時半近くになってしまった。戸台から歩き始めたのは午前9時、北沢峠まで約6時間と想定して、まあ日没までには到着できるだろう。駐車場には100台近くの車が駐車していたのには驚いた。戸台川の河原につけられた道をテクテクと歩き、1時間で堰堤に到着。堰堤を越えると、河原の中に赤テープがたくさんつけられていて、今度は対岸に渡って(といっても水は流れていない)河原の右側を歩くようになる。約1時間で角兵衛沢出合に到着。ここは鋸岳への登山口になっていて、案内の道標と赤テープがつけられていた。さらに10分ほどで今度は熊の穴沢出合、こちらも鋸岳第2高点側の登山口だが、帰り際にルートを確認したが、今にも落石しそうな河原(というか崖)を登って行く危険そうなルートだった。さらに10分ほどで木を束ねた橋を渡って左側に渡り、丹渓山荘に到着する。ここは丹渓新道と八丁坂(北沢峠に行く道)の分岐になっていて、いずれも道しるべの赤テープがついている。河原から左折して急坂を登り、丹渓山荘の横を通り過ぎて八丁坂を登って行くが、地図の傾斜の割には道がジグザグにつけられていて歩きやすいため、さほどきつい坂には感じない。約1時間で八丁坂を登り切り、時間は午後1時10分だった。

    端渓山荘手前,甲斐駒ケ岳が眼前に迫る・


    休業中の端渓山荘.この横を通って八丁坂の登りに入る.


    倒木の横を通る

 ここまで来れば北沢峠はもうすぐそこ、と思ったら甘かった。この先の樹林帯がかなり長い。1度目に林道を横切ったあたりで雪が深くなりはじめ、樹林帯の中でアイゼンを装着する。その先、同じ林道を2度横切ってようやくたどり着いたところは、南アルプス林道の大平山荘の前だった。時間は午後2時45分、予定通りの時間だ。南アルプス林道は、道の上が5cm以上の暑い氷が張ったアイスバーンになっていた。まるでスケートリンクのような道、アイゼンなしでは尻餅をつきまくりそうだ。

    凍る沢


    苔生すツガ林.南アルプスらしい林.


    支脈の林道手前,向いに南アルプス林道が見える.


    北沢峠長衛荘.林道は5cmの氷が張るアイスバーン状態.

 キャンプ場に到着すると、10張ほどのテントが張られていた。思ったほど多くはない。しかも若者のグループばかり、中高年は少ない。さっそくテントを張って食事の準備をする。食事の前に、駒仙小屋に行ってテント場の受付を済ませると、私の住所を見た小屋のおかみさんから「近所ですね。」という言葉が帰って来た。住所を聞くと、なんと、甲府市岩窪町、同じ相川地区ではないか。驚きと親しみを感じた駒仙小屋だった。この日の駒仙小屋宿泊客は1人だけだという。食事なしの素泊まりだけだが、こんなことなら寒いテント泊じゃなくて小屋泊まりにするんだったなと少し後悔した。この日は夕食をとった後、6時過ぎには早々にシュラフに潜りこんで寝る。仙丈岳あたりに月と金星が沈んでゆくはずなので空を見上げたが、雲におおわれて見えなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする