5月連休に次いで再び東北の被災地を視察してきました。今回行きたかったのは5月連休の時に道路事情が悪く、行けなかった南三陸町。そこにある公立志津川病院はかつて秋田大学の医局に在籍していた頃に1週間交代で出張勤務していた病院です。テレビに映し出された時には本当に驚きました。その後どうなっているのか・・・ずっと行ってみたいと思っていました。
8月19日
夕方4時過ぎに妻を乗せて車で甲府を出発。勝沼インターから中央道に乗り、圏央道から一般道を通って東北道に乗り換えるつもりでしたが、道路情報の掲示板を見るとお盆の帰省ラッシュで渋滞20km。これでは何時に東北道に乗れるかわかりません。そこでルートを変え、雁坂トンネル経由で秩父を通って東北道に乗ることにしました。途中道を間違えたり、夕食をとったりして、東北道羽生インターに着いたのが夜9時頃、郡山11時となり、そこで寝ることにしました。
8月20日
睡眠薬が効きすぎて目を覚ませばもう朝の7時を回っていました。途中のサービスエリアで食事して東北道を北上、仙台を過ぎ、一関の手前、築館インターで降りて一般道を東に向かい、南三陸町を目指します。途中のガソリンスタンドで道路事情を聞いたところ、道路は問題なく通過できるとのこと、現在地から気仙沼までは1時間とかからないとの事だったので、予定の志津川よりも北にある気仙沼まで足を延ばすことにしました。
海岸沿いの道を北上して行くと、海沿いに道の駅らしき大きな建物がありました。立ち寄ってみるとそこは大谷海岸の鉄道駅。気仙沼線は甚大な被害を受け、とても復旧できる状態ではなく、この建物も外観は残っているものの内部はメチャメチャで、ガレキの撤去作業が行われていました。道路を隔てて向こうが高台になっていましたが、そこに立つ家々も一階部分が破壊されており、使える状態ではありませんでした。
南三陸大谷海岸駅。眼前には静かな海が広がるが・・・
駅の建物は津波の被害を受け、外見は保っているものの内部はメチャメチャ。ガレキ除去作業が行われていた。
気仙沼線の線路は途中で断裂
積まれたガレキ。道路を隔てて向こうの高台にある住居も損壊がひどく、使い物にならない。
さらに北上して気仙沼の町に入ります。以下、視察場所を北から南に向かって掲載します。
<気仙沼市、港周辺>
テレビでかつお漁に合わせて港が再開されたと聞いていました。しかし、まだまだ気仙沼湾の中はガレキや壊れた船着場など、復旧されていません。水揚げする市場と思わしき場所は魚のかごが積まれ、車が行き来していて少しだけ活気が出てきているように感じました。しかし、道路を隔てて向こう側は地盤沈下により海水が入り込み、ガレキは大部分撤去されているものの、とても人が住めるような状態ではありませんでした。津波で壊された建物がまだたくさん残されています。陸に打ち上げられたタンカーや大きな漁船は既に撤去されており、それを吊り上げたと思われる巨大なリフト船が港に停泊し、現在も作業が続けられていました。
気仙沼港 まだ撤去されていないガレキと壊れたままの船着き場。
魚市場は一応再開されている。車が行き交い、少しだけ活気が戻っているように見えた。
しかし、道路を隔てた反対側は海水が入り込み、潮だまりになっている。
この潮だまりの中には魚が泳いでいた。
漁港には漁船がたくさん停泊しているように見えた。
道路はほぼ復旧しており、バスも通っている。
しかし、港近くの建物はまだ壊れたままそのままになっていた。
壊れたままの建物
森進一の港町ブルース記念碑 ポールがぐにゃぐにゃに曲がって折れている。
陸に打ち上げられたタンカーや漁船を釣り上げた巨大クレーン船
港近くの商店街はまだボロボロの状態。修理し始めている店舗もあった。
この蒲鉾店は8月25日から営業再開するとのことで、店のカウンターや保冷庫等、準備ができていた。
<陸前小泉駅付近、津谷川河口>
小泉大橋の南側に、津谷川に伴走するように気仙沼線が走っています。このあたりは陸橋の構造になっていますが、その陸橋は津波で破壊されて断列しており、驚いたことに陸橋の上に流されてきた家が何軒も乗り上げてひっかかり、その撤去作業が行われていました。この撤去作業もまた大変なことで、いつ余震が来て崩れてもおかしくない陸橋の上ですから、命がけの作業と言えるのではないでしょうか。
陸前小泉駅付近の線路。川沿いを走っている。
断裂した気仙沼線の陸橋
断裂した気仙沼線線路と津谷川河口。川の中にはまだ乗用車が放置されている。
陸橋の上に津波で流されてきた家が乗り上げ、命がけの撤去作業が行われていた。
<歌津町伊里前、伊里前湾>
この静かな入江は海岸沿いに新しい道が陸橋を架けて通っていたのですが、津波でその陸橋は完全に破壊されてしまっていました。そのあたりにあったはずの住居も土台を残しただけで跡形もありません。海岸から離れたところに学校と思わしき建物がありましたが、低いところの建物は破損がひどく、高台の建物は下から見る限りでは大丈夫そうに見えました。海に何隻か船が浮かんでいましたが、漁をしているというよりは何かを探しているように見受けられました。
歌津町伊里前。伊里前湾にかかる陸橋の道路は完全に破壊されている。
跡形もなく壊された住居
津波で壊された陸橋
海岸近くの低い場所は壊滅していた。
伊里前湾の陸側の状態。高台の学校らしき建物は大丈夫そうに見えるが、その他は粉々。
(被災地巡礼Ⅱ② 志津川町に続く)
8月19日
夕方4時過ぎに妻を乗せて車で甲府を出発。勝沼インターから中央道に乗り、圏央道から一般道を通って東北道に乗り換えるつもりでしたが、道路情報の掲示板を見るとお盆の帰省ラッシュで渋滞20km。これでは何時に東北道に乗れるかわかりません。そこでルートを変え、雁坂トンネル経由で秩父を通って東北道に乗ることにしました。途中道を間違えたり、夕食をとったりして、東北道羽生インターに着いたのが夜9時頃、郡山11時となり、そこで寝ることにしました。
8月20日
睡眠薬が効きすぎて目を覚ませばもう朝の7時を回っていました。途中のサービスエリアで食事して東北道を北上、仙台を過ぎ、一関の手前、築館インターで降りて一般道を東に向かい、南三陸町を目指します。途中のガソリンスタンドで道路事情を聞いたところ、道路は問題なく通過できるとのこと、現在地から気仙沼までは1時間とかからないとの事だったので、予定の志津川よりも北にある気仙沼まで足を延ばすことにしました。
海岸沿いの道を北上して行くと、海沿いに道の駅らしき大きな建物がありました。立ち寄ってみるとそこは大谷海岸の鉄道駅。気仙沼線は甚大な被害を受け、とても復旧できる状態ではなく、この建物も外観は残っているものの内部はメチャメチャで、ガレキの撤去作業が行われていました。道路を隔てて向こうが高台になっていましたが、そこに立つ家々も一階部分が破壊されており、使える状態ではありませんでした。
南三陸大谷海岸駅。眼前には静かな海が広がるが・・・
駅の建物は津波の被害を受け、外見は保っているものの内部はメチャメチャ。ガレキ除去作業が行われていた。
気仙沼線の線路は途中で断裂
積まれたガレキ。道路を隔てて向こうの高台にある住居も損壊がひどく、使い物にならない。
さらに北上して気仙沼の町に入ります。以下、視察場所を北から南に向かって掲載します。
<気仙沼市、港周辺>
テレビでかつお漁に合わせて港が再開されたと聞いていました。しかし、まだまだ気仙沼湾の中はガレキや壊れた船着場など、復旧されていません。水揚げする市場と思わしき場所は魚のかごが積まれ、車が行き来していて少しだけ活気が出てきているように感じました。しかし、道路を隔てて向こう側は地盤沈下により海水が入り込み、ガレキは大部分撤去されているものの、とても人が住めるような状態ではありませんでした。津波で壊された建物がまだたくさん残されています。陸に打ち上げられたタンカーや大きな漁船は既に撤去されており、それを吊り上げたと思われる巨大なリフト船が港に停泊し、現在も作業が続けられていました。
気仙沼港 まだ撤去されていないガレキと壊れたままの船着き場。
魚市場は一応再開されている。車が行き交い、少しだけ活気が戻っているように見えた。
しかし、道路を隔てた反対側は海水が入り込み、潮だまりになっている。
この潮だまりの中には魚が泳いでいた。
漁港には漁船がたくさん停泊しているように見えた。
道路はほぼ復旧しており、バスも通っている。
しかし、港近くの建物はまだ壊れたままそのままになっていた。
壊れたままの建物
森進一の港町ブルース記念碑 ポールがぐにゃぐにゃに曲がって折れている。
陸に打ち上げられたタンカーや漁船を釣り上げた巨大クレーン船
港近くの商店街はまだボロボロの状態。修理し始めている店舗もあった。
この蒲鉾店は8月25日から営業再開するとのことで、店のカウンターや保冷庫等、準備ができていた。
<陸前小泉駅付近、津谷川河口>
小泉大橋の南側に、津谷川に伴走するように気仙沼線が走っています。このあたりは陸橋の構造になっていますが、その陸橋は津波で破壊されて断列しており、驚いたことに陸橋の上に流されてきた家が何軒も乗り上げてひっかかり、その撤去作業が行われていました。この撤去作業もまた大変なことで、いつ余震が来て崩れてもおかしくない陸橋の上ですから、命がけの作業と言えるのではないでしょうか。
陸前小泉駅付近の線路。川沿いを走っている。
断裂した気仙沼線の陸橋
断裂した気仙沼線線路と津谷川河口。川の中にはまだ乗用車が放置されている。
陸橋の上に津波で流されてきた家が乗り上げ、命がけの撤去作業が行われていた。
<歌津町伊里前、伊里前湾>
この静かな入江は海岸沿いに新しい道が陸橋を架けて通っていたのですが、津波でその陸橋は完全に破壊されてしまっていました。そのあたりにあったはずの住居も土台を残しただけで跡形もありません。海岸から離れたところに学校と思わしき建物がありましたが、低いところの建物は破損がひどく、高台の建物は下から見る限りでは大丈夫そうに見えました。海に何隻か船が浮かんでいましたが、漁をしているというよりは何かを探しているように見受けられました。
歌津町伊里前。伊里前湾にかかる陸橋の道路は完全に破壊されている。
跡形もなく壊された住居
津波で壊された陸橋
海岸近くの低い場所は壊滅していた。
伊里前湾の陸側の状態。高台の学校らしき建物は大丈夫そうに見えるが、その他は粉々。
(被災地巡礼Ⅱ② 志津川町に続く)