山梨百名山から見る風景

四方を山に囲まれた山梨県。私が愛して止まない山梨の名峰から見る山と花と星の奏でる風景を紹介するページです。

コイワザクラ咲く十二ヶ岳 平成23年5月15日

2011年05月22日 | 南アルプス
 平成23年5月15日

 朝起きれば前日に増して青空が広がり、富士山や南アルプスがくっきりと見えている。前日の乾徳山の疲れはほとんど無いように思えた。ならば少しだけ山へ・・・楽なコースを選んで、河口湖大石の林道を奥まで車で詰めて、最短ルートを十二ヶ岳まで行くことに当日の朝決めて出発した。
 コースの入り口は現在砂防ダムの工事を行なっていて、その後どうなっているのか見ておきたかったことが一つ、もう一つは初めてこの道を歩いた平成19年5月、フタバアオイという変わった花をここで見かけたのだが、翌年の6月は発見できなかった。まだ残っているのかどうか?8時45分林道突き当りの砂防ダム工事現場に到着すると、日曜日なので工事は行なっていないが、プレハブ小屋前の広い駐車スペースにはゲートが設置されて一般車は入れないようになっていた。ゲート前の道脇に車を止めさせてもらう。

    砂防ダム工事現場。工事はかなり進んでいるが、まだ重機が上部に置かれている。


    登山道脇に設置されている荷揚げ用モノレール


    砂防ダム上部。藁のむしろが敷き詰められている。

 砂防ダム工事はだいぶ進んでいて、荷揚げ用のモノレールが設置され、もともとはガレて崩落した沢だった登山道左脇はダムに変わり、崩れていた斜面にはこれから草が生えてくるように藁のむしろが一面に敷き詰められてきれいに様変わりしていた。かつての登山道は草や笹が生い茂る道だったのだが、すっかり刈り払われてきれいになり、日当たりが良くなっていた。反面、中腹に咲いていたギンランは姿を消していた。

    エンレイソウ


    ワチガイソウ


    花名不明


    ユキザサ

 砂防ダム工事の上部がフタバアオイを発見した場所で、登山道を左に逸れて山の斜面を捜すと、容易にフタバアオイを発見できた。しかも以前にも増してたくさん生えていた。日当たりが良くなって数が増えたようだ。バイケイソウやハシリドコロなどの毒草も増えている。斜面を右に左に三脚担ぎながらうろつき、写真を撮りながら登ったために、稜線の金山コルにたどり着くまでに1時間半もかかった。

    フタバアオイ 以前よりも増えていた。


    同上 この花はギフチョウの食草になるが、御坂山塊では絶滅してしまっている。


    ハシリドコロ これも増えている。食べると大変なことに・・・

 時間は10時半、金山のコルから十二ヶ岳までは30分もあれば到着できるのだが、花と富士山撮影に良い場所が無いかどうか探しながら歩いていると、途中の岩陰にピンク色の花を発見。岩のところの急斜面を下りて近付いてみると、初めて出会うコイワザクラだった。かつて毛無山から十二ヶ岳への竜の背を歩いてこの花を探したことがあったが、時期が早く発見できなったことがあった。見たかったこの可愛らしいピンクの花にやっと出会えた。その場所に咲いていたのは数輪だけだったが、さらに進んで行くと右側の谷(鬼ヶ岳側)の斜面に群落になってたくさん咲いているところが何ヶ所もあった。花を楽しみつつ、存分に写真を撮りながら歩いていると、十二ヶ岳まで1時間半もかかり、12時にようやく山頂到着。真面目に歩けば1時間半で到着できる最短ルートを3時間以上もかけて歩く贅沢な登山となった。

    稜線の林越しの富士山 新緑はこれから。


    こんな感じでツツジを入れて撮影できれば良いのだが、残念ながらこの木はツツジではない。


    発見、コイワザクラ。


    コイワザクラと鬼ヶ岳


    コイワザクラの群落 たくさん咲いていた。
 十二ヶ岳山頂はたくさんの人が休憩して食事をとっていたので、山頂から少し金山側に戻った眺望の良い場所で昼食をとる。眼下に西湖を望み、その向こうに大きく富士山が聳え立つ。御坂山塊から見る富士山はひときわ大きくて格好良い。稜線上に白いスミレが何か所か咲いていたが、休憩した足元にもそのスミレが咲いており、撮影して後に虫林花山師匠に鑑定していただいた結果、ヒメスミレサイシンということがわかった。御坂山塊をはじめとするフォッサマグナ沿いに咲くスミレらしい。先日本社ヶ丸に登った際に見つけた白いスミレもこれだが、これとは別に良く似たシコクスミレというのがこの季節には咲いているらしい。

    十二ヶ岳と富士山


    十二ヶ岳山頂 たくさんの人が富士山の眺望を楽しみながら休憩していた。


    眼下の西湖と富士山


    隣の鬼ヶ岳。新緑は中腹まで、あと1~2週間で稜線まで緑色になる。ツツジも咲く。


    足元に咲いていたヒメスミレサイシン

 帰りは真面目に(?)下山し、1時間かからずにゲートに到着した。コイワザクラという前から見てみたいと思っていた花に出会えた、思いがけない収穫があった十二ヶ岳稜線歩きだった。
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初心者を連れて春の乾徳山へ 平成23年5月14日

2011年05月20日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成23年5月14日

 山頂直下に長い鎖場が2ヶ所ある乾徳山。登って良し、景色良し、山に登ったという満足感の得られる楽しい山である。しかし、初心者にとっては傾斜の厳しい頂上直下の鎖場はちょっと難しく、滑落して大怪我をした人や、また命を落とした人もいる。今回のメンバーは登山歴数ヶ月が2名、高校時代の山岳部が1名と私の4人構成。しかし3人とも乾徳山は初めてで、鎖場の経験もほとんど無い。そこで念のためザイルを準備して、滑落しない程度に補助しながら登ることにした。
 6時半甲府市内の職場前駐車場集合。一人は山梨市なので途中で拾い、車2台で乾徳山に向う。1台は大平牧場に止め(ちなみに1日800円の駐車料金がかかります)折り返して徳和の登山口に移動してそちらから登りはじめる。ルート的には大平牧場のほうが楽だが、乾徳山を存分に楽しむには水場が2ヶ所ある徳和のルートのほうが面白い。歩き始めるまでの準備に時間がかかり、乾徳山登山道の入り口に着いたのは9時になってしまった。

    徳和の乾徳山登山口 車でも行けるが悪路、かつ駐車場がこの辺りにはない。15分ほど手前の駐車スペースから歩くのが無難。

 既にたくさんの人が登って行った。登山道入り口でも7~8人の人たちが登り始めるところだった。足の遅い私たちのグループは後ろから来た人たちに皆追い抜いて先に行ってもらい、鎖場での渋滞を避けるように午後1時過ぎの山頂到着を目指す。銀晶水、錦晶水の水場や、登山道沿いに咲いているマムシグサ、タチツボスミレ、ニリンソウなどの花を楽しみつつ、12時20分、国師ヶ原の月見岩に到着した。春霞に霞んだ富士山が甲府盆地の向こう、御坂山塊の上に立つ。昼食の時間だが、ここはおやつに留めて、山頂まで楽しみはとっておく。さて、ここから先が核心部だ。

    銀晶水の水場に咲いていたニリンソウ


    国師ヶ原から見上げる乾徳山


    月見岩 休憩に適しており、富士山の眺望が良い。


    月見岩から見る富士山

 通常ならば1時間少々で山頂だが、ザイルを出して補助するために相当な時間がかかる。都合良く、ほとんどの人はもう下山して行ったので、鎖場で渋滞することは無さそうだ。道は険しさを増し、岩場を登るようになる。高度感のある足場を越えていよいよ1ヶ所目の鎖場となる。ここの鎖場は2段になっていて、1段目は傾斜が緩く難無く登れるが、2本目の鎖はぶら下がるようにしないと難しい。私が先に登ってザイルを固定、さらに自分の体をシュリンゲとザイルで鎖の支柱に固定し、補助しながら3人に登ってもらう。この補助はあくまでも滑落防止のもので、間違って鎖から落ちたとしても1~2mの落下で済むように補助するだけのものである。従ってザイルで引き上げるのではなく、あくまでも自力で登ってもらうことになる。山岳部だった1人は最初だけ補助したがあとは補助無しで登ってもらった。他の2人は恐いと言いつつも無事に鎖場を越えて2本目の鎖場に向う。

    岩場を登る。これから核心部の鎖場。


    乾徳山山頂直下の鎖場。初めて見ると、これを登るのか、と思ってしまう。

 山頂直下の最後の鎖は下から見上げると垂直に近い1枚岩を登って行くように見える。左腕に不安がある私は巻き道を使うかどうか迷ったが、左手でぶら下がってみて大丈夫そうだったので登ってみたが、全く問題なかった。ここも2段階でザイルを使用、最初の平面の岩は少しばかり補助ザイルに力を加えて引き上げたが、2本目は足場があるので普通に登り、ようやく山頂に到着した。時間は2時半、月見岩から2時間近くかかったことになる。しかし、何事も無く無事に山頂まで到着できて何よりだった。
 見渡せば先ほどの月見岩よりも遥か上から甲府盆地を望み、富士山も大きく見える。裏側には金峰山五丈岩の針のような突出、国師ヶ岳、甲武信ヶ岳、そして雲取山、大菩薩連山と、360度の大パノラマだ。3人とも大いに満足してくれたようだ。

    山頂到着、バンザイ!


    乾徳山山頂から見る富士山 夜景を撮るならやはりここだ。ただ、テントは張れなそう。
 
 昼食をとり、3時過ぎ、下りるのがもったいなかったが、下山にとりかかる。今度はハシゴのある巻き道を下りるが、こちらも急傾斜で結構恐い。下の鎖場は上の段だけザイル補助した。山頂でお会いしたご夫婦の、奥様のほうは山にあまり慣れていないようだったので、同様にザイル補助して下ろした。あとは大平牧場に向ってひたすら下る。月見岩の先の道満尾根は以前に歩いた時よりも歩きやすくなっているような気がした。午後5時40分、大平牧場の乾徳山登山口に到着、6時駐車場に無事到着した。

    鎖場の下り。ザイル補助で登っているところを撮ってあげたかったが、こちらもそんな余裕なかった。


    ハイ、ポーズ。余裕です。


    林道の道満尾根徳和方面への分岐点。夕暮れ迫り、影が長く伸びる。


    大平牧場の登山口に無事到着。

 5年ほど前だろうか、初めてこの山に来た時に山頂直下にピンク色の可愛らしい花が咲いていた。後に調べたらクモイコザクラだった。この花がまだあるのか確かめたかったのだが、今年は花の時期が遅れていて、さらに季節が早かったこともあり、まだ葉さえ出ていなかった。国師ヶ原で見つけたノジスミレやアケボノスミレにも出会えずちょっと残念だった。収穫だったのは、この左腕でもなんとか人を補助して登るくらいはできそうだということだ。全快は困難な頚椎症による左腕のしびれと痛み、これとつきあうために、以前にも増してルートを考え、登り方を考え、体力と技術を考慮し、よりいっそう頭を使って登るようになった。山に登り始めた頃の新鮮な気持ちに戻って、また新たに山に取り組んでいる。
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錦滝のユキワリソウと夕暮れの日向山

2011年05月18日 | 南アルプス
 平成23年5月9日

 例年ならば5月連休には満開を過ぎている錦滝のユキワリソウ。しかし、連休に日向山を訪れたのそむ君のレポートを見ても花が咲いているようには見えないし、その後に訪れた当院職員の話を聞いても何も咲いていなかったという。おかしい。数が減ってしまって見られなくなってしまったのか、それとも本当にまだ咲いていないのか・・・、自分の目で確かめずにはいられない。9日は月曜日だったが、午後から時間が空いたので錦滝廻りで日向山を訪れる。

    錦滝に向かう林道沿いはミツバツツジが満開


    尾白川錦滝 右側の岩のユキワリソウは満開だった。

 矢立石を午後3時に歩き始めたが、途中体調不良で15分ほど休憩し、4時頃に錦滝に到着。滝壺近くに降りてみるが確かに花が少なく、滝の両脇はまだ咲き始めたばかり。右側の少し離れた場所はほぼ開ききっていた。今年は桜の開花は早かったものの、その後の気温が高かったり低かったりと安定せず、ツツジも含めて開花が遅れたと同時に、一斉には咲かずにばらばらに開花を迎えたようだ。スギ・ヒノキ花粉も連休過ぎまでダラダラと飛び続けた。ひとまず咲いていたので安心する。

    ユキワリソウ


    同上(300mm zoom)


    同上(300mm zoom 側面から)

 ここから急登を1時間10分ほどかかって日向山雁ヶ原に到着。時間は5時半、日没には十分に間に合った。夕焼け空を期待していたのだが、空はうっすら曇り空で、西と北の空には暗い雲がかかっていた。東・南側は比較的良く、富士山もなんとか見ることができた。残照の甲斐駒ヶ岳を狙ってズームレンズを持っていったのだが・・・残念ながら不発。星も出てくれそうになかったので、午後6時半、町明かりが少しだけ灯り始めた頃に下山開始。最後の15分間はヘッドライトを使い、7時20分、駐車場に到着した。

    日向山雁ヶ原


    雁ヶ原の白砂と遠く富士山  夕暮れ時の影が長く伸びる。


    雁ヶ原の風化花崗岩と八ヶ岳


    雨乞岳と西に沈んだ夕陽


    夕暮れの甲斐駒ケ岳  赤く染まる残照を期待していたが不発。


    日向山山頂の標柱と甲斐駒ケ岳

 桜の花付きが良かった今年は花の当たり年になるだろうと予想していたのだが、どうもそうは行かないようだ。今後の展開に期待する。

    夕暮れの八ヶ岳  このカットを最後に下山。
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羅漢寺山から旧道を経て千娥滝へ(後編)

2011年05月17日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成23年5月8日

 昇仙峡の奥にある開墾地、千田集落から太刀の抜き岩、白山展望台、白砂山に立ち寄りながら4時間ほどかけて羅漢寺山弥三郎岳に12時半到着した。山頂直下で咲き始めたトウゴクミツバツツジを存分に撮影後、午後1時15分、下山開始する。弥三郎岳の直下に「非常に危険 注意」と書かれた看板が目に留まるが、通行禁止とは書かれていないので通れない道ではないのだろう。しかし、ここで滑落事故があったことも知っている。左腕の調子はまずまず、ならば・・・行ってみることにした。

    羅漢寺山山頂付近に咲いていたツツジと茅ヶ岳・曲岳・黒富士連山


    山頂直下から分かれるこの道を行く。
 最初は普通の登山道。展望台のような場所から下を見下ろすと、昇仙峡の集落が直下に見える急傾斜の斜面だ。道はここで左に曲がり、急斜面の尾根を下るようになる。尾根取り付きの手前に木で×印にゲートが設けられていて、通行禁止ということなのかもしれない。真新しい足跡が一つか二つあり、最近この道を歩いた人がいることを伺わせる。急勾配の尾根を下り始めるとすぐに壊れかけたハシゴがあり、これを通過して15分ほど下ると大きな岩に突き当たった。ここで道は2方向に分かれているように見えた。左の道をのぞいてみると、ほんの数メートル行っただけで道は崖のようになった樹林帯の中に消えていた。右の道に行くと、真直ぐ進もうとするととても道とは思えないような急下りの斜面に続いていて、下りられそうも無い。その先を良く探してみると、一段昇って先ほどの大きな岩の裏側を巻くようにしてほぼ直角に道が曲がり、左方向に道が続いているのを発見した。おそらく滑落はここでルートを見失うために起こるのではないだろうか。

    展望台のような場所から見下ろす昇仙峡の建物。崖から見下ろすように見える。


    壊れかけたハシゴが2本


    大きな岩に突き当たる。ここはルートがわかりにくい。


    こんなところにカイイワカガミ。たくさんあった。

 そちらの方向に進むと、再び道は明瞭となり、相変わらずの急下りが続く。大きな岩から30分ほど下ったところで今度は完全に壊れて両脇の木だけが残ったハシゴに出くわした。ここは横の岩につかまって下りる。直下には昇仙峡の売店の屋根が見える。そこから10分ほど行くと大きな岩にワイヤーが取り付けられており、これは昇仙峡の川にかかる影絵の森美術館の吊り橋を支えているワイヤーだった。駐車場が直下に見えるのだが、そこからの下山道がわからない。最後の10mほどの壁が下りられないのだ。そのまま進むとトンネルがあり、そこから下りられるかと思ったがその先は急傾斜の崖だ。戻って良く見ると、斜めに傾いたフェンスの横に黄色いテープがついているのが見えた。まさかこのフェンスの横を通過するのか・・・と思いながら、フェンスを押しのけながら下りて行くと、その下の別のフェンスにまた黄色いテープがついている。昇仙峡を散策しているたくさんの人の目が気になったが、このフェンスにしがみついて道に下りることができた。時間にして約1時間の行程だった。

    変わった形の岩。何かの石碑かと思ったがただの岩だった。


    だんだんと昇仙峡の建物が近付いてくるが、相変わらずの急傾斜。


    壊れたハシゴを振り返る。ハシゴとしては機能しておらず、左側の岩につかまって降りる。


    岩に固定されたワイヤーロープ。影絵の森美術館の前にかかる橋を支えるもの。


    下山口わからず。先に進むとトンネルがあった。が・・・


    トンネルの先を降りるのは難しそう。

 本当にここが登山口なのか?こんなところでは知らなければ絶対に取り付けない。他の入り口は無いのか、道路沿いを探したがそれらしいものは見つからなかった。影絵の森美術館の橋のところで監視をしている地元の方がいたので、旧道の登山口はあそこなのかと聞いてみたところ、まさにそこが登山口で他には無いという。悪路なのでここからは入山しないようにという配慮なのだろう。

    出たのはこんな看板の裏側のフェンス。黄色いテープがつけられている。


    この看板の裏が登山道入り口。知らなければここからは入山できない。


    千娥滝 面白かったです。羅漢寺山。低山とて侮るなかれ!

 羅漢寺山はルートが整備されたハイキングコースと言って良い低山ではあるが、中・上級者向けの面白い道もあるのだ。羅漢寺山の面白さを存分に楽しんだ1日だった。


    今回歩いたルート(右回り)
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千田集落から羅漢寺山へ(前編)

2011年05月17日 | 南アルプス
 平成23年5月8日

 羅漢寺山は昇仙峡の上にある花崗岩が露出した美しい山である。昇仙峡の景勝地のひとつ、覚円峰もこの山の一角にある。昇仙峡から昇るロープウェイがあり、その裏側には許可車のみ通れる林道もついていて、メインのルートは非常に良く整備されている。しかし・・・岩でできたこの山は整備されていない難しいルートもある。そのひとつが平成20年12月に嶺朋クラブメンバーで歩いた旧羅漢寺のルートだろう。ほとんど歩く人がおらず、中~下部はルートが不明瞭になっているところがある。そしてもう一つ、羅漢寺山山頂(弥三郎岳)から仙娥滝に至る古い道、何件か事故が起きていて命を落とした人もいる「非常に危険」と書かれたルートである。写真が多いので、山頂までの前編と下山の後編の2部に分けてお届けする。

    昇仙峡の駐車場から見上げる新緑の羅漢寺山

 昇仙峡の奥にある開墾地千田集落からのルートはあまり人が歩いていないマニアックなルートだ。その分、静かな山歩きが楽しめる。羅漢寺山を周回するために、昇仙峡の駐車場に車を止めて昇仙峡の散策路と千田に行く林道のような道を歩く。新緑真只中の昇仙峡散策路はツツジや藤の花が咲いてすがすがしい。1時間ほど歩いて千田の集落に到着する。

    (新)羅漢寺とそこにかかる橋


    夢の架け橋


    ふぐ岩 新緑の昇仙峡遊歩道は楽しい。しかし、車がどんどん走って来るのはいただけない。ほとんどが山梨ナンバー。


    千田集落。住んでいるのは3~4軒らしい。昇仙峡の馬車を引く馬はここで飼われている。


    千田のみょうが畑

 登山道の入り口は看板も何も無いのでわかりにくいが、人家の蔵の横から入ってその裏を左に入ると登山道に入れる。(真直ぐ行くと竹林になってしまう。その手前で曲がる。)道はあるが踏み跡は少なく、何本か倒木が道を横切っている。やがてルートを示す看板が見えるようになってくる。30分ほど歩いたところで尾根を1本越えるが、ここにある看板に従って天神森方向に進むと遠回りすることになってしまい、斜めに逆戻りするように尾根に沿って登って行くとやがて道は明瞭になり、天神森側から来るルートと合流する。この尾根の取り付き点は看板が無いので注意が必要だ。

    千田からの登山道は正面に見える建物の右脇の道を入ってすぐに左に曲がる。


    倒木が数本あり。


    看板がつけられている。この看板のところを戻るようにして尾根に入る。

 天神森側から合流する場所にある微妙な方向を示している「見晴し台」の看板、その示す方向にもわずかな踏み跡があり、そこを登ると大きな岩につきあたり、その上が太刀の抜き岩見晴台になっている。岩に沿って左方向に進むと、あっさり普通のルートに出てしまったが、上から見るとこの岩を右側に回りこむと太刀の抜き岩に直接行けるようだ。(ルート未確認ですが、簡単に行けそうです。)

    天神森からの合流点。微妙な方向に見晴らし台を示す看板あり。


    細い踏み跡を行くと岩につきあたる。左に行くと登山道に合流するが右に行くと直接太刀の抜き岩に出られるようだ。

 天気は良かったが富士山は春霞に巻かれ、見えてはいるもののすっきりとはしなかった。太刀の抜き岩は鉾先のように尖った岩と並んで富士山が見える絶景地だが、周辺の松の枝が伸びてきて以前に比べて写真が撮りにくくなりつつあった。

    太刀の抜き岩とその右に富士山


    太刀の抜き岩、および獅子平への分岐点

 ここから先は遊歩道のような明瞭で歩き易い道になる。20分ほど歩くと左側に白山展望台がある。ここは風化した花崗岩の白い砂の向こうに茅ヶ岳、曲岳、黒富士の山々が並び、南側には南アルプス連山がずらりと並んで見える絶景地だ。さらに30分ほど行くと右側に白砂山展望台がある。ここからは羅漢寺山のゴツゴツとした岩肌と昇仙峡の深い谷が見渡せる。

    白山展望台から見る茅ヶ岳(左)と太刀岡山(右)


    白山展望台から見る南アルプス


    このあたりのミツバツツジはもうほとんど終わっており、代わりにトウゴクミツバツツジが咲き始めていた。


    白砂山


    白砂山から見る羅漢寺山 左のピークの下に見える大きな岩が鎧岩。

 10分ほどで旧羅漢寺への分岐となるコルに到着する。羅漢寺を示す古い看板は錆び付いていて文字が読めなくなってしまっているが、昇仙峡側の谷に続くルートが落ち葉にまみれてついている。羅漢寺山へはそのまま真直ぐ進んでロープウェイ山頂駅のあるパノラマ台へ登れば道は明瞭なのだが、ここにもまた「くらかけ山」と記された微妙な方向を示す看板があった。見れば尾根に向う踏み跡らしきものがあり、そこを尾根に添って登って行くと大きな岩の下に出た。ステップの切ってあるその大岩の間を抜けて登ると、山頂手前のピーク直下に出た。そこは寝そべられるような白い岩の台になっており、向いには先ほど居た白砂山が見え、その左側に富士山、右側には南アルプスが見える絶景地だった。すぐ上の展望台やロープウェイ山頂駅あたりはたくさんの人の声がするが、この場所を知る人は少なく、人が居ないのが良い。時間は12時、ここで昼食にする。

    「くらかけ岩」の看板に従って踏み跡の少ない尾根道を登ると、大きな岩の下に出た。この岩の上が絶景地。


    岩の上から見る白砂山と富士山

 その先は踏み跡が何本もあり、登るとすぐに大きな標柱の立つピークに出た。弥三郎岳山頂はその先だ。登山の格好をしている人が多かったが、ロープウェイを使って普通の運動靴で来ている人も見かけた。ルートが整備されているので、登山装備で無くてもこの山には来られる。

    弥三郎岳山頂と神社


    山頂から見る荒川ダムと能泉湖

 さて、下山。当初の予定では楽をしてロープウェイで下ろうと軟弱な考えを持っていたのだが、弥三郎岳直下の看板を見て気が変わった。「非常に危険 要注意」、いったいどんな道なのだろう。入り口だけ見れば普通に道がついているように見える。この道を下山してみることにする。(後編に続く)


    「非常に危険 要注意」この道を下山する。
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ツツジの開花はいかに?御坂山塊本社ヶ丸

2011年05月16日 | 御坂・毛無・天子山系
 平成23年5月4日

 5月連休の後半は恒例の南アルプスに行く予定を立てていた。体調と腕の具合次第では無理せずに近場の山を考えており、山仲間からの誘いもあった。しかし・・・想定外に酷くなった腕の状態、東北遠征の車の運転がかなり堪えた。朝、目を覚まして体を起こした直後から腕のしびれと痛み、12月の悪かった時の状態に戻ったような感じだ。頭を起こして体を真直ぐにした状態で車を運転する姿勢が頚椎を圧迫して症状を悪化させてしまうのだ。5月3日は1日完全休業。翌朝も腕の症状はあるが、若干和らいだ感じだったので、短時間で行けそうな山、かつ、今後の山行の参考になりそうな場所ということで、御坂山塊のツツジの開花状況偵察という意味を含めて本社ヶ丸に行くことにした。

    御坂峠から見る富士山

 この山は5年前のまだ初心者だった頃に御坂峠の天下茶屋から行こうとしたが、何故か着いた山は御坂山。その時はまだ道を間違っているのに気付かずその先まで行って眼下に河口湖が見えたところで初めて方向を間違っていることに気付いた。普通はトンネルの横から入る遊歩道のような道を行くのだが、その時は天下茶屋の右脇に何やら妙な道がついていて、そこを登って行った。どこでどう間違えたのか確認すべく、天下茶屋脇の道を再び登る。

    御坂天下茶屋の脇から登る木の階段道

 取り付き口は若干わかりにくいが、木の階段がつけられた遊歩道のような道がついている。天下茶屋周辺ではミツバツツジがもうすぐ満開を迎える頃だったが、山の中腹ではまだ蕾だった。この道を使う人はあまりいないようで、踏み跡が少ない。1時間ほど登って行くと、稜線の分岐点に到着した。ここが御坂トンネルの脇から登る道の合流点だ。5年前に歩いた時は、すぐにトンネル脇からの道に合流するだろうという先入観があって、こんなに登ってから合流するとは思ってもいなかったので、ここを左に(御坂山側)に曲がってしまったのだろう。今でこそ、この山塊ならば山の形を見てどの山かだいたいわかるが、初心者だった6年前は御坂山を清八山、その先に見える黒岳を本社ヶ丸と勝手に思い込んでしまったのだ。

    登りついた稜線にはシャクナゲの木があった。花芽もついていた。いったいどんな花が咲くのか?

 間違えた場所はわかった。今度は間違えずに本社ヶ丸に向う。多少のアップダウンあり、林越しに富士山を見ながら、足元の花を探しながら進む。道は明瞭、同じ方向に進む人に10人弱出会った。少し急になった山の上に立つと富士山が良く見え、そこが八丁山だ。(看板は無かったように思う。)ツツジを入れて富士山を撮るのに良さそうなところをイメージしながら歩くがなかなか良い場所は無く、また、まだ稜線のツツジは蕾すらついていなかった。さらに進むと一旦下って送電線の立つ広場に出る。ここで道は分かれていて、右の清八林道に下りる道、左の笹子方面に行く道、そのまま真直ぐ細い道を行くと目指す清八山・本社ヶ丸方面となる。

    エイザンスミレ ピンク花


    白いスミレ。花の名前は調査中。


    八丁峠の送電線 向こうに見えるのは左が黒岳、右の三角錐が釈迦ヶ岳。

 真直ぐ進むと間もなくフェンスに囲われた植林地につきあたり、そこを過ぎると清八林道から来る登山道と合流する。さらに進んで少しだけ岩場になったところを登りつくと清八山だ。富士山の眺めが抜群だ。山頂に立つ松の木がまた格好良い。それほどゆっくり歩いたつもりは無かったのだが、時間は12時、ここまで3時間近くもかかった。その先には本社ヶ丸の山頂が見える。

    清八山の松の間から見る富士山


    向こうが目指す本社ヶ丸


    ツツジはまだ咲かない。

 崖のような岩場を越えて多少のアップダウンを過ぎると、本社ヶ丸山頂に到着する。12時50分、思ったよりも時間がかかった。このあたりもまだツツジは全く咲いていなかった。ゆっくり休んで昼食をとって下山する。

    本社ヶ丸山頂


    山頂から見る、三ツ峠と並ぶ富士山

 清八山の手前で山頂を巻く「この先危険」と書かれた道があり、あえてそこを通過する。人が通らないので足元は深い枯れ葉が積もっていた。途中に崩落地があり、ロープが張られてはいるが以前よりもさらに崩落が進み、ロープ中央部を支えていた木が抜けて倒れてしまっていて、ロープはほとんど役を成していなかった。通行は可能だが、決して勧められる道ではない。

    通行危険な道の崩落地点を振り返る。中央にロープがあるが、あまり使い物にならない。落ち葉が山のように積もっている。


    こちらは清八山付近で見つけた白花のエイザンスミレ。


    天下茶屋に向かう車道の脇にはヒトリシズカがたくさん咲いていた。

 帰りは清八林道を通って天下茶屋に戻ったが、やはり左腕が痛くなり、首を引張ったり左腕を持ちながら歩くことになる。翌日の連休最終日、天気はまずまずだったが、再び全休。車の運転とパソコンのデスクワークは首に良くないようだ。


    今回歩いたルート
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東北被災地巡礼③ 平成23年4月29日-5月1日

2011年05月13日 | 番外編

  5月1日(3日目)

 普段ののんびり家族旅行よりは少し早目の6時半に起床し、7時半に朝食を済ませて早速松島五大堂を見学に出かけた。テレビで良く見かける津波の大きさからすると、重要文化財であるこの建物も粉々になっているだろうと思っていたのだが、前述の通り、松島、塩釜は沖に浮かぶ小島のおかげで津波の勢いが減弱されて被害が少なかった。五大堂にかかる橋も、その向こうの小島にかかる長い橋も健在だった。松島湾観光フェリーは連休に間に合わせて、4月29日から運行されていた。瑞巌寺にも立ち寄ろうかと思ったのだが、帰りの渋滞のことを考えると時間的に難しく、次の目的地に向う。

    松島五大堂 手前の堤防は一部破損しロープが張られた場所があったが、五大堂は全く無傷に見える。


    五大堂にかかる橋


    松島五大堂 全く損傷は見られない。


    向こうの小島にかかる橋も健在


    松島湾観光フェリーは4月29日から運航が開始されていた。

 仙台南道路に乗り、再び自動車道から津波の爪跡が深く残る仙台市若林地区、名取市を左手に見ながら、ひたすら南下して福島県相馬市、さらに原子力発電所20km避難区域ギリギリの南相馬市まで行ってみた。途中通過した相馬市の国道6号線沿いは、遥か彼方の海から流されてきた漁船が田んぼの中に何艘も打ち上げられていた。消防自動車が数台田んぼの脇に止まっており、まだ捜索活動を行なっているようだった。南相馬市陸前大田あたりまで行くと走る車もまばらになり、町を歩いている人の姿もほとんど見かけなくなった。南相馬市に行った理由は、ゴーストタウン化した町に飼い主に置き去りにされた犬や猫が餌を求めて町の中をさまよっているという情報を得て、動物好きの妻が餌を置いて行きたいという希望で訪れることにしたものだ。国道6号線の行けるところまで行ったが、道路が閉鎖されていて警察官が立っていた。その場所は田んぼの中の道で、そこには犬や猫はおらず、引き返して陸前大田付近の市街地を通ってきたが、やはり犬や猫がさまよっているような場所は見当たらず、また、人家に車は止まっているものの人の歩いている姿はほとんど見かけなかった。

    相馬市の田んぼに打ち上げられた漁船


    同上


    田んぼのあぜ道に咲くタンポポと打ち上げられた漁船


    国道6号線沿いに流れ着いた瓦礫の山


    国道のすぐ脇まで大きな漁船が流れ着く。

 山を越えて東北自動車道に抜けるのだが、カーナビで見て南相馬から距離的にいちばん近そうに見えた県道62号を行った。途中に「この先悪路、砂利道8km」の看板があり、覚悟して行ったが予想通りの悪路で、RV車でないとややきつい道だった。抜けたところは飯館村で、20km圏外ではあるが風の向きによっては放射能濃度が高い場所だ。(もっともこの年齢になると少しくらい浴びても問題ないが。)さらに二本松に抜けたが、途中の山村は桜や花壇の花が咲き、静かでのんびりした良い場所だった。早く原発を安全に停止させて安心して暮らせる場所に戻して欲しいと願う。
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東北被災地巡礼② 平成23年4月29日-5月1日 

2011年05月11日 | 番外編
  4月30日(2日目)後編
 次に向った先は仙台の北、石巻市。ここも甚大な被害を被った場所だ。高台になっている日和山公園が先週桜の見頃を迎えているとの情報を得ており、そこを目指してカーナビを使って行く。町中は渋滞でなかなか車が進まず、道路脇を見るとあちらこちらに瓦礫が積み上げられ、軒下まで海水に浸かって使用できない家や店舗がたくさん見かけられた。ボランティアの人たちの姿も見かけた。

    石巻市日和山公園


    桜が咲くその向こうは津浪の傷跡が残る。防波堤には大きなタンクが打ち上げられている。

 到着した日和山公園は、桜はもう終わりかけていたが、シートを広げてお花見を楽しんでいるグループの姿も見かけた。桜の花越しに見る石巻湾は津波の爪跡が深く残っていた。防波堤には津波で流された大きなタンクが引っかかっているのが見える。右下の石巻市立病院は建物は残っているもののその周辺は粉々に破壊されて瓦礫の山になっている。裏側には中ノ島が見えるがこれも壊滅的、白くて円い建物はおそらく石ノ森章太郎館だろう。高台のこの日和山があったおかげで、街中はまだ被害が少なくて済んだのかもしれない。

    桜の向こうの被災地


    残った水色の建物は石巻市立病院。その周辺は跡形も無く粉々。


    中ノ島

 この日の宿泊地は松島。自動車道を使えば早いが、海岸沿いの道が通れるというので奥松島を経由して海岸近くの道を行く。東松島町の川沿いの田んぼを見てまた絶句。瓦礫が一面に散在している。さらに行くと住宅地があったが、家はもう使えるような状態ではない。さらに電車の駅。貨物列車が脱線し、線路は曲がり、駅も周辺の家も粉々になっていた。このあたりはまだほとんど手がつけられていない状態だった。

    東松島町の河口付近の田んぼ(畑?)はまだ瓦礫が散乱。


    東松島町の川は瓦礫がまだそのままになっている。向こうには倒れかけた家。


    脱線した貨物列車


    同上。向こうに見えるのは駅。


    線路は曲がり、駅は粉々。


    ほとんど手がつけられていない東松島町。言葉が出ない。

 午後5時半、宿泊場所の松島大松荘に到着。今日見てきた中では、松島の町は塩釜と同様に被害が少なかったように見受けられた。ただ、途中通過してきた松島湾の中には壊れて使用不能になった船が何艘も置き去りにされて浮かんでいた。

    宿泊した松島大松荘5階の客室から見る風景。沖に浮かぶ島々のおかげで比較的津波の被害は少なくて澄んだ。
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東北被災地巡礼① 平成23年4月29日-5月1日

2011年05月11日 | 番外編
 もう20年ほど昔のこと、母校の秋田大学耳鼻咽喉科医局に在籍していた頃、医局の派遣で志津川町立病院(現在の南三陸町公立志津川病院)に勤務していたことがあった。志津川湾は銀鮭の養殖場が広がる静かな海で、医局の先輩とともに船で釣りに出かけたことがあったが、クーラーボックスに入りきらないほどのアイナメとカレイの大漁だった。あの病院(新築されていたようだ)がテレビに映し出された時は驚いた。4階まで津波に襲われ、かろうじて助かった患者さんたちを屋上からヘリで救助する映像が映っていた。自分の目で見に行ってみたいとずっと思っていた。
 妻が宿泊施設の状況をインターネットで調べたところ、意外にも松島、塩釜あたりは宿がとれた。しかも安い。復興支援の人たちのために格安の料金で提供しており、あの松島でさえ2人で1泊2食付で1万5千円という料金だった。可能ならば南三陸町まで、と思っていたのだが、連休中は自衛隊や復興支援の車両優先のために一般車は控えて欲しいとのニュースが流れ、三陸はあきらめて仙台周辺に視察に行くことにした。

 4月29日(1日目)
 仙台空港周辺を視察して塩釜に宿泊する予定で8時自宅を車で出発。中央道から圏央道に入り、終点で降りて一般道を通って久喜インターから東北道に乗ったが、ここで既に渋滞が始まる。この日は高速道路1,000円の割引料金だったため、東北地方に向う車がたくさんあった。ボランティア支援に行くのだろうか、たくさんの荷物を積んだ車も多く見かけた。私たちの車も念のためのテント泊装備と避難所支援用水2リットル×2ダース、軍手30足、長靴、犬猫用餌大袋を積んでいる。渋滞は郡山まで続き、福島で若干緩和したかと思ったら仙台手前からまた渋滞。結局仙台南道路に入った頃にはもう7時となり、真っ暗になってしまった。そのまま塩釜の宿泊地、スマイルホテルに直行することになる。仙台南道路から見る東側(海側)の景色は、運転しながらだったのでちらりとしか見られなかったが、暗がりの中でもガレキや倒木が散らかっているのが見えた。
 塩釜市内は意外にも道路はすっかりきれいになっており、むしろその手前の多賀城市のほうが壊れた家やガレキが多く見られた。ホテルは全く普通に営業されていたが、夕食は提供できず外食となる。塩釜の繁華街にある寿司屋で夕食をとったが、その店も床上70~80cmほど海水に浸かったそうで、柱に浸水の跡が残っていた。漁業はまだ再開されていないため、北海道や青森からネタを取り寄せているという。塩釜や松島は沖合にある島々のおかげで津波の勢いが減弱され、水には浸かったものの被害は比較的少なくて済んだと店主さんが話してくれた。食事の後に塩釜駅周辺や避難場所となっている高台の神社を散策してみたが、泥につかって再開できない店があるものの、倒壊している家はほとんど見かけられなかった。

 4月30日(2日目)前編
 宿泊したスマイルホテル塩釜は500円でバイキング形式の朝食で、都内の普通のホテルに全く劣らない、被災地とは思えないような十分過ぎる朝食を提供していただいた。そして、3年前の職員旅行の際に立ち寄った塩竃神社に行ってみる。何事も無かったかのように桜が咲き、庭園から見下ろす塩釜湾は至って穏やかに見える。ここは高台なので津波の被害は全く受けなかったが、地震の影響で倒れた灯篭が何本か見られた。

    塩竃神社のしだれ桜  何事も無かったかのように桜が咲く。


    神社の庭園から見下ろす塩釜湾は平穏に見える。


    天然記念物塩竃桜  三十八重くらいの花弁をつけるらしい。まだ咲き始めだった。


    地震で倒れた灯篭

 次に昨日走った仙台南道路を南下して仙台空港に向う。前日は暗くて良く見えなかったが、昼間走ってみるとその津波の凄まじさがわかる。名取川周辺は遥か彼方の砂防林から流れ着いた松の木が横たわり、田んぼの中は瓦礫や車、船などが散乱していた。仙台空港駐車場に車を止めて空港を見学させてもらうが、ひとまず復旧して飛行機は一部だけ飛んではいるものの、空港内の照明は暗く、電車はまだ復旧しておらず、使えるロビーも一部だけだった。外の花壇に植えられた木や花は津波による塩害で全て枯れてしまっていた。

    仙台空港 花壇の木や花は塩害で枯れてしまっている。


    電車ホームへのエスカレーター。津浪の及んだ高さがわかる。


    空港前を流れる川にかかる橋は、欄干が壊れている。


    川の中と土手は瓦礫だらけ

 橋を渡って海岸まで歩いてみた。このあたりは住宅街だったようだが、家は跡形も無く壊れて瓦礫と化しており、残った家も損壊著しく、とても住めるようなものではなかった。電信柱はことごとく折れ曲がり、セメントの中の針金が露出していた。ボコボコになった車があちらこちらに散乱し、砂防林の松が家に突き刺さっていた。これだけ破壊されるとボランティア活動というようなレベルではなく、もう重機で片付けるしか無いのであろう。

    津浪で流された車


    粉々になった家


    立っているのが不思議なくらいに壊れた家


    砂防林から流れ着いた大きな松の木が横たわる


    倒れた電柱は内部の針金が露出している


    家に突っ込んでいる車。右手に見えるのが仙台空港。


    砂防林付近にあった家は跡形も無い


    津浪でなぎ倒された砂防林の松


    破壊された堤防と砂防林


    海岸にはプロパンガスのボンベが横たわっていた


    砂防林にあった住居の跡。あの津波にあっても花は咲く。町も必ず復興する。

仙台空港を後にして今度は津波の被害が甚大だった名取川南側の名取市に向った。海岸沿いの道が復旧されていて通行可能と工事関係者の方に聞いたので、そちらの道を行ってみると、道の周囲にはあちらこちらに瓦礫が散乱していた。さらに進むと住宅街であったと思われる場所に出た。田んぼと思われる場所はまだ海水が引いておらず、腐った塩水の臭いが漂い、船や自動車が散乱していた。海は遥か2~3km向うだというのに、道路脇の住居に大きな魚船が乗り上げており、津波の凄さを伺わせた。

    名取市。田んぼと思われるが、まだ海水が引いておらず、腐った塩水の臭いがする。


    住宅地に押し流された漁船。右に停まっているのが私の車。

 さらに道に迷いながらも、名取川を越えて仙台市若林区の被災地を巡礼した。テレビにも良く登場する閖上(ゆりあげ)地区だ。一部災害復旧用車両しか入れてくれない場所があり、そこを迂回して日和山富主姫神社という小さな高台に行ってみると、そこには塔婆と花が手向けられていた。そこから見る閖上地区の様相は絶句するほど凄まじい。もともとは住宅地だったはずなのに、住居は土台を残すだけで跡形も無く消失していた。散乱する瓦礫のほかは何も無い。少し内陸に入った田んぼと思わしき場所には、遥か彼方の砂防林から流されてきた松の木が点々と横たわっていた。

    名取市閖上(ゆりあげ)地区にある日和山富主姫神社


    神社の高台には花束が手向けられていた。その向こうに見る景色は・・・絶句、跡形も無い。


    名取市閖上地区。ここに住居があったとは思えないほどに跡形も無い。


    遥か彼方に見える砂防林から流されてきた松が横たわる。

(2日目後編に続く)
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花咲く武田の杜、湯村山から白山を経て興因寺山へ(後編)

2011年05月03日 | 八ヶ岳・秩父山系
 平成23年4月24日

 朝から晴天のこの日、前日の雨のおかげで春霞が飛び、富士山がくっきりと見える。緑ヶ丘運動公園から湯村山、白山を経て千代田湖の脇を走る県道に至り、この県道を甲府市街方向に歩いて和田峠中腹にある武田の杜遊歩道に到着した。時間は11時少し前。この遊歩道周辺がまた花の宝庫なのだ。

    ジュウニヒトエ この武田の杜遊歩道沿いにたくさん咲く。


    イチリンソウ ずいぶん数が減ってしまっている。他の場所に咲いているのも発見。


    ヤマザクラは満開。向こうに見えるのが白山の山塊


    ホタルカズラ 以前は数輪しか見つけられなかったが、その気で探すとたくさんあった。


    ヒトリシズカ これもたくさんあるが、時期的にやや遅い。


    キンポウゲ(だと思う) 数輪道端にひっそり咲いていた。


    花の名前不明。1箇所だけ群落になってたくさん咲いていた。

 遊歩道を15分ほど歩くと左側にやや大きな白い花の群落が目に付く。イチリンソウ群落だ。踏まれないように群落境界部には石の囲いが目印として敷かれている。初めてこの群落を見た3年前に比べると群落は小さくなり、花の咲き方も半分以下になってしまっていた。盗掘とは思えないが、このまま消滅してしまわないことを祈る。さらにこのあたりから道端にジュウニヒトエの花がこれでもかというくらい目に付くようになる。名前が凄いが、花もそれに負けないあでやかな花弁を何重にもつける、面白い花だ。さらにヒトリシズカ、ホタルカズラ、フデリンドウ、イカリソウなど、たくさんの花が咲く。アカネスミレもあったはずなのだが、今回は見つけることができなかった。

    金子峠分岐のところで羽化したばかりのオオミズアオに出会った。


    金子峠分岐の道標

 12時20分、金子峠分岐部に到着。ここで大休憩し、昼食をとる。ふと見れば羽化したばかりの緑色の蝶、ではなくてオオミズアオという大型の蛾が道の傍らにぶら下がっていた。まだ翅が十分に開ききっていないようで、飛び立つこともなく私たちが食事している傍らでじっと木の枝に止まっていた。

    金子峠 この上に弥勒館という建物がある。


    淡雪山への登りは少しだけ岩になっているが、容易に通過できる。


    淡雪山で記念撮影

 さて、ここからまたやや急な登りとなる。金子峠への道は一部崩落していて巻き道になっているが、良く踏まれていて迷うことは無い。峠に着くと弥勒館という宗教団体の建物があるが、この前を通り過ぎてすぐ上の淡雪山まで登り、ここで休憩をとる。淡雪という名の如く、花崗岩とその風化した白砂でできたこの山は白い雪を抱いているかのように見える。

    淡雪山の先の稜線は甲府盆地と富士山を見る絶景地。下に見える池は武田神社の北側にある竜華池(りゅうがいけ)。

 ここから先は、かつて通の人しか歩かない薮ルートだったのだが、最近ルートが整備されて草や木が刈り払われ、すっかり普通の登山道と変わらなくなってしまっている。淡雪山から15分ほど登ったあたりの稜線は、甲府盆地の町並みが一望でき、左側の愛宕山の上に富士山が見える絶景地である。夜景はさぞかし綺麗だろうと思う。いずれは夜に訪れてみたい。

    興因寺山山頂 大きな送電線鉄塔が立つ。眺望はあまり無い。

 コブを2つ3つ越えると送電線鉄塔の立つ興因寺山山頂が眼前に迫る。切り払われた明瞭な道だが、眺望はあまり得られない。そして興因寺山山頂到着、時間は午後3時25分。歩いてきた稜線を振り返ると遥か向こうに小さく千代田湖が見える。ずいぶんと遠くまで歩いてきた気がする。

    興因寺山から積翠寺農道に下りる途中にあった熊棚。我が家の裏山には熊が住んでいる。


    農道脇の広場に止めた車に到着。左上には富士山がちらり。

 興因寺山からは南側の広い尾根を真直ぐに下りる。途中の木の上にゴミが乗っているのかと思いきや、良く見ればこれは熊棚。しかも3つもある。木の上で熊が枝を折って座を造り、栗の実を食べた跡だ。しかも私の住む積翠寺のすぐ裏山、1時間ほどで到着できる場所だ。餌のある年は良いだろうが不作の時は里まで下りてくるかもしれない。かつて要害山で熊の目撃情報があり、しばらく閉鎖になったルートがあったが、この山域一帯はどこで熊に出会ってもおかしくない場所ということなのだろう。午後4時半、予め車を停めておいた林道脇の広場に無事到着した。
 山歩きの後は恒例のカッパ寿司。せっかく歩いて減らした体重もこれでまた元にもどってしまう。
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