ブログへ記事を掲載する場合に2つの原則を守ろうと努力してきました。一つは自分が体験したことを書く。そしてもう一つは、自分で取材したことを書く。この二つにこだわりながら書いてきたつもりです。取材をすると各地に必ず親切に協力して下さる人が居ます。
ヨットに関する係留地の取材では現地の人々の協力を得ました。また田舎暮らしに関する記事の取材では実際に都会から移住して田舎に住みこんでいる人を訪問しました。田舎の不動産の物件を販売している良心的な業者も訪問、取材しました。親切にも別荘地をあちこち車で案内してくれ楽しい話を聞くことが出来ました。
色々な土地を観光しながら取材する場合は各地の民俗資料館の歴史ボランテアと親しくなりました。このようにブログを書いているお陰で見知らぬ土地の人々と親しくなりました。従来は観光旅行をしても、現地の人々へ話しかけることはありませんでした。
ブログのお陰で地方の方々の考え方が理解できたのです。これこそが、ブログが私へ与えてくれた宝物の一つです。このような宝物の実例として1人だけご紹介いたします。
それは八丈島の歴史民俗資料館の細谷昇司氏です。細谷さんとは今年の1月27日から30日に、「八丈島の流人文化」を取材に行った時に知り合いました。地域の歴史や民族学を独学で研究している方でした。そして私が帰ったあとも10回以上にわたって島の歴史、生活文化の情報を送ってくれました。昔の写真も添えて送ってくれたのです。そのお陰でこのブログでは、2月と3月の間に数回にわたって八丈島の興味深い、そして詳しい記事を掲載することが出来たのです。
現在は水田の無い八丈島で水稲を大々的に作っていた昭和初期のころの写真も送って下さいました。山すそにあった水力発電所の写真も送ってくれました。海底電線が出来るずうっと以前から島には電灯がついていたのです。
細谷昇司さんとは現在でもメールの交換を続けています。
八丈町歴史民族資料館として検索すると連絡方法があります。以下に小生の2月11日の記事で掲載した彼からのコメントを再録します。ながれ というハンドル名でブログを書いていらっしゃいます(http://blog.goo.ne.jp/zuninrunin/)。そのブログには活き活きとした島の現在の写真が掲載してあります。彼の島の歴史的研究の報告も出ています。
藤山杜人様
八丈島歴史民俗資料館の者です。先日は、ご来館有難う御座いました。生憎のお天気でしたが、八丈島をお楽しみ戴きましたでしょうか。連絡船は今日も欠航で、4日連続です。写真拝見しました。景色、花共、大変綺麗に撮れているので、写真をご覧になった方が、島に関心を持ってくれると嬉しいのですが。八丈島は絶海の孤島ですが、全国各地と何らかの関係があります。失礼ながら、今御ブログの「推薦したいブログ」の方々のプロフィール欄を拝見しました(仕事柄、来館されたお客様の出身地と八丈島の関係を話さなければならないので、お許し下さい)が、北は宮城県、西の方は滋賀県でしたでしょうか、皆太い糸で結ばれております。今週末の7,8日に芸能文化交流会というのがあり、偶然ですが鬼家雅雄さんのお住みでいらっしゃる北杜市から、根古神社神楽社中の皆さんが、来島され公演しますので私のブログ゛に載せたいと思います。長くなりました、失礼します。
投稿 ながれ | 2009/02/02 09:45
細谷昇司さんへ感謝の意を表する為に1月末に行ったときの島の風景写真を3枚掲載します。細谷さん、有難う御座いました。お元気でお暮らし下さい。(終わり)