後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

学校で教える歴史は常に権力者に都合の良いことだけを教える傾向があります

2009年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝掲載しました、「明治維新以後の日本はアジアの植民地解放に貢献したーそれに感謝している国と感謝していない国―」という記事に対して、趣味人倶楽部のyuyuさんという方から以下のようなコメントを頂きました。

=====yuyu」さんのコメント=================

戦後の教育なのでしようか日本の戦争責任が多く語られ、日本人の大部分の人々は、「戦争で非道を極めたのは日本」 と信じているのではないでしょうか。戦争には略奪、暴行も確かに存在したのでしようが、それは一部の不届きな兵士の業です。私は長い間、台湾と韓国と同じくらい深く交流をしてきましたが、対日感情の大きな違いを肌で感じました。そして、中国は地域によって大きな差があるようです。アジアの植民地解放に、軍人として独立戦争へ参加して、働いた日本人のお話も納得です。正しい教育をせめて国内はするべきですね。

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そうですね。私の言いたかったことです。戦後の日本の歴史教育はアメリカへ追従するあまり明治維新以後の日本のかかわった全ての戦争を悪と断罪し、その戦争がアジアの国々へどのような影響を与えたかという客観的記述が皆無に等しいのです。その事は戦争が悪だということと関係のない影響なのです。

インドネシアでは敗戦後、多くの日本兵がインドネシアの独立戦争へ義勇兵として参戦し、オランダ軍と戦い、それらの日本人は現在、インドネシアの国立墓地に丁重に葬られているのです。

日本のマスコミは戦後、オランダの対日感情が悪いのは戦争中の捕虜虐待のためと報道していますが、その原因は戦後に日本兵がインドネシア独立のために戦ったからでもあるのです。原因が色々あるときその一つだけを学校の歴史で教えて、欧米に追従していれば、間違った歴史感を与えることになります。

ついでに言えば、チャンドラ・ボースがドイツへ行って、ヒットラーにインドの独立を支援を頼んだのです。そうしたらヒットラーは、「インドの独立は150年はやい!」と言って冷笑したそうです。その後、チャンドラ・ボースを潜水艦でドイツから招いたのが日本だったのです。ボースは日本の支援でインド人による義勇兵で組織したインド解放軍を作り、インパール作戦で日本軍とともにインドへ攻め込んだのです。これは客観的事実で現在のインドと日本の関係を理解するために重要な歴史なのです。それを日本の学校では明確に教えてないのです。

教科書に文部科学省の検定があるかぎりこの問題は解決しないと思います。

皆様は日本の学校で教えている歴史をどのようにお考えでしょうか? (終わり)


甲斐駒山麓で偶然見つけたターシャ!

2009年08月28日 | 写真

北杜市の真原桜並木の青葉のトンエルを車でゆっくり走っていました。車窓から左を何気なく見ると、緩やかな南向きのスロープの広い庭に淡い色の花々が咲き乱れ、小さな木造の家の前に白髪の婦人が椅子に腰掛け、膝の上に白い布を広げているのが目に止まりました。

「ターシャが!」、と家内がつぶやくのです。すぐに引き返して、路肩に車を停め、訪れました。

細い路地を入り、名刺を出しながら声をかけました。晴れやかな笑顔の老婦人がやさしい声で話します。十数年前に、息子さんとこのへんを回ってここの土地を買い、小屋を建てたそうです。「二人で東京から時々泊まりがけで庭作りに通ってきます。息子も造園が好きで一年を通うして花々が咲くようにつくってくれました」と微笑みながら話して下さいました。南向きの傾斜地には、まさしくターシャの庭のように自然そのままの草花が豊かに咲いています。息子さんはボランテア活動をしながら、時々「草木染めの体験教室」も開催しています。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。(終わり)

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色々な庭園とターシャ・テューダーの庭

2009年08月28日 | うんちく・小ネタ

日本が明治維新後、文明開化をし、西欧流の庭園が入ってきました。それまでは小堀遠州流などの庭園が主流でした。現在でも少し大きなお寺の本堂の裏手には、この庭園を楽しむことが出来ます。山の巨岩や滝や湖を小さな築山や池で再現し、見る人に雄大な風景を想像させます。

西洋の庭園はベルサイユ宮殿の庭のように原則として左右対称、幾何学的に整然とした人工美を誇っています。自然の風景に対抗するような造園芸術です。

ところがターシャ・テューダーの庭は自然にあるがままの草花を美しく配置し、育てた庭です。人工的な造園ではなく自然の野原に咲く花々の美を凝縮、再現したような庭です。

日本人にに馴染み易い庭園なので大変人気があり、各地にそれを倣ったターシャ流の庭園があります。

ターシャ・テューダーはアメリカの絵本作家です。1915年生まれで高齢の女性です。それで日本の園芸好きの女性のあこがれ的存在になっています。(2008年6月になくなりました)

皆様もターシャの庭を検索して、その自然なままの草花の風景をお楽しみ下さい。

下の写真は山林の中に自然に咲いているホタルブクロの写真です。昨日、山梨の甲斐駒の麓で見つけました。(終わり)

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明治維新以後の日本はアジアの植民地解放に貢献したーそれに感謝している国と感謝していない国―

2009年08月28日 | インポート

戦争は悪魔の所業です。戦争は絶対にしてはいけません。しかし明治維新以後の日本は数々の戦争をしました。大きな悲劇の傷跡は今でも残っています。

しかし結果的にアジアにあった欧米の植民地の解放と独立へ大きく貢献したことは歴史的事実であり否定のしようが有りません。しかし、この日本の貢献へ感謝している国と、反対に日本を憎んでいる国があるのです。結論を出す前に以下のエピソードをお読み下さい。

      ◎ ベトナムと日本の関係の歴史

1990年代に入り、日本企業は中国やベトナムへ工場を移転・拡大しはじめた。ところが、工場建設の許認可から、生産管理、利潤の送金などでトラブルが生じた。日本企業はアメリカやヨーロッパで工場を建設し、順調に生産を続けてきたが、経験が役に立たない。 そういった現実を踏まえて、あるビジネス学校が「ベトナム・中国ビジネス講座」という夜間講習会を実施したことがある。私はその講座を企画し講師を探す仕事を担当したことがありました。

ベトナムの企業活動に関する法律や規則を教える。ベトナム語を教える。そしてその他にベトナムと日本の関係の歴史を教える。この3分野をカバーしました。

日本との関係、特に第二次大戦中の関係については、日本の敗戦後ベトナムに残留してホーチーミンの部下としてフランスと戦った二人の日本兵と一人の銀行家を講師として依頼したのです。そして自らの見聞や体験を語ってもらいました。

     @温顔の将校ホーチーミン

フランスと戦った二人の日本兵が言います。「作戦の最中、川を渡ることがしばしばあった。川岸に来ると兵隊は下半身裸になり、服を着た将校を背負って渡る。軍隊では当たり前の習慣である。残留日本人は皆将校になったので、服を着たまま兵の肩に載って渡る。ふと前を見ると、将校服の老人がズボンをたくし上げて歩いて渡って行く。向こう岸にたどり着き、渡河した老将校の顔を見ると、それは温顔のホーチーミンだった。兵隊へ「ご苦労さん」と言っているようにニコニコ顔で振り返っていた。こんな場合、日本軍出の将校は兵から飛び降りる。一方ベトナム人将校は自分の行動を続ける。ホーチーミンも将校に歩いて渡れと命令しなし、そんなことを期待もしない。しかし、このエピソードは数日でベトナム全軍に広がる」

ベトナム兵の士気が上がるのは当然であろう。元日本兵はホーチーミンの部下として戦った6年間を人生の中で一番輝かしい期間だったと言う。

   @日本兵帰還の特別列車

1951年になり、朝鮮戦争が始まる。ホーチーミンは中国の毛沢東と相談してベトナムに居る日本兵を北京経由で帰国させることにしました。郷愁の念にかられる残留日本兵に深い感謝を伝え、北京までの特別列車を仕立て送り返したのです。

講師を引き受けたF氏とY氏になぜ残留したのですかと聞いた。「ホーチーミン軍に加われば、食料に困らないと聞いたからですよ。共産主義が正しいとか大東亜共栄圏がよいとか考えませんでした。食べ物の誘惑でしょうね」

     @ベトナムの銀行制度を作った横浜正金銀行の人

もう一人の講師H氏は元横浜正金銀行の幹部であった。ホーチーミン軍の財務担当幹部としてベトナムの銀行制度の骨子を作った。H氏は「ホーチーミンは官僚主義を憎んでいた。ベトナム共産党もすぐに官僚的文化に染まり、その結果、一般人民が被害を受けることを憎んでいた。彼は一般民衆の幸福を第一に考え、アメリカ、ソ連、中国からの完全な独立を確信していた」と語った。

この元横浜正金銀行の幹部であったH氏は帰国後も東京にベトナム大使館開設の為に働き、東京の代々木八幡に開設されたベトナム大使館に協力を続けていたのです。

  @日本へ感謝している国とそうでない国

さて、上に書いたエピソードはベトナムに関するエピソードです。しかし似たようなことはビルマやインドネシアなど幾つかの国々にもあり、日本はアジアの植民地解放に大きな貢献をしたのです。このことで日本へ今でも感謝している国々は、西から言うと、インド、ミャンマー、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、等です。

反対に日本軍が占領して圧政を敷いた国々では日本を憎んでいます。中国、朝鮮、シンガポール、フィリッピン、マレーシア、などです。

植民地解放へ貢献しても占領して暴虐ぶりを見せつければ感謝されないのは当然ではないでしょうか?皆様は如何お考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人