後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「狼皮のスイーツマン」氏の優雅な帰郷

2009年08月17日 | インポート

「狼皮のスイーツマン」氏が伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」というミステリー作品を発表しています。お許しを得て、7月18日のこのブログ記事でご紹介しました。

1920年頃から1930年頃の上海に住んでいる色々な国籍の人々。当時新しく登場した空に浮かぶ船・飛行船の旅、アールヌーボーの内装、そして飛行船内で起きる殺人事件。ミステリー小説ですが登場人物の人間性を丁寧に描き上げた小説です。それに第一次世界大戦と第二次大戦の間に咲いた上海文化の見事な記述。色々な視点からも興味深い作品です。(http://r24eaonh.blog35.fc2.com/

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さてこのミステリーの主役の伯爵令嬢のモデルは居るのでしょうか?メールで著者にききましたところ、もう一つのブログのURLを教えてくれました。

「狼の皮を被ったスイーツマンー私のノート」というブログです。http://okoshi13.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10102668/index.html

伯爵令嬢のモデルの1人は白水阿弥陀堂を建てた貴婦人、徳姫です、と教えてくれました。

福島県太平洋岸の「いわき市」に昔、常磐炭鉱があり、その付近に白水村があったそうです。

その村に奥州藤原3代につながる徳姫という貴婦人がいて、夫の死後、現在のいわき市のそばの白水村に住み、地域の住民を愛し、夫の冥福を祈るため阿弥陀堂を建てたのです。

この阿弥陀堂は藤原3代の平泉文化の優雅な庭をもっていたことも遺跡調査から分かっています。阿弥陀堂は優美な平安時代の建造物として、現在国宝になっています。

「狼皮のスイーツマン」氏の郷里がこの白水村の近辺なのです。今回の帰郷の間に、

「白水物語」の(6)と(7)を書いて公開しています。

奥州藤原3代の平泉文化が白水村へ流れ、そして後の時代に常磐炭鉱が隆盛をきわめ、やがて衰退して行く。そして近年は「常磐ハワイアンセンター」としてフラダンスで不死鳥のように生き返る。

そのような地方の歴史を描きながら、それが伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」へ繋がっていくのです。そのダイナミックな歴史と住んでいる人々の哀歓が偲ばれます。奥が深くて、しみじみとした世界です。「狼皮のスイーツマン」氏の世界を是非、お楽しみ下さい。

=====白水物語(6)の抜粋====================

徳姫は、難儀する領民たちのために、当時としてはハイテク技術でしかも資金のいる大きな橋を建ててやりました。これが、今に伝わる「尼子橋」で、長さ百五十間、幅二間というものでした。尼子とは徳姫をさします。尼子橋を祝福し讃辞を送った人には、江戸時代の松尾芭蕉もいて、.
 ──みちのくの 尼子の橋や 稲の上
 という句を残しています。この一句は、橋の完成を祝福したのは人間ばかりではなく商業の神である稲荷大明神までもが眷属を遣わして祝福したのだという伝承を俳句にしたものです。眷属は、老翁老姥と子女十二名が、衣冠装束に烏帽子姿で現れ、橋の開通式典の先頭を切って、笛や太鼓で舞い踊り、.
 ──千代は泊まるともこの橋の、御代ながながと末長く、尼子の橋
 と万歳のはやしを唱い、橋を渡りきったところで、ふっ、と消えたのだとか。
 この人は、とても長生きします。一一六〇年(永暦元年)九十七歳のとき夢枕に御仏があらわれ、「三方を山に囲まれ、南に川が東流する祝福の地」に徳姫を案内します。喜んだ徳姫は、早速この地に、毛越寺の浄土庭園と金色堂にならった阿弥陀堂ほかの大伽藍からなる白水寺を築かせ則道公の菩提を弔うとともに、風水的に根拠地物見が丘の守護する南池としたといいます。白水寺は始め天台宗でしたが、現在は真言宗となって願成寺と名を改めます。岩城氏の根拠地である平は、平泉の平という字にあやかったもので、白水という字は平泉の泉という字を二つに割ったものだ──という説があります。

==========以下省略==========================

これで、福島県に以前、何故、平市という町があったか理解できますね。(終わり)


ガンになって始めて心の眼が開きました

2009年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

目に見えないものしか信じない。人様の言うことは信じない。体験したことだけを信じる。自分で考え出したことだけを信じる。これがガンになるまでの生き方でした。

ガン摘出の手術を受けて、この考えの偏狭さに気がつきました。人間の眼は顔についている二つの他に、「心の眼」があることを発見しました。偏狭さを捨て、心の眼で見ると他人の愛が見えるのです。いろいろなものが歴然と見えるようになります。

今日はその一つ、他人から頂いたものの大きな贈り物をご紹介します。少し混み入ったストーリなので結論をさきに書きます:山本大二郎さんという人から神父様を独り頂いたという話です。この大きな贈り物に昨日まで10年間も気がつかなかったのです。心の眼で見て始めて判然と理解出来たことです。

皆様は神父様や牧師様と気楽に話ができますか?出来れば避けて通りたいと思いませんか?ウッカリ話しかけるとすぐ説教されそうです。なにか独特な臭さがあり好きになれません。10年前にカトリック小金井教会の主任司祭として来られた山本量太郎神父様とのお付き合いもそのような感じでした。日曜日のミサを司祭しますのでその前後に遠方から挨拶をする程度です。ウッカリ深い話になって日頃の恥ずかしい生活ぶりがバレルのが怖いので逃げ回って来ました。今回入院する前も逃げ回りましたので、ガンのことは話して居ませんでした。退院後、2週間ぶりに教会へ行きました。そうしたらミサの始まる前に山本神父様のほうから近づいて来て、「お帰りなさい、お元気そうで良かったですね。ブログを時々見ていましたので知っていましたよ」と言います。

この一言で私の心の眼が開きました。そうだこの神父様の父親の、山本大二郎さんという人がこの神父さんを私に贈ってくれたのです。他人の大きな愛が始めて鮮明に見えたのです。

仔細はこうです。1971年前、カトリック立川教会で塚本金明神父様から洗礼を受けるとき「父親がわり」(代父、ゴッドファーザー)をしてくれたのが山本大二郎さんでした。

その息子さんが現在、小金井教会の司祭をしている山本量太郎神父様です。神父様は当時、神学生として立川教会にもよく遊びに来ていました。神父に叙階され、何年かして偶然小金井教会に赴任してきたのです。とても嬉しかったのですが、それだけのことでした。しかしそれは、それ以上の意味があったのです。亡くなってしまった父親がわりの山本大二郎さんが神父になった息子を10年前に贈ってくれたのです。その事に10年間気がつきませんでした。心の眼が開いて初めてこの大きな贈り物に気がつきました。

山本大二郎さんはある有名大学の化学の教授でした。毎年、多摩の草花の写真入りの年賀状をくれましたが、20年以上お会いしたこともない疎遠な間柄でした。

愚かな私はガンになって始めて心の眼が開き、この大きな贈り物が見えたのです。確信できたのです。山本大二郎さん、有難う御座いました。

今日は、皆様の心の眼がますますはっきり見えるようになることをお祈り申し上げます。         藤山杜人

(今日の挿絵は昨日、霞が浦でフォト子さんが撮影し、ご提供下さいました写真です。http://smcb.jp/_tas02?taid=583713066&ty=m。お楽しみ下さい!フォト子さん、有難う!)

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