「狼皮のスイーツマン」氏が伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」というミステリー作品を発表しています。お許しを得て、7月18日のこのブログ記事でご紹介しました。
1920年頃から1930年頃の上海に住んでいる色々な国籍の人々。当時新しく登場した空に浮かぶ船・飛行船の旅、アールヌーボーの内装、そして飛行船内で起きる殺人事件。ミステリー小説ですが登場人物の人間性を丁寧に描き上げた小説です。それに第一次世界大戦と第二次大戦の間に咲いた上海文化の見事な記述。色々な視点からも興味深い作品です。(http://r24eaonh.blog35.fc2.com/)
さてこのミステリーの主役の伯爵令嬢のモデルは居るのでしょうか?メールで著者にききましたところ、もう一つのブログのURLを教えてくれました。
「狼の皮を被ったスイーツマンー私のノート」というブログです。(http://okoshi13.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10102668/index.html)
伯爵令嬢のモデルの1人は白水阿弥陀堂を建てた貴婦人、徳姫です、と教えてくれました。
福島県太平洋岸の「いわき市」に昔、常磐炭鉱があり、その付近に白水村があったそうです。
その村に奥州藤原3代につながる徳姫という貴婦人がいて、夫の死後、現在のいわき市のそばの白水村に住み、地域の住民を愛し、夫の冥福を祈るため阿弥陀堂を建てたのです。
この阿弥陀堂は藤原3代の平泉文化の優雅な庭をもっていたことも遺跡調査から分かっています。阿弥陀堂は優美な平安時代の建造物として、現在国宝になっています。
「狼皮のスイーツマン」氏の郷里がこの白水村の近辺なのです。今回の帰郷の間に、
「白水物語」の(6)と(7)を書いて公開しています。
奥州藤原3代の平泉文化が白水村へ流れ、そして後の時代に常磐炭鉱が隆盛をきわめ、やがて衰退して行く。そして近年は「常磐ハワイアンセンター」としてフラダンスで不死鳥のように生き返る。
そのような地方の歴史を描きながら、それが伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」へ繋がっていくのです。そのダイナミックな歴史と住んでいる人々の哀歓が偲ばれます。奥が深くて、しみじみとした世界です。「狼皮のスイーツマン」氏の世界を是非、お楽しみ下さい。
=====白水物語(6)の抜粋====================
徳姫は、難儀する領民たちのために、当時としてはハイテク技術でしかも資金のいる大きな橋を建ててやりました。これが、今に伝わる「尼子橋」で、長さ百五十間、幅二間というものでした。尼子とは徳姫をさします。尼子橋を祝福し讃辞を送った人には、江戸時代の松尾芭蕉もいて、.
──みちのくの 尼子の橋や 稲の上
という句を残しています。この一句は、橋の完成を祝福したのは人間ばかりではなく商業の神である稲荷大明神までもが眷属を遣わして祝福したのだという伝承を俳句にしたものです。眷属は、老翁老姥と子女十二名が、衣冠装束に烏帽子姿で現れ、橋の開通式典の先頭を切って、笛や太鼓で舞い踊り、.
──千代は泊まるともこの橋の、御代ながながと末長く、尼子の橋
と万歳のはやしを唱い、橋を渡りきったところで、ふっ、と消えたのだとか。
この人は、とても長生きします。一一六〇年(永暦元年)九十七歳のとき夢枕に御仏があらわれ、「三方を山に囲まれ、南に川が東流する祝福の地」に徳姫を案内します。喜んだ徳姫は、早速この地に、毛越寺の浄土庭園と金色堂にならった阿弥陀堂ほかの大伽藍からなる白水寺を築かせ則道公の菩提を弔うとともに、風水的に根拠地物見が丘の守護する南池としたといいます。白水寺は始め天台宗でしたが、現在は真言宗となって願成寺と名を改めます。岩城氏の根拠地である平は、平泉の平という字にあやかったもので、白水という字は平泉の泉という字を二つに割ったものだ──という説があります。
==========以下省略==========================
これで、福島県に以前、何故、平市という町があったか理解できますね。(終わり)