後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

毒ギョーザ、偽ブランド商品、環境破壊、それでも中国を好きになれますか?

2009年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、ウイグル地域やチベット問題に関連して中国の国内の実態の一端を書きました。中国へ好意的な書き方です。それに対して、毒ギョーザ、偽ブランド商品、環境破壊、それでも中国を好きになれますか?というご批判が聞こえてくるような気がします。

そうです。私の意見は、それでも中国を好きになるように努力するのが良いという考えです。自分の心を豊かにするためにも良いという考えです。相手を嫌ったら、相手もこちらが嫌いになります。中国の経済発展が早く、やがては日本を追い越しそうです。軍事力も拡大の一方です。だから嫌いというのでは余りにも心が貧し過ぎます。

日本は韓国、台湾、中国、などまず近隣の国々としっかりした友好関係を築くのが第一に重要なことと信じています。そうしないと欧米諸国は日本を尊敬しないと思います。

相手の非を攻撃するのではなく、寛大な気持ちで対応するのが国家の品格ではないでしょうか?

話が飛びますが、御巣鷹山でボーイングの大型旅客機がアメリカの会社の整備が間違って墜落し、大参事になりました。この時、日本政府はアメリカ政府へ対して謝罪の要求をしませんでした。当然です。民間会社同士の契約の誠実さの問題に政府が介入しないのは当然です。

中国の毒ギョーザを輸出したのは一民間会社でした。それも日本人が憎いので起こした事件ではなく、会社へ怨みを持っていた元従業員が見境無く起こした事件のようでした。

中国の毒ギョーザの時には、日本の政府が執拗に中国政府へ謝罪を要求しました。「アメリカへは遠慮するが、中国へは高飛車な態度をとる」という日本人の卑屈さを見るようで、悲しい思いをしたのは私だけだったのでしょうか?

かつてニクソンショックというものがありました。中国の問題を日本政府と相談しないで、日本の頭越にニクソンが訪中し、勝手に友好条約を結んでしまったのです。慌てた田中首相はその後で日中友好条約を結んだのです。中国は日本の属国でないのですからアメリカが勝手に外交交渉をすのも自由です。日本が共産党中国と外交交渉をするのも自由だったのです。

どうも日本人の深層心理には中国を弟分に思いたい心理が現在でも脈々として流れているようで心配です。これは、私だけの誤解であることを祈って終わりとします。(終わり)


山林の中の小屋へ通じる淋しい道、本当に淋しい道です、そして漆黒の夜の怖さ

2009年08月30日 | 写真

日本の面積の8割は山々という話を聞いたことがあります。町を離れ、一歩林の中に踏み込むと道が延々と続いています。林はやがて昼なお暗い森となって何処までも続くのです。人気のない淋しい道を2Kmも登って行ったところに私の小屋が有ります。1974年に完成したので、既に35年通い続けたことになります。下の桜並木の舗装道路から未舗装の悪路に分け入り、2Kmも林の中を登ってゆくのです。

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なだらかな小山の上が平地になっていて質素な別荘が10棟ほど建っています。その一番低い所に小川が流れていて、その小川を境にして私の小屋が建っています。回りは大きな松林や、クヌギやコナラの雑木林です。「陸の絶海の孤島」のような場所です。別荘が10棟あっても普通は誰も泊まりにきていません。夜は人家の灯も見えず漆黒の闇です。

本当のことを言うと独りで泊まるのは怖いのです。窓には鉄製の鎧戸を閉め、金属製のドアに鍵をしっかりかけ、電灯を明るくともし、夜を過ごすのです。林の方で野鳥の叫び声が聞こえたり、枝の折れる音が響いたりします。薪ストーブを燃やしながら時を静かに過ごします。057

怖い思いをしながら眠って、次の日、朝日が明るく射してくるのを見たときほど嬉しいことはありません。生き返ったような気分なのです。顔を洗って、すぐ熱いコーヒーを淹れます。コーヒーの香りが漂い、生きていることの歓喜を味わうのです。

小屋に独りで泊まるのがそんなに怖いとは大げさ過ぎると思います。しかし私は生まれつき怖がり屋でした。その癖、怖い思いをするのが好きなのです。

時々、家内と一緒にに泊まりますが、怖さには変わりません。何が怖いのかは分かりませんが怖いのです。家内は怖くないと平気です。

この怖さこそが魅力で35年通い続けたのかも知れません。空気が新鮮で美味しい。自然がいっぱいで心も体も癒される。それは他人へ説明できる魅力です。分かりやすいので、よくそのように説明します。しかし本当の魅力は森の中の漆黒の夜の怖さなのです。

お分かり頂ければ嬉しく思います。(終わり)

   


貴方は何故中国を嫌うのですか?-マスコミが報道しないウイグル族やチベット問題―」

2009年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

平和的なデモを武力で鎮圧することは悪であり、非難すべきです。

中国政府がウイグル自治区やチベット自治区でデモを武力鎮圧しました。そのために、多くの日本人が中国を嫌いになっているようです。マスコミの報道が正しければ、75%の日本人が中国を好きでないと思っているそうです。しかし、漢民族が中国内のイスラム教徒やチベット仏教信者(ラマ教信者)を、現在でも大切に思い、共に仲良く暮らしてゆこうと努力しているのです。日本のマスコミはこのことを一切報道しません。アメリカの人権擁護団体のヒステリックな叫びを扇動的に報道しているだけです。何と軽率なマスコミの報道ぶりなのでしょう。そこで今日は私の見た中国国内の実態を報告します。

◎中国のイスラム教徒と漢族の食習慣

北京の大学へ行ったのは1981年から数年です。観光客の行かない学生食堂で学生と一緒によく食事をしました。中国の大学は原則として全員寮生活で、朝昼晩の三食は大きな学生食堂で取ります。料理の品数は少ないが美味しい北京料理です。食器は自分が寮から持ってくる琺瑯引きの鉄製のドンブリです。食べ終わったらまた寮へ持ち帰り自分で洗います。

よく見ると、隣にもう一つ広大な学生食堂があります。イスラム教信者(回族)の学生専用の食堂です。回族は豚肉を一切食べません。ラードでいためた料理もだめです。回教の定めに従った方法で殺した羊は食べます。一方、豚肉抜きの北京料理は考えられないので、異なるメニューの学生食堂が二つ必要になります。

また一歩外に出ると北京の街には回族食堂という看板を掲げた店が多いものです。白い布で髪の毛を隠した女や丸い帽子をかぶった男の回教徒が大勢歩いています。あるとき、中心街に近い大通りを、羊の大群が悠々と流れている光景を見て驚いたことがあります。独特の帽子をかぶった回族の羊飼いが一人ついています。だれも非難がましく見ません。回族の当然な権利なのです。ある季節になると北京の市内で羊の市が立つそうです。羊の群れは北京の風物詩でもあったのです。この光景は1985年頃まで続きました。高層ビルが林立する現在では見られない中国の風景でした。漢民族とイスラム教徒は仲良く混じって暮らしているのです。

宗教的戒律のない漢民族は、北京料理に飽きると回族食堂にはいります。漢族は羊に違和感を持たないのです。回族食堂では帽子をかぶったイスラム教徒も漢族も肩を並べて仲良く料理を楽しんでいるのです。共産党独裁の中国でも回族はその伝統的食習慣を守りながら悠々と生きているのです。この状態は中国の歴史とともに古い生活様式なのです。

      @北京の北、承徳にあるチベット仏教のポタラ宮

中国が歴史的にチベットを領有し保護した時代がありました。特に清朝の皇帝はチベット仏教を大切にして、ラサにあるポタラ宮と同じ寺を北京の北230Kmにある承徳の郊外に作ったのです。私も1981年に、この清朝の避暑山荘を訪問しました。郊外にある豪華絢爛たるラマ教寺院の壮大な規模に圧倒されました。当時は文化大革命で建物が徹底的に破壊されていましたが規模の大きさと崩れたレンガの華やかな装飾に圧倒されたのです。このような中国とチベットの歴史的な友好関係を無視して中国を一方的に非難するのは公平を欠くような気がします。

勿論、ダライ・ラマ氏は傑出した仏教徒です。しかし彼はチベットの独立を主張していません。自由な宗教活動を要求しているのです。中国政府が誠実にダライ・ラマ氏と話し合うことを祈っています。

承徳にあるチベット仏教のポタラ宮風の寺院は、現在、完全に復元され「世界遺産」として登録されているそうです。下にその写真を掲載します。写真の出典は、

承徳の避暑山荘:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%85%AB%E5%BB%9F です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人

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