後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

アメリカの占領政策として押しつけられた歴史観は間違い、しかし、、、

2009年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

マッカーサーが日本を統治していたのは昭和20年から26年までの6年間だけです。しかしその後も現在に至るまで「日米安保体制」と米軍基地の存在によって日本人の歴史教育はアメリカの立場に立った観点から編集した教科書が使用されてきました。戦前の日本は軍事独裁国家でアジアを侵略して植民地にしようとする悪い国家でした。と、繰り返し、繰り返し教わりました。しかしこのような歴史観は客観的に考えると酷く公平さに欠けていることは誰の目にも明らかです。当時の欧米諸国も武力で植民地争奪戦を執拗に行っていたのです。日本も反抗しなければ欧米の植民地になる可能性があったのです。

欧米が悪い事をしているのでそれを見習っただけで何故わるいのでしょうか?そうです、どちらも悪いのです。欧米が悪くて、日本が悪くない、というのは感情論なのです。

ここで私が強く主張したいのは「どちらが悪いか?」という議論を永久に封印すべきだ!ということです。そうしないと又戦争になります。

第二次世界大戦後は欧米も流石に反省して、西ヨーロッパでは戦後64年間戦争が無くなりました。ヨーロッパでは今後も大きな戦争は起きないでしょう。日本も同じく64年間戦争が無く、今後も永久に戦争がないような趨勢です。ヨーロッパ人は自分達の過ちを認めているのです。と、同時に日本の持っていた悪い意図や過ちも良く理解しているのです。悪い人は悪い他人の心が分かるのです。

後からの知恵で恐縮ですが、日本は樺太、朝鮮、台湾だけを防衛すれば独立を守れことが出来たと思います。満州を作り、さらに中国の桂林まで攻め込んだのは明らかに関東軍の独走で、やり過ぎでした。日本の権力者がそこで歯止めをかけられなかったのは慾と思い上がりがあったためです。大きな戦争が起きる場合には両方に悪い意図があるから起きるのです。正義の為とか、平和の為とか、ある宗教を守るためとか、言い訳はいくらでも出来ます。国連の「平和維持軍」にさえも、ある特定の国々の悪い意図が隠されていることが多いのです。昨日、このブログで、「20世紀、欧米人の2大失敗ー5500万人が犠牲になった第二次大戦と共産党独裁ソ連の成立は何故起きたか?」という記事を掲載しました。

コメントとして2人の方から下記のようなご意見を頂きました。おっしゃっている内容はどちらも正しい事です。しかし私の主張は自虐的になるのもいけませんし、感情的に欧米だけが悪いのだと主張するのも建設的でないということです。どんな意見を発表しても、感情的になって相手を非難したりしないということが一番重要なことと信じています。

感情論を出すと欧米人も反省の言葉を絶対に言いません。相互信頼が不可能になるのです。基本的に重要なことなので、敢えてまたこの問題を取り上げました。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)

===Yさんからのコメント=========

日本が先の戦争を起こし、本土決戦までやろうとした軍部独裁政権、大東亜共栄権と称して満州を中心にアジアを支配しようとした思想、戦線布告もなしにやった真珠湾攻撃、日本軍が大陸で犯した事件の数々、我々日本人もある意味ドイツと同じようなことをやってきたのではないかと思うこの頃です。

===Mさんからのコメント=========

全く歴史認識が違いますね、Yさん。日本が何故開戦に至ったかはロシアや欧米の覇権主義が原因であると重ねて私は断言いたします。英国のやったこと、ロシアの南下政策、そしてアメリカも着実に日本を攻撃する準備を重ねて、日本をけしかけていたんですよ。遡って歴史をみる必要があります。
ハルノートの経緯や欧米のかけひきがあったという事実を無視されるんですか?藤山さんの仰るとおり、欧米人の思い上がりなんですよ。どうしても日本を悪者扱いしたいんでしょうねぇ。(>_<)
たしかに日本も欧米を笑ったりこの戦争を正当化するのはよくありません。反省が必要です。しかし当時の状況が、植民地になるか欧米のように帝国主義になるかどちらかの選択しかなかったのです。
欧米の流れに巻き込まれていったのです。
藤山さんはすべての国が反省されることを仰っていますねぇ。感服いたします。それを日本だけ悪いよう考え方、欧米の非はなにも語らない方に憤りを感じます。

Yさんには示しましたが、藤山さんにも是非私が6年くらい前に書いた記事を新たに別のブログに書き直しました。
http://d.hatena.ne.jp/mizuki_ryou/
参考になるかご覧になってください。
これが「私の歴史認識の一部」です。

====終わ===============


「ネットの上で深い付き合いが出来る友人を作る方法―ベルリンの中村真人さんとの交友―」

2009年09月07日 | インポート

Clip_image001 ネットの上で深い交友関係を持つ秘訣をご紹介します。秘訣と言っても私の個人的な方法なのでご賛成を得られないかも知れません。皆様はどのようにして友人を探していらっしゃるでしょうか?

私はまず自分がどのような友人を求めているか?という問題を明確にします。写真の上手な友人を探す。文章の上手な友人を探す。ヨットの好きな友人を探す。山林の中の小屋に興味を持ってくれる友人を探す。こうして多くのかけがえのない友人が出来ました。

しかし今日は特別な友人をご紹介したいのです。それはヒットラーのユダヤ人殺戮へ対して人間として深い悲しみを持っている若い友人です。その為に随分と色々なブログを読みあさりました。昨年の暮れごろ偶然に、「ベルリン中央駅」と題するブログを書いている中村真人さんに巡り合えました。現在の横須賀市長と同じ高校の同学年だったといいますからまだ若い方です。

上の挿絵に使った写真は中村真人さんの撮った冬のベルリン風景です。

中村さんとはすぐに親しくなって、メールの交換もしました。以下は彼からのメールの一部です。私が何故アウシューヴィッツへ行ったのでしょうか?という問いへ対する返事です。

ーーーーー中村さんからのメールの一部ーーーーーーーーー

過去の人々、文化、歴史というものと現在の自分はどのようにつながっているのだろう、その接点を見出すことに興味を持つようになりました。
あの戦争は自分の世代が引き起こしたものではありませんが、親や祖父母など自分の身近な人々は直接関わり、場合によっては大きな苦しみを体験したのですから、他人事とは思えません。
アウシューヴィッツを訪れたのは、なぜこんなことが起こりえたのかを知りたいという興味、そして犠牲になったユダヤ人と同じ場所に身を置いて少しでも追悼したいという気持ちがあったからではないかと思います。ーーーーー以下略ーーーーー

E0038811_1318831_2 この一枚の写真も中村さんが撮りました。膝まづいて、一人の男が石畳を掘り起こしています。アウシューヴィッツで殺されたユダヤ人がかつて此処に住んで居たと彫り込んだ石をそこへ埋め込んでいるのです。 ベルリンに住んでいる中村真人さんが撮ったものです。

下の写真に写っている2個の石には1876年と1978年生まれの男女(たぶん夫婦)はここに1943年3月3日まで住んでいて、アウシュ-ヴィッツで殺されたと書いてあるのです。中村さんは、この事業を広く進めているキリスト教の牧師にあって詳しく取材をしています。

E0038811_63917101つまずきの石プロジェクト」は教会がイニシアチブを取ることが多いのだそうです。キリスト教会が第2次大戦中の強制収容所に送られたユダヤ人を救えなかったことに対して罪の意識を抱いていること。そして、昔から戸籍票は教区が管理しているという実務的な理由もあるそうです。犠牲者の遺族からつまずきの石を埋めてほしいという依頼を受けると、戸籍などから彼らが当時どこに住んでいて、その後どういう運命をたどったのかを調べます。実際に石を埋めるまで、半年から1年近くかかるそうです。つまずきの石プロジェクトが、募金のみで賄われているのです。詳しくは中村さんのブログ;

http://berlinhbf.exblog.jp/7370220/ に御座います。またユダヤ人の迫害に関する膨大な報告は、http://berlinhbf.exblog.jp/tags/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA/

に御座います。

尚、「ベルリン中央駅」で検索すると中村さんの内容豊富なブログ全体が楽しめます。

話題はベルリンの詳細な情報は勿論、ヨーロッパの文学、音楽、芸術、観光案内、随筆、など珠玉の作品群が並んでいます。ユダヤ人迫害のような暗い話題だけでないので是非お楽しみ下さい。

さて皆様はネットの上で深い付き合いの出来る友人をどのようにして探していらっしゃるでしょうか? お知らせ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。   藤山杜人