左の写真の石塔の基部には高さ9cm直径8cmの水晶の壺が埋めてあり、玄奘三蔵法師の頂骨が入っているという。埼玉県にある慈恩寺が建てた塔である。しかし、遺骨が三蔵法師のものという学問的な証明がされていない。その可能性を完全に否定は出来ないが、本物でない可能性が大きい。まあ、これが常識的な理解です。学問的に証明されないので偽物と思う人々も多いに違いない。ところで分骨を願い出て、受け取った奈良の薬師寺のHPには三蔵法師の遺骨についての紹介が一切ない。学問的に証明されていなので慎重を期して紹介していないものと推察される。
話は変わりますが私はカトリックの信者です。従って新約聖書に書かれているイエス・キリストの行った奇蹟は全て信じています。学問的には不合理な現象ばかりです。この学問的に起きえないと証明される現象でも聖書に書いてある奇蹟は信じています。この体験から埼玉県にある三蔵法師の遺骨を本物と信じている仏教徒も多いに違いないと思います。自分で自分を賢いと思いこんでいる知識人が、「そんな物は偽物だから信じるのは止めなさい」と言いそうです。賢いということは他人へ賢げに忠告することではなく、何故、本物と信じている人々が居るのかを深く考えることです。他人を批難するのではなく理解する努力をすることです。それが人間の賢さの源と信じています。
先日、岩槻の慈恩寺を訪問して少し調べてみました。第50世住職の見道さんと51世の見順さんの2人の仏教徒としての情熱に圧倒されました。仏教連盟の幹部を説き伏せて遺骨を慈恩寺へ迎え、東武鉄道の社長にお願いをして13重の石塔を建てたのです。自分たちだけの所有物では無い、日本の仏教徒の宝としています。寺から1kmも離れた別の土地に建てたのです。この2代の住職様は遺骨を100%本物と信じていたのです。南京から埼玉県へ来る紆余曲折を読んでみると親子2代の三蔵法師へ対する敬慕と信仰の厚さに驚きます。それを知ると、私のカトリックの信仰も一層強くなります。
慈恩寺は824年に長安へ留学した慈覚大師が開山しました。三蔵法師の経典の翻訳事業に使った長安の大慈恩寺にちなんで慈恩寺という名前にしたと伝えられています。
左の写真は824年以来の歴代の住職のお墓です。勿論824年の墓石ではなく江戸時代に改修復した墓石のようです。
この写真の右のお墓が50代目住職の見道さんのお墓で、左のお墓が51代目住職の見順さんのお墓です。
この2人の生涯の大きな仕事は三蔵法師の遺骨を南京から埼玉県へ持ってきて、立派な玄奘塔を建てることでした。仏教徒として幸多い一生と思います。彼らにとっては学問よりも信仰が重要だったのです。そのような人生もあることを皆様へご紹介したいと思います。(続く)