後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

玄奘三蔵法師の遺骨へ対する信仰心の美しさと関東軍と政治家の思惑ー南京占領下で起きた人間ドラマー

2009年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

019 御釈迦さまは死は空である。お墓を作るな。仏像も作るな。偶像崇拝はしてはいけないと言い残して死んで行ったのです。そのお釈迦様を尊敬し1000年以上たってから玄奘三蔵法師がインドへ17年も滞在し膨大な数の経典を唐に持ち帰り漢文へ翻訳したのです。玄奘も死ぬ時、墓を作るなと言って死んだに違いありません。ですから遺骨は長安の東の郊外の白鹿原に葬られ、664年に風栖原へ改葬されたのです。しかし残った人々がお釈迦様の教えに背いて、669年には玄奘の遺骨を葬るために現在の西安市の南20kmの所に興教寺を建て、寺の中に5層の仏舎利塔を作り、その根元に改葬しました。

仏教の本来の教えでは遺骨やお墓にこだわるのはいけない事と思います。しかし凡俗な私は玄奘の遺骨にこだわりたいのです。彼は単なる宗教家ではありません。類まれな探検家、旅行家、文化人類学者です。不撓不屈の精神の持ち主だったのです。私はそのような彼を心底から尊敬しています。その人の遺骨が埼玉県の慈恩寺に有るのですから興奮せざるお得ません。しかしその真贋を学問的に考察すると、本物だという証明が弱すぎるようです。そのことはこのブログの9月15日に掲載した記事で説明致しました。記事の題目は「埼玉県、岩槻の慈恩寺にある玄奘三蔵法師の遺骨に関する一考察」です。

さてこの遺骨を発見したのが昭和17年に南京を占領していた関東軍の高森部隊でした。部隊長は金沢出身の高森隆介氏であったといいます。高森部隊長は日中両国の専門家に鑑定を依頼したのです。その結果、前述のように玄奘三蔵法師の頂骨であるとされたのです。(9月15日の記事参照)。

発見の翌年の昭和18年の2月に、関東軍は遺骨と副葬品一式を中国側の南京政府へ返したのです。南京政府は日本の傀儡政府で、蒋介石の政府は重慶にありました。南京政府は壮大な奉迎式典を開催し、昭和19年には南京市の玄武山に玄奘塔を建てます。この塔の建設発起人は南京政府の外務大臣の緒民誼と日本の駐支大使の重光葵がなっています。そして完成した10月に盛大な式典が挙行され、その折に分骨され(南京政府の)日中友好の証として日本仏教連合会へ贈呈されたのです。東京の増上寺に安置された遺骨が埼玉県の慈恩寺へ移動した経緯は9月15日の記事で詳細に書きました。

玄奘三蔵法師の遺骨の一部というものが埼玉県の慈恩寺の玄奘塔に祀られる間には、第二次大戦中の日本の軍隊と南京政府、そして日本の駐支大使館が深く関係した経緯があったのです。

唐の西安かた遺骨の一部を南京へ持って来た演化大師とその弟子たち。そして埼玉の慈恩寺の大嶋見道住職と見順住職の父子などの信仰の美しさに私は感動を覚えます。

しかし関東軍や南京政府、そして日本の駐支大使館(日本政府)の不純な政治的思惑が見え隠れしてゐるようで暗い気持ちになります。戦後、台湾へ退却した蒋介石へ遺骨の返還を申し出たが返すに及ばないと言われてという話も伝わっています。

遺骨の真贋と日本軍による発見は学問的には関係がありませんが、なにか一抹の不安が残ります。きっと当時は色々な人間ドラマが繰り広げられたのでしょう。日本軍の北京進駐とともに「北京原人の頭蓋骨」が行方不明になったことを連想させるので一層不安になるのでしょうか? 臭いものに蓋をしないで埼玉の玄奘三蔵法師の遺骨にもっと真摯な学問的研究がなされることを切望しています。これは私だけの感じ方でしょうか?皆様はいかがお考えでほうか?(終わり)


ブログを書いて不愉快な思いをしないで、大いに楽しむための秘訣

2009年09月27日 | うんちく・小ネタ

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(この挿絵の出典:ことめのHP: http://www.ac.auone-net.jp/~kotome/

ブログを書いていると不愉快なコメントを連続的に貰ってショックを受けたり、人間が嫌になりブログを止めてしまう人々が居るといいます。現実に私もネット生活が嫌になり止めてしまった人を知っています。ところが、私は2年間のブログ体験の中で不愉快なコメントを貰った経験はほんの少数で、圧倒的多数のコメントは愉快なものばかりです。元気が出ます。勇気づけられます。人間が好きになります。手術入院の時などは手術の怖さが和らぎました。結果的に言えば、「ブログ生活は愉快で楽しい」と言えます。そうでなければ飽きやすい私が、毎日ブログを書きながら2年間も続かなかったと思います。

ブログを大いに楽しむために、私は初めから心がけていることがあります。秘訣といえるかも知れません。その幾つかを書いてみます。

(1)まず内容が一番重要です。読んでくれる人の心が安らぎ、明るい気分になり、元気になるような内容の文章や写真を掲載します。人生を暗く感じさせるような内容のものは一切出しません。

(2)色々な外国や宗教の体験的な話を書いて、人間に共通な善い性格を説明します。共通でない悪い考え方は書かなくとも想像して頂けます。国籍や宗教の違いによる対抗心を自然に消えるような書き方をします。

(3)ブログでは敬語や丁寧語を使います。読んでくれる人々を尊敬しているのです。ですから自然に敬語が出てきます。しかしコメントを下さる方が丁寧な言葉を使はなくても気分を害されないようにしています。それはその方の言語能力の問題であり、自分の問題ではないのです。

(4)ブログ世界やその他のネット社会ではお互いに容姿が見えません。人間の悪い側面も見えません。従って、私は全ての人は人格者と仮定してお付き合いをします。全ての男性は美男子であり、全ての女性は素晴らしい美人と想定してお付き合いをします。当然、敬語や丁寧語が自然に出て参ります。実社会ではないので、そうのように仮定してお付き合いをしても自分に害はありません。

(5)掲載する文章や写真の内容を重視するあまり、美しい文章や上手な写真にするところまで手が届きません。そこで他のブログを書いている方々へ御願いして写真や絵画の転載をさせて頂いています。そうするとこのブログも華やかに飾ることが出来ます。今日の挿絵の白鳥の飛んでいるイラストも虹河琴女(にじかわ ことめ)さんのお許しを得て、使わせて頂いています。

(6)以上のように心がけて居ても、たまには実に不愉快千万なコメントが来ることがあります。その対策としてコメントは自動公開にしないで必ず自分の承認の後に公開する方法を取ります。その上、ここが重要なポイントですが、不愉快なコメントは即刻削除して忘れることにします。世の中には色々な人が居るものです。と軽く受けて、引きずらないことが肝要です。不愉快なコメントに対しては即刻、断固とした処置を取ります。連続するようなら法律的措置をとる決心が大切です。

このような心がけを私は2人の別々のアメリカ人から学びました。2人とはメールの交換だけで別々の仕事をしました。私を褒め、勇気づける内容のメールを即刻寄こします。多彩な内容のメールでした。こちらも本気になって徹底的に調べ上げメールで報告しました。アメリカ人は容姿、国籍、宗教の違う人間をメールだけで本気で働かせることが出来るのです。一歩進んだネット社会を見る思いでした。その内容はこのブログで別の記事としてご紹介しました。ウオルフ博士とマリア・ソコラッテー先生とのことです。

今日も皆様のご健康と、楽しいネット生活をお祈り申し上げます。 藤山杜人