後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

南国、タイ、チェンマイ市の鮮明な風景写真をお楽しみ下さい

2009年09月19日 | インポート

ネット上の友人にGAKUさんという方がいます。ご夫婦で2008年5月から猫と共にタイのチェンマイ市に住んでいます。悠々自適の境地です。以前からGAKUさんがタイの人々を愛し、チェンマイの風土、人情を好意的に書いた文章に心を癒されてきました。チェンマイの写真も南国のみずみずしい感じが良く出ています。何故かとても新鮮な生活、質の高い人生を続けている様子です。

今回は、そのような感じの写真を数枚、GAKUさんのブログから転載させて頂きました。転載の許可は昨日、快く頂きました。

ブログは、「WOOたんのチェンマイ通信」(http://gaku404.exblog.jp/ )です。

他にチェンマイ観光を動画で紹介したコマーシャライザー、WOOたんのチェンマイ紹介」http://cmizer.com/movie/10276もどうぞ。

下の写真は緑多いチェンマイ市の街の風景です。他の写真は愛猫の写真、市場の新鮮な野菜の写真、タイの仏教寺院の写真、花の写真などです。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。尚、GAKUさんのブログを開けて、心温まる文章も是非お読みください。(続く)

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昭和記念公園のコスモス畑の写真をお楽しみ下さい

2009年09月19日 | 写真

今日は秋風の吹く涼しい曇り日でした。車で40分程の立川基地跡に出来た昭和記念公園へ行きました。家内と自転車を借りて3時間ほどサイクリングしました。コスモス祭りで、丁度満開でした。家内が撮った写真なので上手ではありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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若者が敬語を使わないと非難するが、若者を深く考えよう!

2009年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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敬語や丁寧語は何故重要なのでしょうか?深く考える手掛かりとして、若い人のブログを丁寧に読んで考えてみました。皆様もぜひご覧になって若い人々の言葉の使い方を好意的に理解することをお勧め致します。

ちびたさんのブログ、 http://chibita.blog.tsuge.jp/ を開けて、試しに1年前の記事(2008年7月15日)を読みました。さらに、それに対する16人からのコメントの日本語を再度、丁寧に読みなおして見ました。さらに、16人の人々のブログも開けて、使われている日本語を精読して見ました。最近の記事も2つ、3つ読んでみました。若者特有の言葉使いは1年前も現在も変わっていません。

そこで以下に私の感想を述べます。

成る程、敬語も丁寧語も、一切使われて居ません。(小生のブログでは敬語・丁寧語をたくさん使います。) しかし、ちびた さんも、それにコメントする人々も全員が実に礼儀正しい会話をしています。

相手の気持を傷つけないように、そして、さりげなく勇気づけ合っています。ブログの上での会話には友情すら感じられます。その友情はこの世の利害とは一切関係のない、清明な水の交わりです。上の掲げた挿絵の写真の風景のような心境で会話を楽しんでいます。( 写真は2008年4月24日の記事で使った月ヶ瀬公園の写真です。)

使われている言葉は、親しい人と話しているように「くだけて」います。が、下品ではありません。16人のプロフィールを調べると年齢は20歳から50位で、色々なようです。

主婦専門の人も居れば、毎日通勤している人々もいるようです。忙しい人々もブログを書いているのかも知れません。

今回、言いたいことは、敬語・丁寧語の一切使わない日本語も、礼儀正しさがあれば、「不愉快な感じ」がしない。と、いう事です。

結論を言えば、ブログ文化圏に居る若者の間では、敬語・敬称を使わないのが原則です。例外はありますが。もう一つの若い人のブログを見てみましょう。hisami さんの「海と酒と美味しい物」というブログです。(http://hello.ap.teacup.com/inthesea/ )

hisami さんへ何故、敬語を使わないのですか?と聞いて見ました。

hisami さんからのご返事を前半分と後半分に分離して分析します。すると2つの理由からと分かりました!

(1)ブログでは相手の年齢・立場が一切不明なので敬語は使わない。

(2)老人でもよく考えて見ると尊敬出来ない人がいるので老人へ敬語を使うときは尊敬できる人と判断してから使う。

筆者は73歳の老人男性です。上の二つの理由は論理的に考えると実に合理的です。このコメントを頂いてから深く考え込んでしまいました。そうか!若者は敬語というものを論理的に考えて、自分が納得出来なければ敬語・敬称は一切使わない。その合理性に感動するとともに吃驚しました。これはこれで一つの考え方です。非難すべきではないと思います。

老人の自分は、

(1)相手の年齢・立場が不明の時は、とりあえず敬語を使う。

(2)年上や初対面の人へは形式的に敬語を使う。尊敬できるか否かは考えない。

言語表現の合理性をある程度犠牲にして、日本語を使う。それが伝統的な日本文化だから。敬語・敬称を適切に使った日本語が美しく感じるから使う。自分の国の言語を美しい状態で子孫へ残したいからと思う。

しかし若い人々がそのように感じないなら、それは仕方の無いことで、強制はしないほうが良いのです(強制すると自分がイライラします)。

この現象は人は皆平等に取り扱うべきという根本的な考えに影響を受けているのかも知れません。若者へ影響の大きいアメリカではどんな偉い人でも始めからファーストネームで呼び合い、絶対に部長とか先生とかいう尊称を使わない文化になっています。幼児でも青年でも老人でも、トムは差別なくトムと呼びますし、バーバラは小学生でも大臣の奥さんでも同じようにバーバラと呼びます。

日本のネット社会では、奇妙なハンドルネームを使い本人の偉さは無視して完全に平等に考えて意見の交換をしています。敬語の無い日本語の裏には新しい異質の文化が潜んでいます。ですから若者を軽々しく非難しても変化しないのは色々な深い理由があるのでしょう。

(尚、上記の、hisami さんから、ブログでも相手によっては、実社会と同じように、敬語と丁寧語を使いますという、補足的なコメントを後に頂きました。)

さてさて老人の方々はどうのようにお考えでしょうか?御意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。   藤山杜人