少年の頃、西遊記に夢中になった時期がありました。映画も何度か見ました。孫悟空や、沙悟浄や、猪八戒の目覚ましい活躍も面白いが、三蔵法師の柔和な優しい笑顔が好きになってしまったのです。孫悟空が悪い事をしても何時も優しく許している。お釈迦様とはこんな人だったのかも知れない。青年になって、何となく三蔵法師が懐かしくなり、色々な本を読みました。17年間におよぶインドへの旅と西安に帰ったあと19年間の経典の翻訳事業に圧倒されました。三蔵法師は根気が良く、知的に優れているだけでは無いのです。慈悲の心が体中に漲り、どんな人でも優しく包み込む雰囲気を持っていたと信じています。そうでなければ、初めて訪れる西域の各地で大歓迎される筈がない。1980年代に2度、西安に行き、三蔵法師の出入りした大雅塔に登り、深い感慨にふけったこともあります。訪問する機会を逸しましたが、西安にある興安寺の唐三蔵塔の下には遺骨が祀ってあるということです。
その後20余年の年月の流れました。昨日、偶然にも三蔵法師の遺骨が分骨され日本にもあることを知ったのです。しみじみとした嬉しさが体中に広がっています。埼玉県の岩槻の慈恩寺の13重の塔の下に眠っているのです。地図も調べ、すぐに訪問する心算です。昨日、何故、三蔵法師の遺骨が日本へ渡ってきたかという経緯を記事にしてこのブログで紹介しました。お読み頂ければ嬉しく思います。
何故、老年になった現在、三蔵法師にまた会えたのでしょうか?それはブログを書いていたお陰です。
書く話題に窮し、近所の深大寺の門前蕎麦の取材をしに行きました。ついでに深大寺にお参りし、その歴史を読んでみました。西暦633年、満功上人が創建したそうです。そのとき、三蔵法師のインドへの旅の途中で、流砂河を渡るのを助けた深沙大王を祀ったと書いてあります。三蔵法師の弟子がはじめた法相宗のお寺だったとも書いてあります。
お寺の縁起書には西遊記のことが一切書いてありません。西遊記な明時代の娯楽物語です。関係ありません。しかし私は素人の直感で、深沙大王は沙悟浄のモデルになった人物と分かりました。あとで西遊記を検索して調べましたが、この直感が正しいことが明記してありました。
昨日もう一度深大寺を訪問し、深沙大王が祀ってある深沙大王堂の写真を撮って来ました。昨日のこのブログの深大寺の紹介記事のトップに深沙大王堂の写真を掲載しました。言ってみれば沙悟浄のモデルが祀ってあるお堂です。ご覧頂ければ嬉しく思います。
沙悟浄のモデルが祀ってあるお堂があるので、とたんに愛着が出て来ました。家内に沢山写真を撮るように頼みました。下に詰らない写真かも知れませんが、「沙悟浄ゆかりのお寺」の近所の風景写真としてお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。