毎年、毎年、日本から外国へ多くの観光客が出かけて行きます。美しい風景を楽しみ、美味しいものを食べ、買物をして帰ってきます。観光旅行は楽しいものです。それも良いのですが、観光客は案外、外国の人々へ関心が無いものです。人間が好きではないのでしょうか?
一昨日ご紹介した中村真人さんの「ベルリン中央駅」というブログもそうです。ベルリンの市井に住んでいる庶民を愛し、その生活の喜びや悲しみを描いています。今日はネパールのカトマンズに住んでいる、ひかるのさん のブログから「カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い」と題する6月23日の掲載記事をご紹介します。
転載の許可は7月に頂きましたが、何かとても痛々しい写真と記事内容なので、どのような形でご紹介すべきか2ケ月ほど考えました。ひかるのさんは、この盲目の物乞いの女とその子供と夫の3人を大切に思っているのです。温かい人間愛で見守っているのです。そこで文章をそのまま転載しご紹介する決心がつきました。この記事に付いていた写真は皆様にとってショックが大き過ぎると思い付近の風景写真に変えました。下のひかるのさんの 文章を読んだあとでURLをクリックして原文についた写真をご覧下さい。原文と関連写真のURLは本文の末尾にあります。
===「カトマンズ バグマティ橋の上の盲目の物乞い」===
バグマティ川の上に架かるカトマンズとパタンを結ぶバグマティ橋の歩道の中間あたりで一人の盲目の女性の物乞いをよく見かける。以前は 自転車でこの橋を行き来することは多かったので、あまり関心を持つことはなかった。
この橋の上で物乞いを始めてもう4,5年、いや、それ以上になるかもしれない。
この2年ばかり、この橋を歩いて渡る機会が多くなり、どうしても幼子を抱えて、物乞いをするこの女性の方に目がいってしまう。2年ばかり前、この橋のすぐ下のバグマティ川上流にある河川敷にスラムが出来始めた頃に、どんな様子なのか 河川敷に降り立ったことがあった。
当時はまだ、ビニール張りのバラックも少なく、ここに住み着こうとする人たちは地面を均し、バラックを建てている最中だった。その人たちの中にこの盲目の物乞いの女性がいたのである。その人たちの中にあって、静かで控えめな態度には好感が持てた。抱えていた赤子はまだ生まれて間もないようで、盲目の母親の下では痛々しい気にもなったものだ。あれから2年が経った。
小さな生まれたばかりだった赤子もいつの間にか元気に育ち、自分で立って歩き回るまでになっている。時折、このスラムの中に入っていくと、スラムの入り口近くにある彼女の家の前で彼女の夫らしい人間に会うことがある。
彼女の夫も目が不自由でいつも不機嫌な様子で何かにつけて彼女を怒鳴りつけている姿を見かける。彼女はいつものことといった様子で柳に風といった具合に声を荒げることもなく、上手に夫をあしらっている。
勝手知りたる我が家といった具合に眼が見えなくても水を運んだり、家の雑用を器用にこなしている。その動きを見ていると 意外と彼女の聡明な一面が見えてくる。
インドからカトマンズにやって来て物乞いを始めたのだろうが、荒れた様子もなく、子供に対する慈愛に満ちた表情も覗われる。橋の上に座って物乞いをしていても ひざの上に子供を抱え、声を出すこともなく静かに座っているだけだ。夫や子供にとっては、彼女の物乞いの収入だけが頼りであるに違いない。
午前中は 洗濯、雑用、食事の支度を済ませ、午後になると日課のように橋の上に座り込み、物乞いを始める。
彼女にとってはわがままな怠け者の夫であってもこの夫と、夫との間に出来た子供との三人暮らしは何ものにも増して大切なものであることがわかる。インドで盲目というハンディを持って生まれ、カトマンズで物乞いをしながら、家族を支えていくという生活、過酷な運命の中で掴んだ三人での暮らしは彼女にとっては最大の贈り物だったのかもしれない。
日本では盲目のピアニストが国際ピアノコンクールで優勝したことが話題になっている。この物乞いの女性も、もっと違った星の下に生まれれば、もっと違った人生が用意されていたのかもしれない。しかし、今彼女が掴んだ三人での暮らしは 幸福の大きさという意味では優勝したピアニストより大きなものかもしれない。彼女の子供が成長し、この女性の聡明さを受け継ぎ、両親を支える人間に育ってほしいと願うだけである。(終わり)原文と写真のURL:http://asiancloth.blog69.fc2.com/blog-date-200906.html
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人