日本人がヨーロッパの美術館へ行くと宗教画の多さに驚きます。
しかしその多くは藝術的でなく、単なる装飾的なものや物語の挿絵が多いのです。
つまらなく感じるのは自然ではないでしょうか?
しかし、宗教画を数多く見た後でルネッサンス以後の絵画や印象派の絵画を見ると一段と感動が深まります。
ところで宗教画の意味を説明したものがあります。オリエンス宗教研究所のHPの「聖書と典礼」をクリックすると、表紙の絵画の説明が出て来ます。URLは、http://www.oriens.or.jp/ です。
例えば今日の表紙の説明を一例として下に示します。
=======絵画の意味========================
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である(ヨハネ15・5より)
ぶどうの木と鳩
モザイク
ラヴェンナ サン・ヴィターレ教会 6世紀
イタリア、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂(548年5月献堂)の聖職者席の壁を飾るモザイク。
(前の部分は省略)
表紙に掲げたような鳩やぶどうが数多く描かれている。いずれも救いの歴史が導こうとしている恵みの象徴で、鳩はいうまでもなく聖霊、そして聖霊による一致と平和である。ぶどうに関しては、きょうの福音ヨハネ15章1‐8節からヒントを得てみよう。
ーーーー中略ーーーーーー
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」という言葉によって、キリストに結ばれ、永遠のいのちを受け継ぐことになる新しい神の民の誕生が宣言されていることがわかる。このような約束に信仰をもって応える人は、洗礼を受けてキリストとのつながりの中に加わり、ミサをとおして聖体の秘跡に養われ、神の民に約束されている実りに向かう。
このことを別な言い方で語るのが同じヨハネ15章5節である。「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」。ヨハネ6章の教えと通じていることにも注目したい。「わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(51節)。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(54節)。
「ぶどうの木」のたとえは、このように聖書全体に根を張っていて、そこに含まれる福音を凝縮している。サン・ヴィターレ教会のモザイクにも、そのような聖書全体への確かなまなざしがあることを味わいたい。
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他の宗教画の説明は、聖書と典礼の表紙のバックナンバーをクリックすると沢山出てきます。
10ケ、20ケの宗教画を見て行くと西洋の絵画の歴史が分かって興味深いと存じます。
簡単に言えば、ルネッサンス以前のヨーロッパの絵画はギリシャ神話やキリスト教の物語りのみを描いた絵だったのです。あるいは王様や貴族の依頼で肖像画も描きました。
しかし画家の自由な発想で自由に描くという歴史が無かったのです。あの有名なモナリザの絵の背景が一番初めての風景画だと言われています。
芸術家が芸術のために描くという考え方が無かったのlです。
そんな歴史が分かります。一度、ご覧になってみて下さい。(終り)