後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は気楽にフリー・メソジスト小金井教会の礼拝に行ってきました

2012年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは仏教のことや、キリスト教のいろいろな宗派のことを紹介してきました。

正しい紹介であったか否かは確信が持てません。ただ気楽に訪問したり、調べたりして、自分の感想を述べて来ただけです。

今日は近所の東京フリー・メソジスト教団の小金井教会の11時10分からの礼拝に出席して来ました。

この宗派のキリスト教はアメリカで発展したプロテスタントの教会の一つのようです。毎週カトリック小金井教会のミサに出ている私にとっては感想と言えば、どうしてもカトリックとの比較から書きたくなります。

まず楽しかったことは教会の雰囲気が如何にもアメリカ的に気さくで、親切で、堅苦しくないことです。

カトリックでは神父さんや助祭さんが立派な法衣を着て、白い服の侍者達をつれて祭壇の上に立ちます。聖職者と平信徒には厳然とした違いがあります。

フリー・メソジスト小金井教会では、みんなが平服です。壇上に立つのは司会の信者であって、牧師さんではありません。要するに牧師と信者の間には上下関係がありません。牧師は説教の時だけ壇上に現れるのです。非常に平等主義が徹底しているのに驚きます。

フリー・メソジスト小金井教会は戦後の荒廃の中で、1953年にアメリカ人の未亡人によって建てられました。エバ・B.ミリカン宣教師がその人です。

彼女によって種蒔かれた自由なキリスト教が東京に花を咲かせているのです。聖霊の助けを受けた日本人がフリ-メソジスト教会を広げ、伝承しているのです。

私は心楽しく一緒に聖歌を歌い、説教を聞きました。

今日の説教はタイのチェンマイに在住している日本人のため、現地のフリーメソジスト教会の牧師をしている野尻孝篤さんがなさいました。

イエス様によって悪い人々がどのように救われるか?神様は一人、一人をいかに深く愛しているか?そして聖霊は私達、個人、個人にどのように働きかけているか?

重厚な神学的な話に、分かり易い例え話をまじえてくれるので理解が容易なのです。名説教でした。

神と子(イエス)と聖霊の三位一体の話を実に分かり易く話してくれたのです。

説教の内容はカトリックと全く同じです。同じ聖書を使っているのですから当たり前の事ですが、何故か安心しました。

この後、カトリックではイエス様の体として聖なるパンを神父さんから貰うのです。しかしプロテシタント教会では、それは神秘主義的過ぎるとして省略します。

まあ、それも一つの考え方です。

最後に主任牧師の宮川浩二さんが事務連絡をしました。その始めに他の教会から今日だけ礼拝にきている数名の紹介がありました。私のこともカトリック小金井教会から来ましたと紹介があり、私は立ちあがって礼をしました。これこそアメリカ流です。カトリックでは決してこのように他教会の会員を紹介しません。

帰路、歩いていたら中年の女性が自転車で追い付いてきて話しかけます。「カトリックの人が自由に他の教会へ行って良いのですか?」と。私は同じキリスト教ですから、自由にして良いと思っていますと答えます。彼女はさらに、「私はまだ信者ではありません。ただ昔幼稚園がカトリックだったので聞いてみただけです」と言います。私はカトリックのミサの時間を教えて、「気楽に行って御覧なさい。幼稚園の頃の楽しい日々を思い出しますよ」と言って別れました。このような気楽な会話が出来るのが、いかにもアメリカ的なフリー・メソジスト教会の特徴の一例なのです。

それにしても礼拝の後で、主任牧師の宮川浩二さんがわざわざ時間をとって私に会って下さるというのです。しかし少し急ぐ用があった私は帰ってきてしまったのです。大変失礼なことをしたと後悔しています。でも牧師様は必ず許してくれます。イエス様が罪深い人々を許すのですから。(終り)

下に今日撮った写真をお送り致します。

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・上が主任牧師の宮川浩二さんです。

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・礼拝中の合唱隊による讃美歌。

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上がタイのチェンマイにあるフリーメソジスト教会から一時帰国している牧師の野尻孝篤さんの説教の場面です。

参考資料:

フリー・メソジスト教会の由来と日本伝道小史

自由メソジスト教会は、B.T.ロバーツが当時の北米メソジスト監督教会における自由主義神学的傾向にともなう聖会(聖霊によるきよめをもとめるために行う集会)の軽視、教会の有料座席制度、秘密結社との関わりなどについて批判し、同教会ジェネシー年会において除名され、総会への上告が認められなかったため、同志とともに独立し、聖書主義、福音的アルミニアンプロテスタント主義とともに座席の完全無料化、あらゆる差別からの自由を訴えた。信徒の誓約事項に、盟約により自由を拘束される結社に加入しないことが含まれている。「フリー」には自由のほか、「無料」の意味もこめられている。

日本における自由メソジストの伝道は北米総会外国伝道局宣教師柿原正次河辺貞吉らの淡路島伝道に始まる。河辺貞吉は当初、大阪東部メソヂスト教会(現・日本基督教団東梅田教会)との契約で淡路島全島トラクト配布と開拓伝道を展開していたが、柿原正次の要請によりともに自由メソジスト教会の働きにつき、1898年自由美以福良基督教会を設立。

1903年大阪で行われた第5内国勧業博覧会に際し会場で天幕伝道を行い、そこから道がついて現在の大阪日本橋キリスト教会に発展する。のちに聖書解釈問題で教会を去る西阪保治(文書伝道者、日曜学校教材の出版事業や「聖書大辞典」編纂で知られる)、馬場嘉市亀水松太郎(のち独立して現在の日本基督教団阿倍野教会・大道教会を開拓)河辺満甕らを輩出している。

初期から現在まで毎年新年聖会を開催するほか、関西聖会との関わりも深い。戦後、北米総会の引退牧師夫人エバ・B.ミリカンが宣教師として来日、自宅を開放して学生伝道を行ったが、信仰的に一致できなくなり、1958年に単立教会となる。ここから現在の東京フリー・メソジスト教会に発展する。

1960年代後半の70年安保闘争は大学紛争として各学園に吹き荒れ、神学校・キリスト教主義学校にもその波は押し寄せた。そのような中で1970年、日本自由メソヂスト教団総会が大阪万博靖国神社問題、大阪キリスト教短期大学の問題などをめぐり紛糾し、「自由メソヂスト変革委員会」を名乗る教職・信徒によって封鎖される。その後このいわゆる「教団問題」が長期化し、教団の再生とアルミニアンプロテスタント主義に立つことを願う諸教会は1984年に日本フリーメソジスト教団を結成した。現在、関西地区、関東地区、兵庫県などに27の教会・伝道所がある。


この美しい島々が米・中・日本の争いの舞台になっています!

2012年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

まず下のパラオの島々の美しい写真をお楽しみ下さい。

Palauaerial_2774_600x4501

・(出典はナショナル・ジオグラフィック社の写真集より)

Palaurockisland_2779_600x4501

このように平和な太平洋の島々へ中国が露骨な経済援助をしています。その援助金額は2009年に2億ドルに増大しています。中国が太平洋の覇権を取ろうとすれば、当然ながらパラオ、ミクロネシア、マーシャル諸島に海軍基地が必要になります。それを援護する戦闘機の離着陸出来る飛行場も必要です。

それはかつての日米で戦われ太平洋戦争の経過を見れは明明白白です。

このキナ臭い中国の進出に対抗して、日本は沖縄、名護市で「第6回太平洋・島サミット」を開催し、昨日、閉会しました。特に重要な変化は、今回から米国が参加し、米国が太平洋島嶼国への関与を強く打ち出したのです。その米国の新しい動きに日本とオーストラリアが緊密に協力することを約束したのです。

「第6回太平洋・島サミット」に参加した国は、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パプアニューギニア、キリバス、ツバル、サモア、クック諸島、ソロモン諸島、バヌアツ、フィジー、トンガなどです。

この「第6回太平洋・島サミット」の機会に日本はこの地域に今後3年間で、400億円の経済援助をする決定をしています。

下にこの太平洋・島サミットに参加した国の地図を示します。

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上の地域は第二次大戦で日本が負けるまで、「日本の依任統治領」として1920年から1945年まで領有していた地域だったのです。

75歳以上の日本人ならその地域は日本領を示す赤い色で描いた地図を学校で使っていたことを覚えているでしょう。

さて詳しいことは省略しますが現在この地域の島々には数多くの華僑が住んで、経済力を握っています。これらの華僑は以前は台湾と米国へなびいていたのです。しかし中国大陸との貿易が飛躍的に増大した現在は共産党国の中国へ魂を奪われているのです。

野田首相が「第6回太平洋・島サミット」を開催し、米国とオースラリアの協力を取り付けた事は非常に大きな外交上での得点です。野田さん、なかなかやるなと感心しました。しかし、太平洋の島々における華僑の勢力を考えると簡単な問題でなないと思います。

国会議員の選挙では外交は得票にならないと言います。地元の利益優先の選挙になりがちです。しかし日本の経済と安全は外交に大きく左右されるのです。

日本人の皆様がもっと、もっと、外交に関心を持つようにと祈っています。

それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)