後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

明治維新直後の廃仏毀釈の全国的被害状況の研究がありました

2012年05月14日 | インポート

先日、富士山の北口浅間神社の下のような写真を掲載しました。

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所が後で調べて分かったのですが、北口浅間神社は本来、浅間大菩薩を祀る神仏習合の宗教施設だったのです。

それが明治維新直後の廃仏毀釈で仏教関係の施設や文化遺産が徹底的いに破壊しつくしたのです。それは驚異的にも徹底した破壊活動でした。ですから上の写真は江戸時代の様子ではなかったのです。江戸時代にはもっと絢爛豪華な仏教的な建物が取り巻いていたのです。

そこで廃仏毀釈運動の全体像を調べ始めました。そうしたら構成も内容もしっかりした素晴らしい2つのブログへ行きつきました。

以下にその2つのブログのURLをご紹介して、その導入文の一部を転載させて頂きました。

初めのブログには参考文献も5編ついています。立派な研究報告書です。

====第一のブログ============

http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm

明治維新の神仏分離及びその行き着く先としてほとんど自明のことであった廃仏とは、一体何だったのだろうか、どういう思想でそれは行われたのだろうか、あるいはその主体は一体誰だったのか、そしてその破壊のエネルギーは 一時的であったにせよ、その源はいかなる訳なのか等々疑問に思います。
一般論としては、唯一神道家・平田派・後期水戸学などの影響を受けた後期国学者などの狂気であったことは分かりますが、なぜ一部神道家や国学者の狂気が一時的にせよ、全国に波及していったのか、結果的にはほとんど挫折したにせよ、なぜ その狂気が許されたのか、その具体的なところはどうだったのか云々については良く理解できていないというのが正直なところです。

 但馬帝釈寺(日光院)の神仏分離もある日突然、帝釈寺を襲った訳ではなく、その当時の大きな時代の奔流の中で、全国各地で行われたことの一コマであったと思われます。
一コマとは「大したことではない」という意味ではなく、「明治初頭の神仏分離政策とは、現象としては、千年とか何百年とかの連綿とした信仰や伝統や風習などがほとんど一瞬にして暴力的に破壊される 」というものであった。
寺院神社は勿論のこと、村々の小祠・辻堂までも破壊の対象となり得るものであったし、大なり小なり佛教的な存在は神仏分離という名の廃仏の影響を受けたと思われます。
但馬帝釈寺もその中の一つで、しかも寺院の消滅を宣告されるという「狂気の例」という意味です。
そこには、なんらかの政治・宗教的勢力があり、その勢力は何らかの政治・宗教的意図を持っていたはずです。
それゆえ、帝釈寺の神仏分離を考える前提として、一体誰が・何を目的として、どのような手法で行ったのかなどを、以下の著作から、探ってみました。

(A)「神道の思想 第2巻神祇制度編」梅田義彦、雄山閣、昭和49年
(B)「神々の明治維新」安丸良夫、岩波新書、1979
(C)「現代神道研究集成(三)」神道史研究編2、神社本庁、平成10年
(D)「現代神道研究集成(七)」神道思想研究編、神社本庁、平成11年
(E)「神仏分離の概観」辻善之助、「明治維新神仏分離資料」所収
    「<出雲>という思想」原武史、講談社学術文庫、1518、2001

結論的に云えば
 明治維新の神仏分離や廃仏毀釈の意味は単に神を仏から分離し、仏を廃するという意味ではなくて、記紀神話や延喜式神名帳に記された神々に歴代天皇や南北朝期の功臣を加え、要するに神話的にあるいは歴史的に皇統と国家の功臣を神とし、底辺に産土神を配し、それ以外の神仏は廃滅の対象とするというのがその意味であった。

======第二のブログ=========

http://www.plantatree.gr.jp/oragafuji/maps/list.cgi/itsuwa/arekore/?52

 徳川幕府が富士講を邪教視して、たびたび禁令を出してこれに規制を加えようとしたことはすでに記した。そうであれば、明治元年(一八六八)、明治維新によって徳川幕府が崩壊したことは、庶民たちの富士講にとっては歓迎すべき出来事であったかもしれなかったのだが、実際にはそのようには事は運ばなかった。
 明治初年のいわゆる「廃仏毀釈」によって、富士山にあった仏教系の要素、その文化財が壊滅的な打撃を受けたのである。富士山の本体は、それまで「浅間大菩薩」と呼ばれていて、浅間=富士の神と仏教の菩薩の合わさった、典型的な神仏習合の名称であった。明治政府は、神仏習合の典型的な呼称、「八幡大菩薩」を禁ずるとともに、富士山の「浅間大菩薩」という名称も禁止した。
 こうした廃仏毀釈の動きの中で、富士宮浅間神社の大宮司に、明治六年、平田篤胤(ひらたあつたね)の国学を信奉した薩摩出身の宍野半(ししのなかば 一八四四~八四)が就任し、強引とも言える廃物運動を富士全山で繰り広げることになる。富士吉田の浅間神社には、享保年間(一七一六~三六)に食行身禄を凌ぐような勢威を誇った江戸小伝馬町の富士行者、村上光清が寄進した仏教系の諸堂宇、護摩道や仁王門があったが、この廃仏の嵐(あらし)の中で破壊される。梵鐘(ぼんしょう)は胴の中に薪を詰めて火をつけて溶かし、打ち毀したという。仁王門の仁王の手足は鋸引きにしてバラバラにして焼き捨てられた。富士吉田浅間神社は、武田氏時代や江戸初期に建てられた神道系の社殿は今日も壮麗な姿をとどめているが、江戸後半期、富士講が最も栄えた頃の神仏習合的な境内の有様は、明治以後消失したのである。
 こうした富士山における廃仏毀釈時の仏像などの破壊、棄却は「山掃除」と呼ばれたほどに徹底的なもので、現在でも富士山の古い登山道沿いの山中からは、首のない観音像や大日如来、懸け仏などが、しばしば出土するという。
 廃仏毀釈において最も大きな打撃を被ったのは、修験道と関係の深い寺院であるが、富士山もまたその例外ではなかった。新興の富士講などに押されながらも、幕末までは、富士宮浅間神社と並ぶ勢威を保っていた村山口の興法寺も、この廃仏毀釈で最後のとどめを刺された形となって、衰退というより、終焉の時を迎える。今日の神道系の神社の姿だけを見たのでは、往年の富士山信仰の半ばを見たことにしかならないのである。
 また、宍野半は、富士信仰の宗教改革も志して神道扶桑教を組織するが、江戸後期の富士講の隆盛からみれば、ごくこぢんまりとした一宗派になってしまった、という観を否めないであろう。むしろ、富士山周辺の宗教ということで言えば、廃仏毀釈のときの弾圧、破壊の対象となった日蓮宗系の寺院の隆盛が、最も現代において印象的な現象であるだろう。
 富士講自身の運命について言えば、富士講は信仰集団でもあるが、同時に江戸の庶民にとっては何年に一度しか行けない富士登山を実現させるための、積立金を管理する経済集団でもあり、十日もかけて徒歩で旅をする、自発的な規律を持った巡礼旅行団体であった。
 富士講自身の周辺の交通が、東海道本線の開通(御殿場(ごてんば)、沼津、静岡など富士近辺は、明治二十二年〔一八八九〕)、中央本線の開通(富士吉田への分岐点大月(おおつき)駅の開業は明治三十五年〔一九〇二〕)、さらには富士馬車鉄道の富士吉田までの開通(明治三十六年〔一九〇三〕)、富士山麓電気鉄道(現在の富士急行線)の開業(昭和四年〔一九二九〕)と、近代的な高速交通機関が東京から富士山への道を次々に切り開いていくと、旅行団体としての富士講の存在基盤が急速に掘り崩されていくことになった。近代科学文明は、中世的な修験道の富士登山、近世的な富士講による富士登山の終焉をもたらすことになったのである。明治に入ると、富士山は宗教抜きの観光地、避暑地として東京の人々に注目されるようになるのである。
(中央公論新社刊「富士山ー聖と美の山」中公新書より)

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老齢になればなる程幸せになる方法・・・神様と気楽に付き合う方法を身に付ける

2012年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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貴方が奥さんと伊勢神宮見物に行った場合をご想像下さい。奥さんがお賽銭をあげてお祈りしたとします。サテ、あなたは一緒にお祈りするでしょうか?それとも、「私は宗教を信じないから」と言って、境内を散歩だけして帰ってくるでしょうか?いや、私はクリスチャンだから妻と一緒といえども邪教の神へ頭を下げないとうそぶくでしょうか?

老境にいたると、宗教のことで目くじらを立たてたり、議論をすることがバカバカしいと思えるようになります。すると悠々たる幸せな気分になれます。

「宗教は人間を幸せにする為にある」。貴方が奥さんと一緒に神様へお祈りをすれば奥さんが幸せを感じます。お彼岸にお寺に行って、本堂の前でお賽銭をあげ、ご本尊さまへ祈る。それを見た他の人々の心がなごむ。形だけで良いのです。神様やお釈迦さまと気軽に、チョットだけお付き合いする方法を身につけるのです。老境に入るとそのような軽やかさの重要性がしみじみと解るようになります。

よく「私は無宗教です!」と言う人がいます。私がカトリックの信者と分かって言うのです。私はニコニコして、そうですかとだけ言います。そういう人の言う次の句は、きまって、「宗教があるから戦争が起きるのです。宗教など存在しない方が良い!」という意見です。その意見はよく分かりますねと私は答えます。そしてそれ以上議論をしません。

なにせ私は宗教と気軽に付き合っているのですから、議論する気にならないのです。ですから私はどんな神社仏閣へ入っても神様達やお釈迦さまと和やかに付き合えます。この文章で何を言いたいのかを以下にご説明いたします。

私の真意は神社やお寺へ行く全ての人々を大切にしたいのです。無宗教の人々も大切にしたいのです。妻を大切にしたい。家族を大切に思う。そして全ての人々を大切に思う。これだけの事を気軽に書ける。これは老境になったお陰です。

歳老いると、「宗教は人々の幸せの為にある」という確信を持てようになります。老いることの幸運を感じられるのです。

カトリックの教会では時々、病人が臨終の前に洗礼を受けてから死んだという話を聴きます。若いときはそんなバカ事はしない方が良いと思っていました。他人へは言いませんでしたがそう思っていました。老人になると考えが変わります。重病の病人のところへ何度も来てくれ、優しく勇気づけてくれた神父さんへお礼をしたい。洗礼を受ければきっと神父さんが喜んでくれる。私は無宗教だがお礼に洗礼を受けてから死んで行こうと考えたとします。それでもOK!なのです。死にそうな患者が神父さんの気持ちを大切にする。神父さんを愛しているから洗礼を受ける。そして死ぬのです。キリスト教を信じていなくても構わないのです。それでも死んで行く人の優しさをイエス様は絶対に見落しません。これがイエスさまと気軽にお付き合いする方法です。

宗教を信じなさいと言うのではなく、気軽に付き合う方法を身につけましょう!・・・そうです、貴方自身にとって一番気軽な方法を身につけて下さい。それが貴方の老後を輝かせます。


日本が世界に誇れるのは仏教文化

2012年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

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現役の間はしばしば外国へ行きました。その土地の人々と一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりします。すると日本の文化とはどういうものですかと聞かれます。貴方は即座に答えられますか?長い間困っていましたが、ある時簡単な答えを発見しました。「佛教文化です。国宝には7世紀以来の古いお寺や仏像が沢山あります。」と簡単に答えます。すると今度日本へ行ったら何処のお寺を見たほうが良いですかと聞かれます。この質問も困った質問です。そんなに考え込む必要はありません。

自分の好きなお寺をあげれば良いのです。奈良の法隆寺と唐招提寺。京都では清水寺、南禅寺、高台寺、鎌倉では建長寺と円覚寺と答えます。この時、ウンチクを傾けて余り沢山のお寺の名前を言わない事です。相手が目を回さないようにゆっくり発音します。

さて次の質問はは大抵、「日本の仏教文化とインドやタイの仏教文化とどのように違いますか?」というものが多いのです。貴方は答えられますか?これも困った質問ですね。私は簡単に言います。「キリスト教でも戒律の厳しい宗派と自由な宗派があるでしょう。インドやタイの南方系の仏教は戒律が厳しく、日本の仏教は穏やかな佛教です。和を持って尊しとなす。ですね」と答えます。

本当は小乗仏教と大乗仏教の違いを説明しなければいけませんが、少し込みった話になるのでこの程度に簡単に説明します。

その次の質問は、「キリスト教では福音書がありますが、仏教にはありますか?」です。答えは簡単にします。「勿論あります。お経と言います。福音書は4種だけですが仏教のお経は1000年ぐらいに渡っていろいろな弟子によって書かれたので数が非常に多いのです」と答えます。食事をしながらの話なので、大体このぐらいで質問は終りです。面倒くさくなったら楽しい話題へ変えてしまえば良いのです。

そんな事を思い出しました。写真は唐招提寺のWikipedeaとHPからお借りしました。私の好きなお寺です。

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参考までに:釈迦は紀元前5世紀頃、シャーキャ族王・シュッドーダナ(漢訳名:浄飯王 じょうぼんのう)の男子として現在のネパールルンビニで誕生。ゴータマ・シッダールタ は王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で出家した。35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となったことを成道という。まもなく釈迦のもとへやってきた梵天の勧めに応じて、釈迦は自らの覚りを人々に説いて伝道して廻った。80歳で入滅(死去)したと言われている。


ある山里の家のまわりの花々の写真

2012年05月14日 | 写真

1973年に山梨県の甲斐駒岳の麓に山小屋を作りました。その頃大変お世話になったH家のおばさんが花好きで毎年、毎年、美しい花々を咲かせています。

もう4年も前になりますが、5月のある日、お邪魔して撮ってきた写真をお送りします。おばさんのご健康をお祈りしています。

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このブログに仏教のことが出て来る記事の検索結果

2012年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログには仏教のことが何度か取上げて書いてあります。

自分自身はカトリックの洗礼を受けていますが、祖父が曹洞宗のお寺の住職だったせいで仏教が好きです。

仏教のこともキリスト教のことも深く研究した経験もありませんが、双方を比較しなら書くと分かり易いと思っています。

そこで今までの記事を「佛教」というキーワードで検索して見ました。以下がその検索結果です。

キリスト教関連の記事の中に仏教のことを比較してあることが一目瞭然です。

題目によって興味のある記事をお読みになる場合は各題目の右端にある掲載年月日に従って、左サイドバーにあるバックナンバーをクリックして探し出すことが容易です。

ご参考までに、この際まとめてご紹介したいと存じます。

ご笑覧頂ければ嬉しく存じます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

=====佛教という言葉が出て来る過去の記事一覧=======

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