後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

おまけで貰ったシクラメンが急に咲き出しました

2012年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、12月に入るとシクラメンの鉢を買い、翌年の春まで楽しむのが我が家の習慣です。

昨年の12月にも下の記事のように栽培している人から直接買ってきました。

あなたへ シクラメンの花を沢山お送りいたします・・・写真だけですが

この時、オマケとして無料で貰ってきた鉢のシクラメンが2、3週間前から急に咲出して満開になりました。

買ってきた鉢のシクラメンの方は3月始めに咲き終わってしまいました。

下の写真のようにオマケの花が縁側で咲いているのを見る度に何故か心豊かになります。

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一昨年に買って、花が終わってから縁の下で夏を越したシクラメンも下のように咲いています。

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皆様もお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。


37歳で逝った賢治の親不幸・・・そして残された原稿の山

2012年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

賢治は天才です。

しかし37歳で無名のまま病死します。両親より早く亡くなるほど親不幸はありません。

質屋と古着屋の家業も継がず、いつも父親に反抗し、東京や樺太や伊豆大島などの旅に出て家に落ち着いて居ません。賢治の死後、両親の前に残されたのはよく分からない原稿の山でした。残された両親は息子の生き方が理解出来ません。深い悲しみを背負いながら淋しい余生を送ったに違いありません。

しかし賢治が逝ってから26年目の1959年(昭和34年)に11冊の「宮沢賢治全集」が筑摩書房から贈られたのです。原稿の山が綺麗に装丁された11冊の本になり世界中の人々が読めるようになったのです。

原稿の山を整理して本の出版に協力したなのが賢治の実弟の清六でした。その清六が宮沢賢治全集第十一巻、月報11、昭和34年5月、に書いている「幼時の追憶」という文章の抜粋を以下にお送りいたします。

====宮沢清六著、「幼時の追憶」(抜粋)=========

私がまだ小学校に入らなかったころのことです。冬休みで盛岡中学校から帰った兄に、その頃菩提寺だった安淨寺の報恩講につれて行ってもらったものです。

・・・中略・・・

その頃の説教がまだ小さかった私によくはわかる筈もなかったのですが、質屋という陰気な私の家の商売や、次々病人が絶えなかったことなどからも、いつともなく人の世のかなしさといふ風なものが私共の身に沁みこんだように思います。

・・・中略・・・・

兄は表面陽気に見えたところもありましたが、ほんとうは小さい時から何とも言えないほど哀しいものを持っていたと思います。父が時々話したのですが、「賢治には前世に永い間、諸国を巡礼して歩いた宿習があって、小さい時から大人になるまでどうしてもその癖がとれなかったものだ。」というようなところがあったと思います。

私の知っていたことでは、食事のときなど自分の家で家族達と一しょに物を食べるのに、いつも恥ずかしがって恐縮しながら食べたもので、物を噛むにしてもなるべく音を立てない様にしていたのでありました。また、前屈みにうつむいて歩く恰好や、人より派手な着物をどうしても着たがらなかったことなど、いずれも小さい時からというよりもむしろ前世から持って来た旅僧のようなところがたしかにありました。

(そして清六は兄と姉と一緒に寒い所を巡礼している気分になります。その後、兄と姉が清六を置いて逝ってしまったのです。)

・・・中略・・・・

「・・・・音やにおいだけをたべて生活が出来たらどんなにいいだろう。今度はお互いにそんなところに生まれて来ることにしよう。」と言った兄のことばを今なつかしく思い起こすのです。

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今年もまた粉雪が降り続いています。この季節になりますと、むかし吹き曝しの店さきで聞いた巡禮の百姓たちの鈴の音が甦ります。それから、その頃店番をしていた兄の姿が見えて来ます。

「われは誓ひてむかしの魔王波旬の謇属(けんぞく)とならず。又その子商王の召使たる辞令を受けず。」と書いた二十歳ころの兄がーそして父と口論して上京したころのことが思い出されます。

而もいま、不用意に書き残されたものまでみな美しい活字に組まれて、八十歳を越してなお かくしゃくとした両親の前に積まれることになったとはーーー死後二十有四年、どれだけの人達の好意や努力でこの完全な全集が出来上がったことでしょう。

私共はこの方々に厚くお禮を申し上げるものであります。

====終り==============

下に賢治の生前の大正13年に出版された詩集、「春と修羅」と童話集、「注文の多い料理店」のうちから童話集の写真を示します。何年も前に盛岡の光原社で家内が触らせてもらった初版本の写真です。現在はもう触らせてはくれないでしょう。(続く)

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