昨日、茨城県、つくば市近辺で日本では珍しい強大な竜巻が起き、1人死亡、怪我数十人という被害がおきました。それは自然災害による悲劇でした。栃木県も大きな被害を受けました。
その実際の様子を近辺の住民が動画に撮影し、インターネットに投稿しています。http://labaq.com/archives/51743714.html をクリックするとその動画が集めて紹介されています。
静止した写真集もあります。「つくば竜巻写真集」として検索すると沢山の写真を見ることが出来ます。
竜巻は毎年、アメリカの南部で発生し、大きな被害が出るのが普通です。それと同じような災害が日本でも起きたのです。
この自然災害に巻き込まれた人々に深い同情を感じます。早くもとの平穏な生活へ戻れますようにと祈っています。
その一方で、私はこのような自然災害のニュースが即刻インターネットに投稿され、国民がほぼ同時に竜巻を体験したような印象を持つことに驚きを禁じ得ません。
インターネットがここまで発達する以前はニュース報道は新聞社やテレビ会社の独占事業でした。専属のカメラマンが撮影した映像を編集してから一般へ報道していたのです。
ところが最近は一般の人々が携帯電話やデジカメやビデオ映写機で手軽に撮影し、編集作業なしで、インターネットへ投稿します。その特徴は次のようなことになります。
(1)即刻投稿なので、同時体験的な印象を受けます。
(2)意図的な編集が無いので、起きている事実が歪曲無しで見る人に伝わります。見ている人が自分で自由に考えることが出来るのです。
(3)ニュースを発信する人が国民全員へ広がったのです。報道する権利が報道にたずさわる専門家から多くの人々へ開放されたのです。報道する権利が平等に、そして自由化されたのです。
もちろんそのようになっていない国々も存在しています。
例えば、このブログは日本やアメリカやヨーロッパでは自由に読むことが出来ますが、中国では禁止されています。私が以前、中国のチベット占領の非を書いた途端に中国の規制にあい、中国ではこのブログは読めなくなったのです。
昨年の東日本大震災の時も大津波の動画映像が沢山投稿されました。
その結果、多くの国民が大津波の悲劇を実感出来たのです。その結果、多くの義捐金が集まったと言ったら皮相的な考え方です。そうではなく人々が人生を深く、深く考えるようになったのです。
このような大きな社会的な影響があるのです。昨日の「つくば竜巻」のインターネットの映像を見て感じたことを書いて見ました。下に写真の一例を示します。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)