後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自然がいっぱいの石神井公園の三宝寺池の風景をお楽しみ下さい

2012年05月24日 | 写真

東京の西北の港外に都立石神井公園があります。大きな三宝寺池があり、人間の手を入れずに自然そのままの景観を守っています。人間の手が入らなので、見方によっては荒れた風景のようにもみえます。水も濁っていて、鴨が棲みついて、子育てをしています。自然そのままのような公園です。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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個人の自由と平等を圧殺する田舎社会・・・何故若者が都会に出るか?

2012年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

日本は自由と平等が行き渡った民主国家だと信じている人々が多くいます。確かに都会に住んでいるとそのような実感が持てます。

ところが一歩農村や山村地帯へ行くと、ごとの全体主義と部落長の独裁が若者の個人の自由を圧迫しているのです。

よく農村の若者が都会に出るのは就職口が地元に無いからだと簡単に言っている人がいます。それも理由の半分です。

しかし、もう一つの大きな理由は農村や山村では若者の個人の自由を認めない因習が厳然としてあるからなのです。若者は地元の小学校や中学校、あるいは高校で個人の自由と平等が一番重要だと教わります。しかし住んで居る田舎社会の実態は江戸時代と変わらぬの全体主義が厳しくて、個人の自由など認めません。

大学だけは大都会でという悲願で、家を飛び出し、就職の時に故郷と決別するのです。これこそ農村と山村が過疎化する原因の半分の理由なのです。

最近、この田舎社会の現実を見せつけるようなチョットした事件が起きました。それを一つの実例としてご紹介いたします。

山林の中に独り住む私の友人が持病のせいで車の運転を止めます。その農村にはコミュニティ・バスが縦横に走っています。彼の山荘の下の立派な広域農道にも走っています。ところが停留所がはるかかなたにしかありません。

そこで彼は市役所に行って停留所を近くに作って下さいと交渉します。役所はいろいろ言を左右しますが、つまるところ以下の2つの理由で作ろうともしません。

(1)市役所は個人が自由に(勝手に)停留所を作る申請を出しても受け付けません。それは自分の属しているの長から提出すべきです。市役所が個人の申し出を勝手に認めたら江戸時代から連綿と続く農村の平和と秩序が壊れます。市役所はそんな事をしたら後で大変なことになります。相談を受けた役人の責任が追及されます。

(2)に住んでいる人は江戸時代から協力しあって汗水流して水田を広げてやっと生活出来るようにしたのです。

ですら戦後、いきなり満州や都会から移住して来た人とは違います。江戸時代から水田を持っていた人が一等住民で、戦後移住し牧場や養鶏業を始めた人は二等住民です。そして、最近勝手に別荘に移住してきた人は三等住民なのです。

農村には移住して来た事情によって差別があるのです。それを尊重しないような態度では希望などかなえて上げる必要がありません。

以上は私の想像です。間違っているとも思いますが、40年間通って近辺の人々を観察してきた感想です。

水田を持っている人は誇らしげにしています。私共と親しくなりませんでした。

ところが寒冷な高台で牧場や養鶏業をしていた人はとても親切でした。しかし親しくなっても、決しての全体主義や差別のことは話合ったことはありません。

そんな話題は牧場や養鶏業をしていた人を傷つけるようで怖かったのです。

しかしそれも遠い昔の経験です。

日本全体を自由で平等な民主国家にし、何処でも楽しく住めるようにという私の祈りは間違っているでしょうか?

一方、田舎の人々の生き方にも同情を禁じ得ません。そのようにしなかったら生存が困難だったに違いありません。本当に世の中はままならないものですね。

皆様のご意見をお聞かせ下さい。なお上の例は木内正夫さんのブログ、http://sizen068.blog95.fc2.com/blog-entry-702.html#comment4195に詳しく書いてあります。

それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

下に2つの農業地帯の写真を示します。上が個人の自由と平等のない農業地帯で、下が東京の郊外の農業地帯です。キャベツ畑の向こう側に新しい住宅が並んでいます。こういう場所の市役所は個人の相談事をキチンと受け入れてくれます。同じ農業地帯でも社会・文化が大変違うのです。

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