「みたま祭り」は毎年、東京のお盆の期日に合わせて7月中旬に行われます。
昭和22年から行われている鎮魂の祈りです。靖国に####みこと(命)として祀られている全ての戦死者へ全国の遺族から送られた献灯を何千、何万と飾り、地方の踊りを奉納し、御霊を慰め、鎮魂を祈るのです。
以下に昨年の写真を示します。
全国の遺族から集めたお金で献灯を作るのです。献灯は四角な黄色いぼんぼりの中に40W位の小さめの電燈が入っています。
そのぼんぼりの表にはおくってくれた人の名前が県名とともに墨書してあります。
この写真はたまたま山口県の人々の部分ですが、他を丁寧に見てまわると北海道から沖縄まで全ての県の人々の名前が見えます。
そして全ての戦死者の霊を慰めるのです。特に特攻隊で殉じた霊だけを慰めるのではなく全ての人を平等に慰めるのです。
その上、青森のねぶたを始め各地の郷土文化や芸能が集まり、戦地で苦しみながら亡くなった戦死者を全国の人々が心を合わせて慰めるのです。
昨年の「みたままつり」は、7月13日前夜祭から7月16日の第三夜祭まで4日間続きました。
この「みたままつり」は死者を心から慰めようとする日本人の優しさの象徴です。優しくて美しい祈りです。
下には、ある戦死した方が生前愛用していたバイオリンの展示の写真を示します。
靖国神社のありようには幾つかの問題があります。政治と宗教の分離の原則からいろいろな議論もあるのは承知しています。しかし全体を見ればそれは日本民族の美しい心の現れでもあります。優しさの象徴でもあるのです。
下の写真の出典は、「画像検索:みたままつり」です。
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昨日、現職の閣僚と国会議員168名が集団で靖国神社を参拝しました。
何時ものように韓国政府と中国政府がそれを非難し、計画中だった外交交渉や相互訪問を取りやめました。そして日本人の多くはそんな反応をする韓国と中国が一層嫌いになります。一方、少数の日本人は韓国や中国の嫌がる政治家の靖国神社参拝はやめるべきだと主張しています。
しかし私は全然別の理由で現職閣僚や国会議員の靖国神社参拝には反対します。自分が偉くなったから、それをこれ見よがしに集団で参拝する行為なのでしょう。尊敬できないのです。人間として見苦しいのです。
昨日参拝した偉い方々は昔から毎年、靖国神社や各県の護国神社に参拝をしていたでしょうか?日本の将来のために犠牲になった英霊の遺族へ寄付をしたことがあるのでしょうか?
そもそも昨日、参拝した国会議員さんたちは靖国神社の遊就館の壁にある戦争犠牲者の写真の前に立ったことがあるのでしょうか?
国の犠牲となって若くして亡くなった方々の写真の前に立って、祈ったら、決して昨日のような政治ショーのような参拝の仕方は出来なかった筈です。残念です。
明治維新以来、日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争という大きな近代的な戦争をして来たのです。その日本民族の考え方をもう一度考えてみようと思い昨年の夏に、靖国神社と遊就館を静かに訪問しました。
そうしたら遊就館の多くの壁に日清、日露、日中、太平洋の各戦争で国に殉じた人々の写真が飾ってあります。
その写真の前で、たまたま見た光景です。一人の高齢な婦人が神主に案内されて戦死した親族の写真の処へ来ていました。その婦人はその写真を丁寧に手で触って何か話しかけていました。
最後に、案内して来た神主さんへ「有り難うございました」と言って静かに帰って行きます。
私は壁に飾ってあった写真を丁寧に見て回りました。
国に殉じた人々に感銘をうけます。そのお陰で現在の日本があるのです。深く感謝します。
写真は沢山あります。とても全てはご紹介出来ません。下にそのほんの一部だけを謹んでご紹介いたします。
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多くの写真の中に、少女の写真もあります。ある国民学校でアメリカ機の機銃掃射の犠牲になったようです。それも戦死です。かわいそうです。
従軍看護婦として亡くなった方の写真もあります。
シベリア抑留で亡くなった方の写真もあります。
その他に戦争が終わってからB級戦犯として死刑になった方の写真もありました。完全に冤罪の人も多かったのです。
年齢や階級に関係なく皆等しく飾ってあります。皆が若々しく見えます。良い表情をしています。美しいキリっとした表情です。
こんな若者達を死なせた戦争の不条理な悲劇が胸にせまります。
このような形で写真を公開することは戦死した方々の遺族の慰めにもなります。
昨日、靖国神社を集団で参拝した国会議員の先生方が独りで、静かにこの写真の前に立って考えて頂きたいのです。
戦争の理不尽さや残酷さを静かに、考えて頂きたいのです。
日本では第二次大戦で少なくとも300万人の死者が出ました。
国会議員が集団で参拝するくらいなら民間行事の「みたま祭り」へ寄付をしてもらいたいので。経済的に困っている遺族が毎年、毎年、「献灯」のための寄付を続けているのです。
その「みたま祭り」も、あまりにも派手になり過ぎて、私は尊敬できません。
しかしご存じない遠方の方々の為に、その様子をこの記事の続編でご紹介いたします。
さて、昨日、集団で参拝した168名の国会議員は一体何を考え、何を祈ったのでしょう?
集団ではなく一個の人間として靖国神社と遊就館を静かに訪問して頂きたいと思います。政治ショーのように集団で参拝すれば、中国も韓国も政治的に反発するのは当然です。こいうものを「ドッチモ、ドッチ」と言います。
最後に私の個人的な希望を書けば、「希望しない人は祀らないで下さい」ということです。私自身はカトリックなので、たとえ万一戦死しても祀って頂く必要はないのです。
しかし大きな観点から論ずれば靖国神社は日本文化の一部であり、考えようによっては誇るべき存在なのです。
それはそれとして今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)