後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

桜の散る頃になると思い出す、若くして亡くなったhikarunoさんを

2013年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

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桜の散る頃になると思い出すのは、hikarunoさんのことです。

彼が撮った最後の写真を上に示しました。散った桜の花びらが浮いた水面を鴨が2羽泳いでいる写真です。この写真のせいで毎年桜花が散るころになるとhikarunoさんの急逝の事を思い出します。

彼とは2008年にネットで知り合って、2年ほどだけの淡い交際でした。まだ50歳くらいでしたが、3年前の2010年5月末頃に肺ガンで急逝したのです。

Hikarunoさんは、インドやネパールに25年以上棲みついてアジアの手織り布の蒐集をしてきた人です。2009年の暮れに肺ガンになり、東京の病院で抗癌剤の治療を受けましたが、2010年の5月末頃亡くなられました。

現地の人々を愛しながら撮影した写真に感動して、このブログで彼の撮った写真を何度もご紹介してきました。東京で開かれた「アジアの手織り布の展示会」にも毎年3回もお邪魔し、親しくお話も聞きました。心やさしい人でした。亡くなる直前に病院へ一度お見舞いに行きました。

亡くなったとは思いたくありません。しかしHikarunoさんとやはりネットの上で知り合い、何度も入院先の病院へ見舞いに行った「がらくた・おやじ」さんが、5月24日は病室で会えたが、6月10日に行った時は既に居なかったという報告を書いています。

がらくた・おやじさんは方々へ手を尽くして、ひかるのさんの消息を懸命に探しましたが駄目でした。

そしてがらくた・おやじさんは、ご自分のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/43503147.htmlで「星は消えた」と題して(1)から(9まで9編の思い出の記を発表しています。

そして「星は消えた」(9)、の後に数多くのネット上の友人から情愛あふれる投書が掲載されています。これを見て、私は2つの事実に感動しました。

まず、がらくた・おやじ様の親身のお世話ぶりです。病院に何度も見舞いに行き、いろいろ差し入れをし、ひかるのさんが蒐集したアジアの手織り布を売りさばく努力をしてくれたのです。全くの他人がそのようにして、ネット上で知り合った人を助けたのです。

そしてもう一つは、ひかるのさんへ温かい情愛を感じている人々が多数居ることに感動しました。それは「星は消えた」の(1)から(9)の文章へ対して数多くの投書があったことから分かります。特に最後の(9)http://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/43503147.html (コピー不可能なので、クリックしてご覧ください)の後には数多くの人々から、がらくた・おやじさん対する感謝の投書が寄せられたのです。

インターネットの世界は「かりそめの世界」。「そんなものに本気になっているのはおかしい」。そんなセリフを何度も聞きました。

しかし、その「かりそめの世界」の中でも、情愛あふれる人間の絆が確実に出来るのです。その絆の重要性が実感出来るのです。

ひかるのさんとその周りに集まる人々は強い絆で結ばれていたのです。美しいきずなです。私は死ぬまでこの温かい人間の情愛を忘れません。

最後にひかるのさんが小康を得て、一時退院していた時に撮影した江東区のある公園の風景写真を更にもう2枚追加してお送りします。

桜の散る頃になると私はhikarunoさんを思い出し、彼の冥福を祈っています。

そして彼の遺したブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season を開けて彼の文章や写真を楽しんでいます。

それにしてもアジア諸国を放浪するようにして転々と住んでいた彼にもタイの男の子の養子が1人いたことに少しばかり心が和みます。

さようならhikarunoさん!

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下は子供達の遊ぶ様子です。ご自分の少年時代を思い出していたのでしょうか?

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戦後の日本人の自虐趣味の誤り(1)自虐趣味の定義と「誤り」の定義

2013年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の戦後、いろいろな社会的な原因が重なって自虐趣味が流行しました。そして中国侵略や朝鮮の領有時代の日本人の残虐行為を執拗に書きたてました。

いろいろなインテリが多数の本を書いて出版しただけでなく、朝日新聞のような大新聞がその流行に乗り日本軍の残虐行為を何度も記事にしたのです。

その影響は現在の日中関係と日韓関係に暗い影を残し、将来も大きな影響を残すと思います。

そこで、この戦後の日本社会に流行した自虐趣味は何故起きたか考えて見ようと思います。そしてその自虐趣味が与えた間違った歴史観や誤った日本人像を考察してみようと思います。

数回にわたる連載記事のはじめに思考の混乱を避けるために2つの言葉の定義をいたします。

「自虐趣味」は客観的な思考を忘れ、自分の偏見のみで自分自身を悪者としておとしめ、傷つけ、さいなんで、その思考を楽しむ個人的な趣味です。

しかし戦後日本の自虐趣味は傷つけ、さいなむ対象が自分個人は除外して、戦前の政治家や軍人を対象にし、それを日本人全体に拡大していることが特徴です。

ですから戦後日本の「自虐趣味」とは自分には免罪符を与え、戦前の日本人の悪辣さを書きたて、日本人を傷つける趣味と定義出来ます。

悪辣さを具体的に説明するために軍部の残虐行為を誇大に書くのです。南京事件や朝鮮人の強制連行などがその例です。

さてそれはそれとして、この連載でしばしば用いる「誤り」という言葉の定義を考えて見ましょう。

その一つは歴史的事実とは相違することを書いたり、新聞記事にすることを意味します。

一例は南京事件で日本軍は30万人の虐殺をしたという中国人の歴史観です。これはいろいろな証言によって、大多数の日本人は白髪三千丈のような中国特有の歴史観として理解し、ほとんど問題にもしていません。第一、常識的に考えても、30万人もの市民を短期間で殺すことは不可能です。

したがってこの連載記事では「誤り」とは常識的に考えて、あまりにも事実から相違している日中韓3国に関する歴史観と定義いたします。

最後にこの記事を書くにあたっての私の心構えを述べておきます。それは個人攻撃を一切しないで、起きた現象だけをなるべく客観的に書きたいという心構えです。

よく戦略も考えないで突撃だけを命令した乃木大将の203高地攻撃では、あまりにも多数の兵士を犠牲にしてしまったのです。彼の功名心が強すぎたと非難することは簡単です。

あるいは東条英機がいきなり真珠湾攻撃を認めたのが日本を壊滅させた。彼は極悪な戦争犯罪者です。このような個人攻撃を私は一切しないようにします。

戦前の日本の政治家も、満州で謀略を駆使した関東軍の幹部も、みんな日本の為になるようにと深く考えていたことを私は信じています。

そして満州で日本軍を悩ませた中国人の馬賊達もみな中国人の名誉を考えていたに違いがないのです。

彼我の個人を断罪することは一切避け、一体何が起きて、それが現在の日中韓の関係にどのような影響を及ぼしているか少しでも考えて見たいと思っています。

それは自分にだけ免罪符を与え、戦前の日本の軍部とそれに迎合した政治家を非難し、断罪する「自虐趣味」とは違う立場です。

違う立場に立つので戦後の「自虐趣味」を少し客観的に考えることが出来るのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

下の挿絵写真は現在の大連のアカシアの並木とアカシアの花です。

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