桜の散る頃になると思い出すのは、hikarunoさんのことです。
彼が撮った最後の写真を上に示しました。散った桜の花びらが浮いた水面を鴨が2羽泳いでいる写真です。この写真のせいで毎年桜花が散るころになるとhikarunoさんの急逝の事を思い出します。
彼とは2008年にネットで知り合って、2年ほどだけの淡い交際でした。まだ50歳くらいでしたが、3年前の2010年5月末頃に肺ガンで急逝したのです。
Hikarunoさんは、インドやネパールに25年以上棲みついてアジアの手織り布の蒐集をしてきた人です。2009年の暮れに肺ガンになり、東京の病院で抗癌剤の治療を受けましたが、2010年の5月末頃亡くなられました。
現地の人々を愛しながら撮影した写真に感動して、このブログで彼の撮った写真を何度もご紹介してきました。東京で開かれた「アジアの手織り布の展示会」にも毎年3回もお邪魔し、親しくお話も聞きました。心やさしい人でした。亡くなる直前に病院へ一度お見舞いに行きました。
亡くなったとは思いたくありません。しかしHikarunoさんとやはりネットの上で知り合い、何度も入院先の病院へ見舞いに行った「がらくた・おやじ」さんが、5月24日は病室で会えたが、6月10日に行った時は既に居なかったという報告を書いています。
がらくた・おやじさんは方々へ手を尽くして、ひかるのさんの消息を懸命に探しましたが駄目でした。
そしてがらくた・おやじさんは、ご自分のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/43503147.html)、で「星は消えた」と題して(1)から(9)まで9編の思い出の記を発表しています。
そして「星は消えた」(9)、の後に数多くのネット上の友人から情愛あふれる投書が掲載されています。これを見て、私は2つの事実に感動しました。
まず、がらくた・おやじ様の親身のお世話ぶりです。病院に何度も見舞いに行き、いろいろ差し入れをし、ひかるのさんが蒐集したアジアの手織り布を売りさばく努力をしてくれたのです。全くの他人がそのようにして、ネット上で知り合った人を助けたのです。
そしてもう一つは、ひかるのさんへ温かい情愛を感じている人々が多数居ることに感動しました。それは「星は消えた」の(1)から(9)の文章へ対して数多くの投書があったことから分かります。特に最後の(9)http://blogs.yahoo.co.jp/cbe0061/43503147.html (コピー不可能なので、クリックしてご覧ください)の後には数多くの人々から、がらくた・おやじさん対する感謝の投書が寄せられたのです。
インターネットの世界は「かりそめの世界」。「そんなものに本気になっているのはおかしい」。そんなセリフを何度も聞きました。
しかし、その「かりそめの世界」の中でも、情愛あふれる人間の絆が確実に出来るのです。その絆の重要性が実感出来るのです。
ひかるのさんとその周りに集まる人々は強い絆で結ばれていたのです。美しいきずなです。私は死ぬまでこの温かい人間の情愛を忘れません。
最後にひかるのさんが小康を得て、一時退院していた時に撮影した江東区のある公園の風景写真を更にもう2枚追加してお送りします。
桜の散る頃になると私はhikarunoさんを思い出し、彼の冥福を祈っています。
そして彼の遺したブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season を開けて彼の文章や写真を楽しんでいます。
それにしてもアジア諸国を放浪するようにして転々と住んでいた彼にもタイの男の子の養子が1人いたことに少しばかり心が和みます。
さようならhikarunoさん!
下は子供達の遊ぶ様子です。ご自分の少年時代を思い出していたのでしょうか?
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